『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』・・・「ところで、やはりオリンピックは、やってみてよかったようだ。富士山に登るのと同じで、一度は、やってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ。」(菊村到)

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二日ぶりの境川河畔散策。快晴。

鯉の恋の季節

月初めに鯉が川をさかのぼる姿を見た。つい先日は、鯉が水中から飛びがあるところも。

きょう、川のあちこちで何匹もが入り乱れる壮大なシーンが見られた。1昨年はよく見かけたが昨年はほとんど見なかった。そういうものなかどうか、わからないのだが。

 

昨日、久しぶりに外出。

と言っても、痛飲である、いや通院である。

7時過ぎのバスに乗り、鎌倉まで。病院到着は8時39分。検査、診察、入院説明、会計、昼食まで済ませて玄関を出たのが14時20分。帰宅は16時過ぎだった。9時間。こういうのを一日仕事というのだろう。

 

月曜日のせいか、かなり込んでいた。

気の毒なのは老人たちである。長い時間待たされて、今自分がどこにいるか分からなくなっている人もいる。

名前を呼ばれても、返事ができず、看護師がひとしきり探して戻ってきたところで、ゆっくり手を挙げる人。病院のスタッフもそうしたものとゆったりした対応を心掛けているようだ。自分の名前を呼ばれると律儀になるべく早くと急ぐ老人が多いが、「ゆっくりきてくださ~い。大丈夫ですよう」と声をかけている。

 

検査の前には必ず名前と生年月日を聞かれるが、外にいても大きな声で生年月日を言うのが聞こえることがある。大正15年〇月〇日!という大きな声には驚いた。かくしゃくとした男性。95歳か。

 

診察が遅いと苦情を言っている老人も。妻を連れて受診していると見えた高齢の男性、いつになったら診察してくれるのか、妻も疲れてきている、今日は介護の人が来るのだからと係に食って掛かっている。我慢しきれないのも分かる。

いつ名前が呼ばれるかわからないまま待たされるというのはつらいもの。

 私の後ろで入院説明を待っていた女性は具合が悪くなってしまった。

 

私もずいぶん待たされた。イライラもしたのだが、いくつもそうした場面に遭遇すると、自分などさしたる急ぎの用事があるわけでもなし、文句を言わずに本でも読んでいようと思う。

 

甘い胸算用では、10時過ぎには病院を出て茅ケ崎へ。乗ったことのないJR相模線に1時間揺られ横浜線橋本駅近くの映画館へ。川崎と橋本でしかやっていない映画『BLUE』を見るつもりだった。電車と映画の1日・・・不成立。

 

院内のローソンで弁当を買って食べる。ドトールでコーヒーを飲んだ13時過ぎには、方針変更、若葉町のジャック&ベティで『街の上で』の15時からが見られるかななどと考えていたのだが、これも結局不成立。

 

暇に飽かせて読んでいた本は、

『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』(講談社文芸文庫

文庫なのに1760円。

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1964年。私は11歳。記憶に残り東京オリンピックを文学者たちはどう見ていたのか。

まだタレントなどという人がほとんどいない時代、世相に対する批評やコメントは小説家たちの独壇場だったようだ。

掲載されたのは新聞、週刊誌など。

 

思いもかけぬ文章に出会う。

 

 優勝者のための国旗掲揚で国歌吹奏を取りやめようというブランデージ提案に私は賛成である。/国が持っている原爆の数が金メダルに数に比例するような昨今のオリンピックでは、参加者のユニットを国歌という形で考える限り政治性というものを完全に脱色する訳にはいくまい。

 

 オリンピックにあるものは、国家や民族や政治、思想のドラマではなく、ただ、人間の劇でしかない。/その劇から我々が悟らなくてはならぬ心理は、人間は代償なき闘いのみにこそ争うべきであり、それのみが人間の闘いであるということである。/祖の闘いこそ美し、まことに雄々しく荘厳である。

 

 民族とか国家とか、狭い関心で目をふさがれこの祭典でなければ見ることのできぬ、外国人対外国人の白眉の一線を見逃してしまうことも最も愚かしいことと思う。

                     (「人間自身の祝典」から)

 

 

 

1964年10月11日、開会式の次に日の読売新聞に掲載された文章の一部である。大げさな物言いは変わっていない。さて、これを書いたのは誰?

 

32歳の石原慎太郎である。こんなまっとうなことを言っていたことに驚く。

とはいえ、開会式では力みかえっていた石原、5日後には地金をのぞかせる。

 

10月16日の読売新聞には、

 

・・・優勝者への国旗掲揚と国歌吹奏の廃止を唱えるブランデージ提案に私は賛成である。なぜならば、こう他人の国歌や国旗ばかり仰がされたのではやりきれないから―。

                     (「欠けているもの」から)

なんだ、やっぱり・・・。

 

私が気に入ったのは、菊村到である。

ほかの作家が入魂の文章をものしようとしているのに対し、力が相当に抜けていて、その分本質に迫っているなと思った。

少しだけ引用する。

 

 オリンピックも、いよいよ、きょうで幕を閉じることになった。

 オリンピック、おりんぴっく、とあんなにさわぎたてていたのに、もう、終わってしまうのか、と思うと、なんとなく、あっけなく、はかない気がする。そういうところは、たぶん人生そのものに似ているのだろう。

 

 では、私は、こんどのオリンピックで、なにに、いちばん、感動しただろうか。そう考えなおしてみると、格別、心を動かされた、というほどの場面にも出会っていない。

 

 きょう、いよいよ、閉会式である。

 しかし、すでにいくつかのチームは、閉会式を待たないで、さっさと帰国してしまった。せっかく、オリンピックに参加していながら、最後の閉会式に、つきあわないというのは、すこし水臭い気もしないでもないが、みな、それぞれ、家庭の事情があってのことに違いない。

 むしろ、自分の出場すべき種目に、すべて尽くした後は、さっさと自分の国に引き上げて、さりげない表情で、本来の生活の中に帰っていく、というほうが、アマのスポーツマンの態度としては、本筋であるのかもしれない。

 

ところで、やはりオリンピックは、やってみてよかったようだ。富士山に登るのと同じで、一度は、やってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ。

              (読売新聞10月24日 「やってみてよかった」から)

 

57年後、「バカ」まで100日を切った。

毎日、聖火リレーというヒトラーが1936年のベルリンオリンピックでつくり出したイベントが、コロナの報道とセットで報じられている。

 

1964年の聖火リレーは、日本が長い間蹂躙した中国や朝鮮半島は素通りだった。

聖火は、返還前の沖縄を通った。

最終ランナーの坂井さんは、1945年8月6日生まれだった。

 

かつてのオリンピックは戦争の記憶を色濃く反映されたものだった。文学者の文章にも随所にそれを感じた。

 

 

バイデンも支持せず。じわじわと中止が見えてきている。

コロナだから中止ではなく、コロナがなくても中止、である。