教科担任制の導入をするならば、まず現在の「現場」をしっかりリサーチすることだ。 現場が何を求めているのか、真摯に耳を傾けることだ。

文科省は2021年から実施される大学入学共通テストで、英語の民間試験導入に続き、国語の数学の記述式問題の導入を見送った。

 

萩生田文科大臣は、自分の身の丈発言がオウンゴールとなり、見送りに拍車をかけた結果となった。

 

今世紀に入ったころから続く教育改革。最近は教員の働き方改革も含めてだが、多くの改革案が、現場を無視した政治主導でやられてきたのも事実だ。

今回の民間試験の導入や民間への採点の委託など、「民間活力」を利用するという方向が、一種の流行でもあった。それは自治体レベルでも同様である。

 

しかし、民間と言った瞬間、金が絡む。きな臭さが漂う。

 

今回の問題は、下村大臣の時の決定だが、有識者会議の反対などを押し切る形で、つまり政治主導で導入を決めたという。

そこに何らかの利権が絡んでいないか、気になるところだ。

 

それにしても、いったん決めた方針をこうしてギリギリのところで撤回するというのは、かっこ悪い。他省庁からみれば、文科は何をやっているんだ、だから三流省庁と言われるんだ、ぐらいの陰口は多いだろう。

 

しかし、政治は狡猾。

直後に萩生田文科大臣は、見送りを発表したその同じ日に、麻生外務大臣と会い、小学校の英語教員1000人の増員と高学年の教科担任制導入のための2201人の教員の増員を取りつけた。

これで得失点差はゼロになるわけではないが、多少ともマイナスを取り戻したというところだろう。

先日、「アンタが反社」と言われた麻生財務大臣も、文科省に対していつもは厳しい財務省が、大変だなあ学校もと言っておこぼれを授け、イメージダウンを少しだけ取り戻したというところか。

 

茶番である。

まず、こうしたかたちで予算問題をフレームアップするのはルール違反。

決めるのは国会であって麻生は提案をする方だ。

国会を通ってもいない予算を、まるで自分の裁量で付けてやったふうに見せるのは、狡猾な小芝居と言われても仕方ないだろう。

 

もうひとつ、英語教員の増員1000人。大きな数に見えるが、全国に公立小学校はいくつあるのか。

 

2019年8月段階で、19,378校である(文科省学校基本調査)。教員数は、421,936人。

 

英語教員を1000人増員したところで、その恩恵を受けない学校が、18000校以上あるということだ。もちろん、あとは単独措置で各自治体でどうぞということなのだ。エラそうに発表することでないだろう。

 

教科担任制についてはどうだろう。

 

現在、全国の5.6年生の総数は、2,169,638人

いろいろな措置が国や自治体にあるから一概には言えないが、一クラス35人と考えると、5・6年生のクラスは全国で62000クラス。

つまり全国には5・6年の学級担任が62000人程度いるということ。

教科担任制導入というからには、最低でも現在の定数からの増員が必要だが、2201人の増員が焼け石に水程度のものでしかないことはわかりきったこと。

記者会見など開くようなレベルでないことはもちろんだ。

 

ゼロよりいいでしょう?

というのはおかしい。

中教審は変形労働時間制もそうだったが、議論の精度がどんどん低くなっている。

教科担任制、見場はいいけれど、どれだけ実施の実効性があるのか。

たとえば、全国にかなりの小規模の小学校がある。中には児童数10名以下というところも。

逆に都市部ではマンション建設によって急激に児童数が増加するところもある。

 

そうしたアンバランスの状態に対し、現在の定数法を維持しながらわずかな増員をしたところで、政策の実効性はほとんどない。

教科担任制の導入をするならば、まず現在の「現場」をしっかりリサーチすることだ。

現場が何を求めているのか、真摯に耳を傾けることだ。

全国の小学校の隅々にまで届くような仕組みを考えるべき。

 

それをやらずに「反社」と「バーベキュー」が会見したところで、現場は何も変わらないのである。