夏の備忘録、あと少し。
8月27日(木)
長女から預かったらいの血統書には10年前の今日が「誕生日」であることが記されている。
朝、ふたりで「ハッピーバースデイ ディア らい」と歌ってやる。
犬に特別の感情などあるはずもない。何してんの?という表情。
間抜けな老夫婦である。
らいはいつもと違うことをしなくてはと思ったのか、毎度所定の位置にあるトイレでする排尿を今日は、私のデスクの下の厚手のビニールの敷物の上でしてしまう。
親愛の感情か?
時々こういうことがある。このメカニズムがよくわからない。
夕方、出かけようと玄関で日傘をもつ。外へ2,3歩出たところで戻って雨傘に持ちかえる。
黒雲が北の空を覆っている。
田園都市線藤が丘駅。7年通い続けた職場へ。通勤路を歩くのは6年半ぶり。
駅前は沿線の駅とは雰囲気を異にしていて、時間が遅く流れているような。白っちゃけた景色は変わらない。
所用時間は8分ほどだがだらだらとした坂を両脇の商店を眺めながら上っていく。
ダイニングバーだったお店は保育園に、和菓子屋は八百屋に、ケーキ屋は何かほかの業種に。
新しいお店も増えている。
閉所となった消防署の建物は跡形もなくなり、マンションになっている。
変わらないのは、ふとんや、スーパー、リハビリテーション病院、それと・・・
道路を隔てて向き合って立っているカトリック教会と創価学会の文化会館。
産業と言えば顰蹙を買いそうだが、宗教はやはり堅い。経営が苦しいとはきくが、神社やお寺が倒産したとはきかない。
道路が少し濡れている。雨が降ったようだ。学校の前の広大なもえぎの公園の緑が濃く感じられる。
OBとして今も校長職にあるかつての同僚への陣中見舞い。短い夏休みもとっくに終わり今週から2学期が始まっている。
玄関のチャイムを鳴らすと迎え出てくれる若い元同僚。
6年も経てば、ほとんどの同僚は転勤してしまっているものだが、まだ数人残っている。
16時。中学校の喧騒を感じない。わずかにソフトテニス部とバスケ部の生徒が活動している。
コロナの影響。部活動の時間もかなり抑制され、多くの行事が中止となったとか。
4人で、気が付けば1時間半のおしゃべり。マスクをしているせいか言葉が聞き取りにくい。
「耳が遠い」という状態はこういう感じなのかと思う。聴こうとして聞こえにくいことの頼りなさ。
学校の日常の大きな変化。
実際に聞いてみなくてはわからないことが多い。
新聞やテレビで分かったような気になっているのだが、個別の学校の個別の事情の違いは、想像よりもずっと大きい。
定年退職となって、学校を離れて6年半ほど。
私が在職した38年の間にはまったく経験したことのない状態が、すでに半年続いている。
はたして、今現場にいたとしたら、どう考えどう行動しただろうか。
戦後の学校教育の場でこれほど日常が切り刻まれたことは初めてのことだ。
一つひとつの事象の存続が無前提に保障されていたことと、突然それが断線すること。
それを直接アタマとカラダで受けとめる感覚というものは、ちょっと想像できない。
自分がコロナ禍の中の学校にほおり込まれたとしたら、自分の職業への思想的な向き合い方はどんなふうにそれと折り合いをつけたのだろうか。
帰り際、若い先生たちとわずかに交わした会話、その時のこちらの発した言葉にどこか腑に落ちていない表情、違和感が、いまだに気にかかっている。
ズレをズレとして、しっかり受け止めることか。
クルマで来ていたAさんは都合がつかなくなり、駐車場で分かれた。Tさんと二人、また歩いて駅まで戻る。二駅ほど乗って、いつものSで飲む。