映画『渇水』ずいぶんとわかりやすい映画にしてしまった、ちょっと残念。

映画備忘録

6月9日 グランベリーパークシネマ

渇水』(2023年/日本/100分/原作:河林満 脚本:及川章太郎 監督:高橋正弥/出演:生田斗真 門脇麦 磯村勇斗/公開:2023年6月2日)

 

「凶悪」「孤狼の血」などを送り出してきた白石和彌監督が初プロデュースを手がけ、生田斗真を主演に迎えて送る人間ドラマ。作家・河林満の名編「渇水」を原作に、心の渇きにもがく水道局職員の男が幼い姉妹との交流を通して生きる希望を取り戻していく姿を描く。

市の水道局に勤める岩切俊作は、水道料金を滞納している家庭や店舗を回り、料金徴収および水道を停止する「停水執行」の業務に就いていた。日照り続きの夏、市内に給水制限が発令される中、貧しい家庭を訪問しては忌み嫌われる日々を送る俊作。妻子との別居生活も長く続き、心の渇きは強くなるばかりだった。そんな折、業務中に育児放棄を受けている幼い姉妹と出会った彼は、その姉妹を自分の子どもと重ね合わせ、救いの手を差し伸べる。(映画.comから)

 

この系統の映画が近所のグランベリ−パーク109シネマにかかることは珍しい。この近辺だと鴨居(横浜線)のららぽーとなら確実にかかるのだが。

 

随分とわかりやすい映画にしてしまったようだ。

 

真夏の街の水不足、二人の姉妹の貧困家庭の停水執行、失効する吏員の家庭の不和。

渇きが全面に。

 

太陽や空気がただなら水だってタダでいいでしょ、という思いを抱えながら停水執行を粛々と行う岩切。いつしかうちに抱えたその思いが高じ、二人の姉妹と共に公園の水を出しっぱなしにしふんだんにばら撒き、仕事をクビになる。

 

いつしか、岩切の家庭は穏やかに回復し、門脇麦の娘、二人の姉妹も見えない水に踊る。

 

丁寧につくられている。前橋市の名前が入った軽ワゴンや乾いた街の空気感もいい。

先日、偶然入った「今人」という喫茶店も自然でよかった写真

 

でも、生田斗真から強い渇きを感じなかったのは私だけか。キャスティングとしては磯村勇斗の方が、渇きにピッタリくるような。

門脇麦門脇麦もきれいすぎて、貧乏臭さは微塵も感じられない。

 

水の渇きが心の渇き、というわかりやすさは、最後のシーンからさまざまな好転が見られることでわかりやすくなっているのだが、正直原作を読んだ後にはそういうものは感じられなかった。

意図的なミスリードなのだろうけれど、原作のラストシーンを読む限り、テーマは岩切や門脇の「渇き」ではなく、救いのない姉妹の中の「渇き」のような気がする。

本編では出てこない姉妹の父親、門脇の夫と岩切の会話が原作では印象的。

ラストシーンは、さまざま批判はあったようだが、作品としてはラストシーンを改作されては浮かぶ瀬がないような気がした。

 

茶店今人で、見知らぬ男に、大きすぎて食べきれないからと声をかけられ、ケーキを一緒に食べる門脇。

この男が、映画『恋人たち』の篠原篤。久しぶりに見たが、いい。門脇の演技も良かった。妙にこのシーンが心に残っている。

それと姉妹の演技はどこか凄みがある。切ないほどだ。原作通りにラストシーンを撮ったなら、凄みはさらにましただろう。

ファンタジーで終わらせているところに、グランベリーパーク109シネマにかかった理由が見える。画像6