文部科学省、休日に教員が部活動の指導に関わる必要がない仕組みを整備する改革案をまとめる(8月31日)。はて、教員であるママパパの土日は、日本ではいったい誰のものなのか、まだ先行きは見えてこない。

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あるがままのアート展から


8月31日(月)

例年に比べて8月の平均気温が2.1度上がったのだとか(9月1日の新聞)。

少しでも早めの方が涼しいかと6時半ごろに玄関を出る。

 

マスクをしていない散歩者が少しずつ増えてきているような気がする。

カワセミの姿を頻繁に目にするようになった。

カメラを構えている人を見つけると、レンズの先にはたいていカワセミの姿が。

 

シラサギの声を聴いた。姿に比して、声は美しくない。ギョエーと聴こえた。

 

ときおりアオサギが一軒家の屋根のてっぺんにとまっているのを見かける。

 

今朝は新築の真っ白い壁の家の屋根にすっくと立ったアオサギの姿。じっとして動かず、一点を見つめている姿は、どこか気品があって、この家に吉事をもたらす吉兆のように見えないこともない。

 

 

8月31日付 朝日新聞から

長時間労働に悩む教員の負担を減らすため、文部科学省が、休日に教員が部活動の指導に関わる必要がない仕組みを整備する改革案をまとめたことがわかった。今後、各地域にある拠点校で実践しながら研究を進め、2023年度から段階的に実施するという。

休日の部活動は教員の長時間労働の原因となっていたり、指導経験がない教員の大きな負担となっていたりする。このため、文科省の改革案では、部活動は「必ずしも教員がになう必要のない業務」とし、休日は「指導に携わる必要がない環境を構築する」という方向性を定めた。  休日は「地域部活動」として、地域の活動に位置づける。指導や大会の引率を担う民間スポーツクラブや、地域のスポーツ指導者、退職した教員などの人材を確保していく。一方で、指導を希望する教員は引き続き、指導できる仕組みにする。改革案は主に公立の中学校が対象だが、文科省は高校でも同様の取り組みをしていくという。

 

今日のTwitterで次のような記事。青山さん。

初任時、野球部主顧問だった。 土曜日の試合後、店で買い物をしていると偶然部員のママ2人が、「青山っていう先生、日曜の部活無くしたって。もっと練習して土日子ども見て欲しいわ」 その会話に割って入り、「お言葉ですが、中学校は休日の託児所ではありません」と言い放った私を褒めてください。

なかなか言えない言葉である。褒めたい。

 

教員は教育調整額(本給の4%)を支給する代わりに、超勤手当は支給されない。そもそも労働基準法の「時間外労働」という概念が教員にはない。改正給特法ではそれに代わるものとして「時間外在校等時間」という言葉が捏造された。

 

教員には月45時間、年間360時間(特別な場合は720時間)を上限として時間外在校等時間を認めるのだとか(改正給特法)。

「時間外勤務」と言ったとたん労基法37条の割増賃金の規定が適用されるが、寸止めの時間外在校等時間には1円の割増賃金も発生しない。

 

部活動も同じ扱いではあるが、こちらには手当てが出る。

おかしな話である。

教員には命じてよいとされる超過勤務が4項目だけ定められている。職員会議、行事、緊急時などだが、例えば進路指導や保護者面談、種々の生徒指導、家庭訪問などなどは対象外。挙げればきりがないほどの学校として必要欠くべからざる業務のほとんどの組対象からはずれている。

そのもっとも外側に存在する部活動(教員の義務ではなく、サービスとしてなされる。もちろん時間外勤務ではない)には、手当てが支給される。もちろん残業手当に比べれば微々たるものではあるが(とはいえ、コロナ以前だと月に10万円も稼ぐ人がいたという)。

おかしな話である。

昨年の中教審働き方部会は、記事にもあるように部活動は「必ずしも教員が担わなければならない業務ではない」とした。

担うべき業務には手当てが出ず、担わなくてもよい業務に手当てが出ているということだ。

 

ともあれ、土日は教員は部活動から解放されるというこの案、はたして現場ではどう受け止められているのだろうか。

 

部活動の対外試合のほとんどは、土日の休日か長期休暇に行われる。

平日に指導している教員が、土日の対外試合を外部指導者に任せるだろうか。

これは運動部に限らない。

吹奏楽部や合唱、演劇などのコンクールのある部活動も同様である。音楽系はとくに教員が指揮をするなどして直接指導をするケースがほとんど。

 

Twitter

教員の仕事は「定額働かせ放題」ではなく、「定額働きたい放題」ではないのか、

と問いかけるものがあった。

勿論「定額働かせ放題」こそが最たる問題などだが、こと部活動については「定額働きたい放題」が現実のありようを鋭く突いている。

 

部活動指導を教員の仕事の半分以上を占めていると考える教員が多い。

クラスの指導よりも部活動の指導に熱が入ると考える教員も多い。

 

どうしてわたしたちから土日の部活をとりあげるのか!

 

という声が学校のなかから出てこないか。

 

文科省は、「指導を希望する教員は引き続き、指導できる仕組みにする」

と云うが、これは希望する教員を別雇とするということか。

 

 

コロナ禍によって、日本の学校は大きく変容せざるを得なかった。長期休業以外で3か月も連続で学校が閉鎖されることは明治以降の近代教育の中ではなかったことだ。

全国的に修学旅行や運動会が中止される、卒業式や入学式に保護者が出席できない、そんなことは一度もなかった。

 

部活動もその影響を受けたはずだ。

ねじれにねじれている教員の働き方。文科省に財政的な裏付けがあるかどうかは別として、原則を通そうとする方向と現場はうまく連動するのだろうか。

 

冒頭のコンビニのママたちは、「そうですよねえ。先生たち、土日も休めないなんておかしいですよね」と云うだろうか。

なにより教員が「土日は自分の時間」という当たり前のことを受け入れられるだろうか。

 

 

「土曜日のパパは僕のもの」

1956年のドイツのメーデーのスローガンである。

 

はて、教員であるママパパの土日は、日本ではいったい誰のものなのか、まだ先行きは見えてこない。

 

芥川賞受賞作

   「首里の馬」(高山羽根子

   「破  局」(遠野 遥)

を月刊文芸春秋で読んだ。

前者は私には難解だったが、記憶を語りつぐということの現代的ありようを突いていると思った。

後者は、自分との対話を優先する者が他者とどう繋がれるのか繋がれないのか、奇妙な男女関係を描いていて、読者に媚びるところがないのがよかった。

 

2作とも好きかと聞かれれば肯んじないが、才能ってこういうものなのかとも思った。