読み飛ばし読書備忘録③ 『余白の春』『ツリーハウス』『風葬』『ぷかぷか』

6月23日

沖縄慰霊の日。

来賓あいさつの安倍晋三、早く終わりたいと思っているのか、いつも以上に早口。言葉から意味が上滑りするのは、思ってもいないことを口に出さなければならないからだ。テレビで見ていてもヤジがはっきり聞こえてくる。現場ではかなりの迫力だろう。

摩文仁の丘も、雨。

 

午前中、つれあいの梅干しづくりの作業の一部を請け負う。毎年のこと。梅のヘタ取り。爪楊枝でヘタをつついて取り出す。約500個だとのこと。部屋中に梅の香が漂う。らいは床に広げた梅を不思議そうに眺めている。今日も曇天、時々小雨。

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読み飛ばし読書備忘録③
4月からの「読み飛ばし」、あと少し。


『ぷかぷか』(高崎明・2019年・現代書館)★★★★

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「ぷかぷか」は、障がいのある人たちと一緒に生きていった方がいいよ」
「その方がトクだよ」
と言い続け、そのことを実感できる関係をさまざまな形でつくってきました。そのおかげで『ぷかぷか』の周りには、障がいのある人はいて当たり前であり、むしろいた方がいいと思う人がたくさんいます。彼らとの関係も、上から目線で何かやってあげるとか支援するとかではなく、どこまでも「一緒に生きていくといいよね」「一緒にいると心ぷかぷかだよね」という関係です。
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何より怖いのは、そういった大人たちの思い込みがそのまま子供たちに引き継がれることです。排除・差別の再生産です。そんなことが子どもたちに引き継がれていくとき、社会はどんどん貧しくなっていきます。
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どうしてこういったことが起こるのか。それは小さなときから障がいのある人たちと健常と言われる人たちが分けられていることが大きな原因だと思います。障がいのある人人たちのことを知る機会ほとんどないのです。
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同じ社会にいながら、障がいのある人たちとおつき合いする機会がない、というのは、社会にひずみをもたらします。お付き合いがなければ、社会の多くの人たちは「障害者は何となくいや」「こわい」「近づきたくない」「社会のお荷物」「生産性が落ちる」などと思ってしまいます。そういう思いがさまざまな形で彼らを私たちのまわりの社会から排除してしまいます。
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「ぷかぷか」に来るとホッとする、というお客さんが多いのは、その息苦しい社会を反映しているのだと思います。
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こんなふうにして「ぷかぷか」は、仕事をしながら、障がいのある人たちと健常者と分けられた社会を今日もせっせと耕し、
「一緒に生きていくといいよね」
って思える社会をつくっているのです。誰にとっても居心地のいい社会です。
                            (あとがきから)
・・・パン屋(カフェベーカリー「ぷかぷか」)とカフェから始め、4年後に「おひさまの台所」(弁当、惣菜のお店、5年後に「アート屋わんど」(アートスタジオ)、8年後にカフェに変わって「ぷかぷかさんのお昼ごはん」(ぷかぷかさんと一緒にお昼を食べる食堂)を始めた。現在4店舗。「ぷかぷか」で働く障がいのある人(ぷかぷかさん)は開店当初は10名、9年たった現在は42名。スタッフは27名。
                           (巻末の著者紹介から)


*著者は元養護学校教員。退職して横浜の旭区での地道な取り組みを続ける。
「街を耕す」という言葉が印象的。

 

風葬』(桜木紫乃・2016年・文春文庫・単行本2008年)★★★★
「矢島の家が燃え川田親子と会った日以降、来ようという気持ちにもならなかった場所へなぜ今になって―自問するもうまい答えは浮かばない。/資材置き場も岩場に打ち寄せる波も、何も変わったことはなさそうに見えた。空の色をまっすぐに映して、オホーツクブルーが鮮やかだ。この穏やかな海のどこに、陰惨な出来事を包み込む場所があるのか想像もつかない美しさだった。/資材のすき間を抜けて断崖縁に立った。深呼吸をする。ぐるりと岬を取り囲む景色を視界に入れた。この海を美しく見るも見ないも自身の心ひとつというのなら、この世は何というあやふやなもので成り立っているのだろう。」                              (210頁)
*オホーツクの海に覆われた人々の思いがひとたび暴かれると…。拿捕とか遊郭とかマフィアという言葉がリアリティをもつ歴史と地理的特性。

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『ツリーハウス』(角田光代・2013年・文春文庫・単行本2010年)★★★★★
*西新宿の中華料理屋「翡翠飯店」。じいさんが死んだことをきっかけに、今まで互いに干渉もせず暮らしてきた家族に戦前からの長い歴史が横たわっていることに気がついていく。祖母と祖父の生きてきた満州とそこで得ざるを得なかった深い悔恨。現在の家族が過去への単なる踏み台ではなく、つながっているからこそ迫ってくるものがある。角田光代という人の中にはどれほどの物語が埋蔵されているのかと思う。

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孫と叔父とともに現在の中国を訪れた祖母ヤエは2人をそばにおいて、昔世話になった食堂の前で、江和になった人たちとは全く違う人たちに向かって突然語りかける。
「…日本に帰って私は恥ずかしかった。私も夫も恥ずかしかった。私も夫も逃げたんです。死ぬのがこわかった。死ぬのがこわいのはみんな同じなのに。でもみんな死んでいった。だれも逃げなかった。それなのに私たちは逃げた。そんなこと言えずに暮らしてきたんです。あなたたちのことだって忘れていた。毎日毎日のことでいっぱいで忘れてたんです。ここに来ることがもう一回あるなんて思いもしなかった。来てみたってあのころとはもう何もかも違う。知っているものなんて何もない。でもねえ、広場の木、あのおっきな広場を縁取るように気が植わっていて、それを見て、私思ったんですよ。逃げてよかったんだって。あなた方に助けてもらってよかったんだって。こんなに長く生きてはじめて思ったんです。何をした人生でもない、人の役にも立たなかった、それでも死なないでいた、生かされてきたんです。それでどうしてもお礼が言いたかった。よかったら置いていきます、この子でも、となりにいるもう一人、もうじいさんだけどけれどもおいていきますから働かせるなりなんなりしてください」(437頁)

 


『余白の春』(瀬戸内寂聴・2019年・岩波現代文庫・初版は1972年・瀬戸内晴美中央公論社)★★★★


発表は瀬戸内晴美名義。50歳のころの作品。今回、『金子文子と朴烈』映画化で重版されたが、初版は47年前。同じころに『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』を読んだ記憶があるが、この本は読んでいない。
朝鮮訪問も含めて全体に無駄な力が入らずに、史実に忠実に淡々と金子文子の生涯を追っている。
平塚らいてう伊藤野枝のような近代女性史に残るような人ではなく、企図したわけでもない大逆罪を引き受け、若くして獄死した金子文子。彼女の手記『何が私をこうさせたか』は別に触れるが、瀬戸内晴美の中で響いている金子文子の声はなんと魅力的で生への意欲が充溢していることか。鶴見俊介が云うように、無籍者として学校教育から排除され続けたことが、かえって彼女に驚くべき思想的な広がりをもたらせたようだ。
瀬戸内晴美が文子に語らせる。
「ええ、でもね、私、このごろ、自分でもよくわからないのよ。何かしきりに心がさわいでいるのだけれど、自分が何をしていいかわからない。このままじゃだめだけれど、それは苦労することなんかじゃないような気がするのよ。私何かやりたい。やらなければならない。でも、それじゃ何をすればいいかというと、漠然としてわからないの。本当に今、私は何をやるべきなのか。それを必死で考えあぐねている状態よ」
「もう少し説明してくれないとわからないな」
「私はこれまで自分の若さのありったけをかけて、苦労して、なんとしてでも偉い人間になりたかった。それを目標にして上京以来がむしゃらに生きてきたわ。でもこの頃、つくづくわかったのよ。今の世の中では苦労なんかしたって偉い人間になれるはずがないということを。いえ、それよりも偉い人間になんていう者ほどくだらないものはないということが。人に偉いと言われたって何になるのかしら。私は人にために生きてるのではないのだもの。私は私自身の真の自由と満足を得るために生きているのじゃないかと思ってきたわ。私は私自身であればいいのよ、私は…」(210頁)
文子18歳のころ。

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