16日(火)「あつぎのえいがかんkiki」で2本、見た。
『この世界に残されて』(2019年製作/88分/ハンガリー/原作:ジュジャ・F・バールコニ/映画原題:Akik maradtak/監督:バルナバーシュ・トート/出演:カーロイ・ハイデュク アビゲール・セーケ/日本公開2020年12月18日)
ナチスドイツにより約56万人ものユダヤ人が虐殺されたと言われるハンガリーを舞台に、ホロコーストで心に深い傷を負った孤独な男女が年齢差を超えて痛みを分かち合い、互いに寄り添いながら希望を見いだしていく姿を描いたハンガリー映画。1948年。ホロコーストを生き延びたものの家族を失った16歳の少女クララは、42歳の寡黙な医師アルドと出会う。クララはアルドの心に自分と同じ欠落を感じ取り、父を慕うように彼に懐く。同じくホロコーストの犠牲者だったアルドも、クララを保護することで人生を取り戻そうとする。しかしソ連がハンガリーで権力を掌握すると、世間は彼らに対してスキャンダラスな誤解を抱くように。そして2人の関係も、時の流れと共に変化していく。
(映画ドットコムから)
ハンガリーは、第二次世界大戦の中ではナチス・ドイツの友邦として枢軸国の一翼を担った。56万人のユダヤ人の虐殺にも積極的に協力した。しかし敗色濃厚となった1945年ソ連が国土の大半を奪取、首都ブダペストも陥落。国土はドイツ、ソ連の戦いによって破壊され、ソ連軍によって多くの女性が強姦されたという。
この映画の中の時間は、第二次世界大戦が終わり、スターリンが亡くなるまでの7~8年が舞台となっている。
42歳と16歳の男女の関係が物語の中軸になっているが、ロリータ的な性愛には発展しない。16歳のクララはホロコーストによって家族を奪われた「傷」を抱えていて、世話をしてくれる大叔母にも反抗的だ。
生理が来ないことを心配して訪れた婦人科の医師がアルド、42歳。彼もまたホロコーストによって家族を奪われていた。
「お母さんも生理不順だった?」とアルドが過去形で聞くと、「お母さんはまだどこかで生きている」とクララは答える。
反発しているかに見えるクララが、自分と同じ悲しみのにおいをアルドに感じるところが物語の始まりなのだが、終始一貫してこの二人の言葉にならない感情の縒り合わせがこの映画の真骨頂。父娘のようでそうでもない、もちろん恋人同士でもない、しかし互いに上手に距離感も保てず、嫉妬心を持て余すような関係。
ハンガリーは戦後、ソ連・スターリンの支援を背景にハンガリー勤労者党が一党独裁の政治体制となる。スターリン主義者の党首ラーコシ・マーチャーシュは、党になびかない反対勢力の粛清を徹底的に行う。秘密警察の跳梁である。
アルドの友人も、家族を守るために入党を決意する。会話の時に様子に盗聴が日常的に行われていたことがよく表れている。
そうした政治体制が二人の関係にも暗い影を落とす。
重苦しいが、静かな映画である。つくり手が歴史の中にじっくりと登場人物を造形している。時々の二人の表情から読み取れるものは何かとスクリーンに集中させられる。
スターリンの死去が伝えられる1953年、終戦でも終わらなかった独裁体制が終わるかに見えるのだが、ハンガリー動乱を経てもなおソ連の影響は避けがたく、民主化は80年代後半のペレストロイカを待たなくてはならない。
そんな中、クララは明るい男の子と付き合い、アルドは診察に訪れたやはり戦争の傷をもつ女性と結婚する。二人の間に築かれている紐帯は、年齢など度外視したところで人が深いところで求め合うかたち、消すことのできないトラウマを抱えた人々の多様な支えあいの一つのかたちのように見える。クララとアルドが時間の経過によって変容していくほんのちょっとした表情の動きが見逃せない。
「歴史に翻弄された二人の男女の愛のゆくえは?」的な映画は日本にいくつもあるが、
こんなに静かな人と人とのかかわりを繊細に描いた映画は見たことがない。
今、この時代にこうした静かで内省的な映画をつくったハンガリーの監督に敬意を表したい。
なお原題の「Akik maradtak」は、「誰が泊まったのか」という意味。ぜひ映画を見てこのタイトルについても考えていただきたい。