10数年ぶりの川崎競馬場、K君と28年ぶりに会う。

5月17日、川崎駅から京急大師線のひと駅目、港町駅で降りる。この駅、読み方は「みなとちょう」。改札を出たところに美空ひばりの「港町十三番地」の歌碑がある。ウィキペディアによると

 

ひばりが生前好んで歌ったマドロス曲の一つであり、ひばりの故郷である横浜市と隣の川崎市が舞台になっている。

本楽曲のタイトルにある「港町」とは、美空ひばりが所属のレコード会社日本コロムビアの本社及び工場があった川崎市川崎区港町からとられている。日本コロムビア工場は2007年に閉鎖されている。但しその番地は九番地であり、十三番地ではないが、歌詞では作詞の石本美由起が語呂の良さから十三番地にした。

こうした縁もあり、京浜急行電鉄2013年3月1日に本曲の歌碑を大師線港町駅に建立。ひばりの等身大の姿や実寸の手形とサイン、発売当時のレコードジャケットも描かれ、ボタンを押すと本楽曲を歌唱しているひばりの歌声が流れるようになっている。また、ホームへ上る階段には本楽曲の音符オブジェが設置され、ホームにはメロディー譜が描かれている。さらに、同3月2日からは同駅の接近メロディとなり(編曲は塩塚博が手掛けた)、港町駅は「美空ひばり一色」の駅になっている

 

 

コロンビアレコードがあったところは、地名は今も昔もみなとちょう、そして番地は九番地。「みなとちょうきゅうばんち」は語呂が良くないと石本美由紀が「みなとまちじゅうさんばんち」に。それを上原げんとが作曲した。

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1957年、私は産まれてはいるが4確かに歳。知っているはずもない歌なのにたしかに聞き覚えがある。今と違って歌手の数も曲数も限られていて、老若男女同じ歌を聴き歌っていた時代からか。

横浜出身の美空ひばり、ゆかりのものはいくつかある。その一つが宮川町にある。

日の出町JRAの馬券売り場の、道路を隔てた向こう側の寿司屋の前に、ステッキを持ったひばりの像が立っている。寿司屋は松葉寿司。最近はご無沙汰しているが、現役の頃はよく行った。亡くなった友人の行きつけの店だった。

まだ学校五日制が始まる前、競馬の好きだったその友人は、午前の勤務が終わると5〜6km離れた職場からジョギングでここへ。向かいで馬券を買ってお店に戻り酒を飲みながらテレビで競馬を見ていた。

勝つと、そのまま全額をお店に預けて、そこから代金を引いてもらっていた。いつも20万円ほど入っていたから、ごちそうにもなった。

呑まない時はそのままジョギングで職場に戻り、バドミントン部を指導していた。

小さかった美空ひばりがこの店によく遊びに来ていたという話を、寿司屋の主人から聞いたことがある。

話がそれた。競馬繋がり。実は昨日は港町駅で降り、川崎競馬に。

川崎競馬は馬場が近く迫力ある写真が撮れる。これもスマホで撮った。

競馬は10年ぶり。2013年の秋に大井競馬のナイターに同僚3人と行って以来。川崎はそれよりも数年前。もともとギャンブルに興味がなく博才もない。それなのにこの日、一人で出かけたのは卒業生がここに勤務していることがわかったからだ。

年賀状のやり取りからそれがわかり、あと1年で元の職場に戻るというので、一度出かけてみるかということに。

川崎競馬は、土地はよみうりランドの所有で運営は川崎市と神奈川県が担っている。彼は県の職員としてここに派遣されている。

第1レースはレースは14:45スタート  。着いたのが15時30分ごろだったので第3レースから馬券を買う。何の知識もないので、パドックを見て・・・・もわからない。馬名で行くかとも思うが、気に入ったのはアマノジャクという馬くらい。

あとは好きな数字。誕生日の2−7を中心に。

馬券を買うためにはマークシートに記入しなければならない。用紙はどっさり置いてあるが、鉛筆もボールペンもない。

売店で「ボールペンください」と言ったら、「3本セットです」と言う。いや一本で・・・「じゃあ200円でいいわ」と使い古されたのを出してくる。

競馬やるにはボールペンは必携。

5レースまで馬券を買うが、かすりはするが当たらない。結局5000円の負けでとどまる。

ちょうどからだが空いたのかKさんが出てくる。ちょっと見ではわからない。彼によると28年ぶりとか。

挨拶もそこそこに競馬場内を案内してくれる。 

これが競馬場かと見紛うような貴賓席、パーティールームなど。自分ではまず入らないようなところを次々と見せてもらう。特別観覧席・リザーブシート 貴賓室 | 川崎競馬 KAWASAKI KEIBA ...

少しだけおしゃべりして再会を約束。彼は仕事に戻る。

さてもうひと勝負・・・とはならない。帰途は京急川崎駅を経てJR川崎駅へ。夕方のラッシュが始まっている。