東京新聞12月23日の朝刊で、10月に亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員の坪井直のお別れ会が22日、原爆資料館のホールで開かれたとの記事を見つけた。2段組20数行の小さな記事だった。
この日、被団協の代表6人は東京で岸田首相に対し、今年1月に発効した核兵器禁止条約に署名、批准することを岸田首相に求める署名657,174筆を外務省に提出したことが、中国新聞で伝えられている。これも3段組40行に満たない小さな記事。このことは東京新聞には載っていない。
長年、被団協のリーダーとして活躍された坪井さんのお別れ会同様に、65万筆を超える署名もただ事ではなく重要だ。この記事が東京新聞に載らなかったことが、些か残念ではある。
代表6人がどのような理由で外務省を訪れたのか、その事情は分からないが、本来なら首相官邸で岸田首相に直接手渡したかったのではないか。就任から2か月。岸田首相の印象は弁舌さわやかながら、安倍ー菅路線継承が見え見え。
彼は外務大臣時代に「外遊中に広島出身であるというと周囲の視線が変わる」と発言していて、常に広島出身をアピールする。「広島出身」は政治家としての彼の重要なアイテムになっている。
しかし広島出身は父親の文武氏であり、彼は渋谷生まれの東京育ち。広島に住んだのはわずかの期間。父親の選挙基盤を受け継いだ2世議員に過ぎない。
広島出身を僭称するのなら、それなりの働き方を期待したいがのだが、今のところどこを見てもその気配は見えない。
今年8月の平和記念式典では、菅首相の「読み飛ばし」が問題となった。原因は事務局の原稿の糊付けの「不手際」と首相周辺は発表したが、情報開示請求でそれが真っ赤なウソであることが判明した。
安倍にしても菅にしても、真夏の平和公園で突き刺さる視線に、早くその場を立ち去りたいという思いから、ずさんな対応になってしまうのだが、さて岸田首相はどうか。65万筆の署名が自分宛てに提出されたことについて「広島出身」の宰相としてどう受け止めているのか、訊いてみたいものだ。
もう一つ、広島のことを。
今日の「ヒロシマ通信」の添え書きに主筆の竹内良男さんが、次のように書いている。
ところで、「被爆者」という言葉、時にこのごろはカタカナでも表記されますが、それはいつからでしょうか? 原爆による「被爆」、放射能に曝されるという意味での「被曝」を正しく分けた上で「ヒバクシャ」のカタカナ表記は、すでに広島・長崎だけでなく世界中にそうした<被害者>が存在することを物語っています。第五福竜丸に乗っていた大石又七さんは今年亡くなりましたが、ずっと「被曝ではなく被爆」という表現にこだわっていたことを思い出します。
ノーベル平和賞の受賞式の演説の中でサーロー節子さんは「hibakusha」と使っていたが、この他に、今まで読んだ英文の中では、「atomic bomb survivor=原子爆弾の生き残り」も見たことがあります。ただぼくが一番ふさわしいと思うのは、「witness=目撃者」という表現です。そう、原爆というのは巨大な戦争犯罪なのであって、生き残った人々は、その犯罪の「被害者」であり、同時に「目撃者」のこと。<被害者>がいるなら<加害者>がいるはずです。犯罪ならば裁判の場で、検事がいて裁判官がいます。原爆のことを語る時、どうもこの「犯罪なのだ」という視点が置き去りにされてはいないでしょうか? (広島通信1176・1177号添付文書)
オバマ大統領は2016年に広島を訪れた時、スピーチを次のように始めた。
71年前の雲一つない晴れた朝、空から死が降ってきて、世界は一変した。閃光(せんこう)と火の壁が街を破壊した。そして人類が自らを滅ぼす手段を持ったことを明示した。
オバマ大統領の言葉は事実を曲げ、彼我の関係を文学的表現の中に曖昧化させたものと言える。互いの加害者性を問わない、いわばもっとも重要なことに「蓋」をしてしまった発言だと、私は思う。
その対極に竹内さんの主張がある。
原爆の被害を受け、生きのびた方々は目撃者。
そう、坪井さんは76年の生涯を世界で初めての核爆弾攻撃の「目撃者」として生きてきたのだ。
洋服を脱いで背中のケロイドを見せる坪井さんの姿が目に焼き付いている。