文科大臣「規模を縮小してでも学校行事を実施てほしい」コロナによってどれほどの制約を受けながら、日々の学校が営まれているのか、この大臣は想像したことがあるのだろうか。 規模を縮小してでも・・・。 簡単に言ってくれるよなあ、と1、2年教員をやった人ならため息をつくだろう。

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あるがままのアート展から


感覚的、良心的多数派?の立場にうまく乗っかって、上手に点数を稼ごうとする人はどこの世界にでもいるものだ。

お茶の間の人気者?尾木ママこと尾木直樹という人のコメントを読んでいると、なんとまあ巧妙なことと思う。子どもや親の立場にすーっと身をずらしてコメントする。よく読めば毒にも薬にもならないようなことを言っているだけなのだが、少数派の親や子どもはとっても反論しにくい。こういう人もいるんですけど・・・という声は彼には届かない。大事なのはいつも良心的な?多数派。

マスコミはいつでも気軽にコメントしてくれる便利な人が必要だから、この人を多用する。最近は教育に関わりがなくてもこの人のコメントをのせると受けがいいようだ。

なんて云えばいいのだろう、ポピュリズム評論家?

 

今の文科大臣、萩生田某も人当たりがよくて、物分かりがよさそうに見える。安倍、加計とともにビール片手にバーべキューをやっていた人。あの笑顔からすると、人付き合いもいい人のようだ。

その大臣、つい先日こんな発言をしている。

 

https://www.asahi.com/articles/ASN94538SN94UTIL012.html

 

まとめれば、

「学校の先生方、来年3月末までに、規模を縮小して子どもたちが楽しみにしている学校行事を実施してもらえませんか」ということだ。

 

コロナの影響で、学校行事がことごとく中止となっている今、子どもたちも保護者にも、このままだと味気ない一年になってしまうという思いがある。小6や中3の子どもたちのにとっては、卒業アルバムに載るものはあるのかという危機感すらあるという。当の卒業式にだって保護者は出席できない。今までは祖父母まで出ていたのに。何とかならないか。

 

修学旅行など、コロナ以前から準備をしてきた行事もある。

雨で順延を繰り返し、結局中止になった運動会、今年こそ頑張るんだと目標にしてきた子どもたちもいるかもしれない。

 

そんな子どもたちの気持ちを汲み取って、規模を縮小してでもいいから、学校行事を実施してくれないかと、教育に関わる国のトップが云う。

 

どこがいけないのか?なによ、そのぐらいやってやればいいじゃない?と尾木ママなら云うだろう。

 

授業は大事だが、子どもの学びの足跡が残せるような運動会や文化祭も大切。

 

こういう言い方が情緒的だというのだ。

 

 

現場実態も考えずに、やみくもに授業時数を増やし、学校のなかに流れる時間を窮屈にしてきたのは誰か。

学校行事も部活も、そして学力向上も求められる現場の疲弊をつくった元凶は誰なのか。

英語や道徳の教科化、プログラミング教育、ICT教育、数限りない○○教育など何でもかんでも学校にぶち込んできたのは誰なのか。

 

「○○は大事だが○○も大切」 選択肢は二つなのか?

 

一番大事なのはコロナの感染を未然に防ぐことだったのではないか?

だから3か月も全国の学校は休校にしたのでは?

 

コロナによってどれほどの制約を受けながら、日々の学校が営まれているのか、この大臣は想像したことがあるのだろうか。

 

規模を縮小してでも・・・。

簡単に言ってくれるよなあ、と1、2年教員をやった人ならため息をつくだろう。

 

学校行事がどんなふうにつくられているか、この人は考えたこともないのだろう。

自民党の総裁選挙だって簡単に縮小などできないだろう。

いや、出来るか(笑)こっちはまともにやったら何が起こるか分からないから。

 

 

呑み屋談議も最近は少なくなっているのだろうが、ちょいと現場をのぞいて、安易な思いつきを云うのはやめるべきだ。

 

学校での感染はほとんどが家庭内感染だから…と大臣は云うが、縮小した行事の中から感染が起こった場合、大臣はどうするのだろうか。

 

3密を避けると言いながら現在の学校は、コロナ以前とさほど変わらない「密」の状況にある。

「いつクラスターが発生してもおかしくない」

という言葉を何人もの現場の教員から聞いた。

「せめて、分散登校のときのように子どもの数が半分だったら」

同じ授業を2回繰り返しながら、20人以下の授業の子どもの落ち着きと教員の目配りの行き届き具合を「夢のようだった」といった教員もいた。

 

「身体測定の結果、3か月で太ってしまった生徒がたくさんいる」

「もっと、からだを動かしていかないと・・・」と言いながら、「そうは云っても…」と口ごもるのが現場の教員だ。

 

そういう厳しいアンビバレントな状況に置かれている現場に対して、「規模を縮小してでも…」と口をはさむ文科大臣。

あえて言うが、彼は明らかに「当事者」ではない。現場への想像力を欠いたまったくの門外漢というべきだろう。

 

ポピュリズム評論家の言ならば聞き流しもできようが、文科大臣の言はそうはいかない。

 

中止という中で、それに代替するものをさまざまな工夫を重ねてやろうとしている学校がたくさんある。

よけいな口を挟まずに静かに現場の子どもたちと教員を見守ることが、今大事なことではないかと思う。