境川の私たちが散歩する範囲では唯一の寒緋桜。早咲き。
モクレンやコブシが少しずつ咲き始めている。
土手には菜の花もぽつぽつと。
昨朝、Mさんが今年最初のつくしを見つけた。
大分の方言で”ずくぼんじょ”。つくしよりかわいらしい。
いくつも春の知らせを見つけるなか、午前中に”らい”が死んだとの知らせがあった。
突然だった。
LINEに、泣いている孫の腕に抱かれて眠るらいの姿があった。表情はいつものように穏やかなまま。言われなければ眠っていると思ってしまうような。
事情あって昨年10月にうちから「実家」に戻った。
大好きな飼い主、長女夫婦と2人の孫たちにかわいがられた5か月だった。
生まれつき心臓が悪く、こちらでも通院を続けずっと薬を飲み続けてきた。ときどき聞いてもこちらがつらくなるような咳をすることがあった。チワワやマルチーズに多いという僧帽弁閉鎖不全症だった。
ワンワンと鳴くことはほとんどなく、散歩をしていてもほかの犬を見かけると、私たちの後ろに隠れてしまう。穏やかさが取り柄の静かな犬だった。
みんなを癒し続けてきた10年間余りのいのち。
物心がついてきた孫たちは、3年半ぶりに戻ってきたらいの世話を熱心にしていたという。
孫たちは目の前で亡くなっていく命を前にどんな思いでいるだろうか。
辛いだろうと思う。喪失という初めて感じる感情は忘れられないものになるだろう。
2人暮らしの私たちは、3年半の時間をらいと暮らした。長い時間ではなかったが、生活は自然とらい中心になっていった。
2人の会話の糸口はいつもらいだった。
物言わぬらいにどれほど慰められたか。
この5か月、らいの不在は老人の日々の生活に大きな穴があいたように感じられたが、それでも孫たちにかわいがられていると思うと、あいた穴も少しずつ塞がっていった。
古希を前にした私たち2人は、今までたくさんの喪失を経験してきた。どれもこれも結構きつかったけれど、今2人で見つめるこの喪失はことのほかきつい。
Mさんは声を立てて泣いた。
たかが犬?そうだよね。でも
されどされど・・・”らい”なのである。