歯を食いしばって働く教員は、歯を食いしばることを生徒に求めてしまうもの

 

9月も末になろうというのに、網戸にしたまま就寝している。時にはエアコンもつける。扇風機の掃除はもう少し先になるようだ。

 

年々、秋になるのが遅くなっている。

 

25日、大学の授業が始まる。いつの間にか4年目に。今年の学生は16人。初めての授業なのに、空気がやわらかい。この大学独特のものなのか。理由はわからない。

 

互いに自己紹介。とは言っても私は「問題意識」と称して30分。学生はひとり2分。半々。

66歳と22歳。この年まわり、親子ではないし、かと言って孫と祖父ほども離れていない。父母の年の離れた兄、伯父さんというところか。

 

男女ともにおだやか。ギラギラした感じがない。野球やサッカーをやっていて、教員になっても部活動をやりたいという学生は多いが、中に1人「高校の部活動にあまりいい思い出がないので」普通の中・高の教員にはならず、定時制通信制の教員になりたいと云う学生。

みながみな部活動にいい思い出を持っているわけではない。

周りがハッとするのがわかる。

 

部活動の顧問をやりたいがために教員になりたいという人がたくさんいますが、大学には「部活動実践演習」とか「部活動指導論」などという授業はないのはなぜだと思いますか。

 

本務ではない部活動を、無理やりに教育課程の端っこに引っかかるように学習指導要領に載せてはいるが、部活動を「本務」と言ってしまえば、教員の勤務は理屈の上で成り立たなくなる。中学の教員の6割以上が、過労死ラインを超える月80時間以上の超過勤務をしているのだ。

 

それなのに、保護者の部活動への郷愁は強い。部活動なしの学校なんてありえない、というふうなのだ。

 

部活動の加入率を自慢する校長も多い。加入率が高いと「落ち着いた学校」なのだそうだ。

 

部活動は生徒指導だ、と若いころ言われた。それほど部活動が盛んではなかった時期だ。

 

学校五日制以降、部活熱は高まるばかりだ。校舎や校門のところに「〇〇部〇〇大会出場」とか「優勝」などという垂れ幕や横断幕がどこの学校にも見られるようになった。誰のためのアピール?といつも思う。

生徒の励みになるのだという。そうだろうか。

 

勉強も塾も部活も一所懸命やる、という生徒が多い。

だから、疲弊して脱落する生徒も少なくない。

そういう時、「部活動は生徒指導だ」という教員は黙っていることが多い。それより「やめていくのは敗北」的な感覚の方が、生徒も教員も強いのではないか。一つごとを最後まで続けることが肝要という日本的な精神主義。運動部だけではない、吹奏楽部も同じだ。

 

どうして、そういう授業がないか、理由は?

 

正規の仕事ではないから、と小さな声。

 

分かっている。だけど部活がやりたい。だって楽しそうだし…。

 

教員はいくら残業しても残業手当が出ないことは知ってる?

教育実習で担当の先生は何時に出勤、何時に退勤してた?

休憩時間って学校にあった?

月に80時間の残業時間を超える人が60%もいるって知っている?

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教員の働き方について考える授業ではないけれど、これ抜きには授業は始まらない。

教員は生徒にとって最大の教育環境。

疲れ切った教員の後ろ姿を見て育つ生徒は幸せとは言えない。歯を食いしばって働く教員は、歯を食いしばることを生徒に求めてしまうものだ。

 

今年もあと14回、若者の生き血を吸いながら老骨はがんばる?(笑)。