『ちょっと北朝鮮に行ってくるけん』姉、伯母に会いにった親子の目に映った北朝鮮。

気温10℃前後。一気に寒くならずにこんな日が続くといい。長い晩秋。

 

今朝は、夥しい数のサギ、コサギ、そしてカワウ。一緒に飛びだち、降りるのも一緒。

 

サギのギョエ、ギョエという鳴き声が河畔に響きわたる。純白のサギとの落差が面白い。カラスの声がきれいに聞こえる。姿も声も美しい鳥はそうはいない。ウグイスは姿を見せずに声で楽しませてくれる。

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マンションの小さなバラ園で

 

 

映画備忘録。8日。

 

『ちょっと北朝鮮に行ってくるけん』(2021年製作/115分/日本/監督:島田陽間磨/公開:2021年8月28日)

 

 

1959年から84年にかけて、日朝政府の後押しによって行われた在日朝鮮人とその家族による北朝鮮への帰国事業。これにより長年会うことができなかった姉妹の姿を追ったドキュメンタリー。熊本県で一見平穏な毎日を送っている67歳の林恵子には家族や親しい友人にも語ってこなかったある秘密があった。それは1960年に実の姉・愛子が在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮に渡り、北朝鮮で暮らしているということだった。渡航した愛子は山のように手紙を送ってきたが、そこに書かれていたのは送金や物品送付の催促ばかり。憧れの存在だった姉の変貌ぶりに落胆した恵子は姉と絶縁する。日朝関係は悪化し、姉妹は一度も会うことがないまま、58年の歳月が流れていった。ある時、姉の消息が知らされた恵子に姉への思いが再び頭をもたげ始める。これまで海外旅行もしたことのない恵子だったが、子どもたちの反対を押し切り、北朝鮮行きを決意する。

 

                   (映画ドットコムから)

 

先日、3月に公開され、その後文化庁の映画賞の優秀賞に選ばれた『夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』(原義和監督・2021年3月公開)が、登場人物の遺族から「事実関係が異なる箇所があり、贈賞と上映を取りやめてほしい」という抗議があったとの報道があった。

 

ドキュメンタリー映画で事実関係が違うというのは大きな問題。監督は「表現の自由と国民の知る権利が損なわれる重大な問題」と主張するが、事実をもとにしたオリジナルのフィクションならまだしも、ドキュメンタリーで「事実関係が違う」のは大変なこと。記事を読むだけでも、本質的なところで登場人物の家族と監督との間に大きな齟齬があるのがわかる。表現の自由の問題とは少し違うような気がする。

 

遺族が贈賞と上映禁止まで求めるのには撮る側に対する感情的な問題が底流にあるように思う。残念なことだ。このブログでも書いたことだからあとづけではないが、正直沖縄にかつてあった精神障碍者に対する「私宅監置」を扱ったこの映画、「つくりすぎ」の感の強い映画だった。文化庁が優秀賞に選んだのも意外だった。

 

 

閑話休題

帰国事業で思いだすのは吉永小百合主演の『キューポラのある街』(1962年 浦山桐郎)。この映画では北朝鮮への帰国事業はかなり肯定的に描かれている。日本の中で貧困と差別に押しつぶされるより、北朝鮮=夢の共和国で新しい人生を始めようという在日の人々の思いが、映画の中の出航のシーンに強く感じられた。

 

その後、帰国後の北朝鮮の実態が少しずつ明らかになっていくにつれ、北朝鮮への評価は否定的になっていく。その一つのきっかけが『凍土の共和国 ~北朝鮮幻滅紀行』(1984亜紀書房)だった。

 

戦後の在日の運動は1955年の朝鮮総連結成のあと、日本共産党から朝鮮人党員が離脱、金日成朝鮮労働党支配下にはいる。この時に考えられたのが帰国事業。1959年12月から84年7月まで続き、総計9万3340人が北朝鮮に渡った。そのうち、在日朝鮮人の妻、夫、子供として“帰国”した日本人は6839人にのぼる。画像13

 

そのほとんどが日本には帰れず、北朝鮮で亡くなっているという。『凍土の共和国』では、北朝鮮の貧困の実態が暴かれるが、独裁体制の韓国に比し、左派主体は北朝鮮を美化し続けてきたため(1970年赤軍派の一部は、北朝鮮への亡命を求めたよど号ハイジャック事件を起こした)これは大きな衝撃だった。浦山桐郎監督にも社会主義国家への憧憬が背景にあったのだろう。

 

 

熊本弁でつくられたタイトルが秀逸。意を決して・・・行ったわけだが、林恵子さんの北朝鮮行きには歴史的社会的しがらみはない。これは長年会えなかった北朝鮮にいる年の離れた姉に会いに行くごく普通の67歳の女性のドキュメンタリーである。

 

北朝鮮には中国を経て入ることができる。私もよろしかったら、と言われたことがある。

 

北朝鮮にしてみれば日本人受け入れは外貨獲得と独裁体制の風評を払しょくするための一つの手段。ある程度の目こぼしは容認されているようだ。

 

政治的な背景など全くない恵子さんと息子さんは、見るもの聞くものに素直な驚きを隠さない。これがすごくいい。何を見ても私たちはバイアスのかかった眼で見てしまうが、二人は違う。たしかに北朝鮮の地方都市の中流にあたるクラスの生活をする人々だが、つくられたイメージはまったくない。

 

恵まれた人たちだからこそ、金日成金正日のバッジを胸につけているし、バーベキューで歌われるのは、国を讃え首領様をたたえる歌で、そこに逡巡などない。

 

20歳離れた姉は、在日朝鮮人の男性に請われて北朝鮮にわたる。手紙のやり取りが続くが、その内容はいつしかお金やモノの無心が中心となる。

手紙の末尾の「はしたない姉より」という結句が切ない。

音信は途絶えるが、訪朝団が日本人妻に出会い、恵子さんのお姉さんからの言伝をもって帰国。恵子さんを探して、つながる。

 

常時監視がついてはいるが、出会いのシーンは何とも言えない。これぞドキュメンタリーの力。画像1

 

親子は帰国して、姉の友人の親戚を探す。同じように再会の場をつくってあげたいという思いからだ。

 

時間と風評は残酷だ。ほとんどの肉親が再会を望まない。それどころかもう来ないでほしいとも。

さらに再会を推し進めようとSNSで呼びかけをすると、わずかな反応のほとんどが「訪朝は自己責任、いまさら帰国など・・・」というもの。

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それでも落ち込まない親子の表情が少し痛々しい。北朝鮮の人々との生き生きとした交流を告げる親子に

「やらせだよ、そんなの」とこともなげに言う周囲の人々。

親子は口をつぐむ。画像9

ナレーションは語らないが、撮られたシーン一つひとつが、民衆レベルでの交流の重要さを十分に表していると思った。

もちろん、撮影禁止や監視や会見場所まで指定し、普通の民衆の生活を見せないといった北朝鮮政府の姿勢はあるにしても、実際に行ってみれば、そこからもれて見えてくるものがたくさんあることをこの映画が示している。画像15