『僕の帰る場所』『白骨街道ACT1』 ”映画を見てミャンマーを知る”って言われても・・・。

映画備忘録 4月22日。

僕の帰る場所(2017年製作/98分/G/日本・ミャンマー合作/脚本・監督:藤元明緒/出演:カウンミャットゥ ケインミャットゥ アイセ テッミャッナイン 津田寛治 他/日本公開:2018年10月18日)

日本とミャンマーを舞台に、ある在日ミャンマー人家族に起こった実話をベースに描いたドラマ。東京にある小さなアパートに暮らすケインと幼い2人の息子たち。夫のアイセが入国管理局に捕まってしまったため、ケインは1人で家庭を支えていた。日本で育ったため、母国語が話せない子どもたちに、ケインは不慣れな日本語で精いっぱいの愛情を注いでいたが、兄弟は父親に会えないストレスからケンカを繰り返す毎日。そんな日常から、今後の生活に不安を抱くようになったケインは、生まれ育ったミャンマーへ帰りたいという思いが募っていく。監督は本作が長編デビュー作となる藤元明緒。2017年・第30回東京国際映画祭「アジアの未来」部門に出品され、同部門の作品賞および国際交流基金アジアセンター特別賞の2つの賞を受賞した。

 

 

ドキュメンタリーのようなつくり。

ミャンマー人である夫婦と男児二人の家族が、日本の狭いアパートで生活している。

夫は難民申請をしているが認定は下りず、オーバーステイしながら隠れて飲食店で働いている。

妻は、一人で子育てに明け暮れ、孤独感にさいなまれ、不満を募らせミャンマーに帰りたいと考えている。

男児二人は、日本語で両親と意思疎通を図る。ミャンマー語は話さない。

 

前半は、入管への申請や入管の係官が自宅に来るシーンもあり、拘束されているようなシーンもある。

この辺がよくわからない。

 

何度もカメラの位置が劇映画風に動くので、なんだ?これはドキュメンタリーではないのかという疑念。入管の受け付けの女性の台詞や係官の台詞がいかにも下手なのも気になったし、津田寛治のような役者も出てきたところで、これはドキュメンタリーではないと確信。

なのに、子どもと母親、子どもと父親のシーンは、脚本などはなからないようなリアリティがあるし、ミャンマー人同士のつながりなどもリアルだ。

このリアルさが演技?とすれば、それはそれですごいことだが。

 

後半は、妻が業を煮やして子どもを連れてミャンマーに帰国。ミャンマーでの生活を描いている。

 

で、なんなのだ?この映画は。

 

夫が難民申請をしている理由がわからない。妻は?

 

妻は帰国しようと思えば、子どもを連れて実家に戻ったり、夫の実家に行ったりもできる。

そのミャンマーも今のミャンマーと違って、街は活気があるし、日本人学校も当たり前に運営されている。

子どもたちの日本語がほぼネイティブなところからすると、二人は日本で生まれているようだし・・・。

オーバーステイで入管に収容されているわけでもなく・・・。

とにかく「事情」がよくわからない。

日本になじめない妻、ミャンマーになじめない長男の話?

どうして夫は一緒にミャンマーに帰らないのか。

そもそもどうして日本にきたのか。どうして難民申請なのか。

 

エンドロールに「文部科学省選定」とあった。

 

これは、入管制度を批判したり、日本人を批判する映画ではなく、異国で暮らすミャンマー人一家の「絆」を描こうとした映画。

いい人ばかり出てくる映画。

 

とにかくよくわからない映画だった。画像4

 

同時併映のドキュメンタリー

『白骨街道 ACT1』(2020年製作/16分/日本・ミャンマー合作/ 監督:藤元明緒/日本公開:2022年4月16日)

「海辺の彼女たち」の藤元明緒監督が、インドとミャンマーの国境地帯で日本兵の遺骨発掘作業に携わる少数民族ゾミ族を描いた短編作品。第2次世界大戦でビルマ戦線の舞台のひとつとなったミャンマー北西部チン州。1944年3月、日本軍はこの地で「インパール作戦」を決行し約9万人の兵士を投入したが、その多くが命を落とし、死体が積み重なる退却路は「白骨街道」と呼ばれた。2013年、チン州への外国人立入制限解除に伴い、日本側と連携した戦没者遺骨収集事業が開始。現地に住むゾミ族が中心となり、遺骨と遺品の発掘作業が続けられている。2019年にチン州を訪れた藤元監督は、第2次世界大戦の体験者への取材を通し、彼らの視点から見た戦争体験を知る。ゾミ族に同行する中で彼らに出演を依頼し、取材で得た“記憶”や“声”を込めたフィクションとして本作を完成させた。

チン州でゾミ族の人たちが山中を掘り返すシーンと美しい山並みを眺めてかつての日本人のやったことを伝えるシーン。

よくわからない。白骨が出てくるわけでもない。

制作意図がわからない。]