『ヒトラーへの285枚のはがき』ラストシーンはあえて書かないが、彼らの命をかけた行為が無駄だったのかどうか、映画は問いかける。

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マンションのローズガーデンのバラ



昨日の続き。

薄暮シネマのまとめ】5月7 日~5月11日
★    時間の無駄だった。
★★   あえて見なくてもよかったけど…。
★★★  まあまあ愉しめたかな。
★★★★ 見応えあり。いい時間だった。
★★★★★ 素晴らしかった。時間を忘れて見続けた。

 

『パターソン』(2016年/118分/アメリカ/監督:ジム・ジャームッシュ/出演:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ/2017年8月日本公開)★★★</p>

 

なんともしぶくて、そして忘れがたい映画。

ただただ、バスの運転手で詩を書くのが好きなパターソンの、何気ない1週間を淡々と描く。

白と黒に拘るアーティストの妻はアート的にぶっ飛んでいて、かなりズレているが、パターソンは受け入れている。このずれとその間にいるブルドッグがいい味を出している。

パターソンは彼女の話に双子が出てくると、バスを運転していても双子ばかり気にかかる。

毎日、ささやかな出来事を詩に書くパターソンの一日は、ほとんど変化らしいものがないだけ、ちょっとの変化がとっても面白い。毎晩訪れるバーの客の様子やバーテンとの会話、日常の延長線上に起こるさまざまなこと。

人々の生活は実はこうしたもので、同じような毎日、繰り返される毎日、いざそれを日記に書こうとすると、日々のわずかな変化を取り出そうとしていることに気付く。繰り返しのように見えて繰り返しではない毎日。

見終わって、なんだったんだろうなあとぼーっと考えていると、あちこちの印象的なシーンが、今でもぽつぽつっと浮かんでくる。不思議な映画だ。最後の永瀬正敏とのシーン、どうだろうか。要らないような気もする。

 

日々の日常にあまりにしんどくてつらいことが埋め込まれてしまっている人々にとっては、たぶんたまらない映画だと思う。

 

『英国総督最後の家』(2017年製作/106分/イギリス/監督:グリンダ・チャーダ/出演:ヒュー・ボネビル、ジリアン・アンダーソン/2018年8月日本公開)★★★

 

最後のイギリス統治者として、インドのデリーにある総督の家にやってきたルイス・マウントバッテン。宮殿のように豪華な総督の邸宅では、ヒンズー教イスラム教、シーク教などさまざな宗派の教徒たち500人が使用人として階下で働き、ルイスと家族が暮らす2階では、政治のエリートたちが、独立後に統一インドを望む多数派と、分離してパキスタンを建国したいムスリムたちとに分かれ、連日連夜の論議を続けていた。そんな日々の中、使用人のインド人青年ジートと令嬢秘書のアーリアが、宗派の違いを超えて惹かれあうのだが……。インドにルーツを持ち、祖父母が分離独立の大きな影響を受けたというグリンダ・チャーダ監督がメガホンをとり、総督ルイス・マウントバッテンを「パディントン」のヒュー・ボネビル、ルイスの妻でインドへの愛情を示すエドウィナ役を「X-ファイル」のジリアン・アンダーソンが演じた。

                        (映画ドットコムから)

 

1947年、独立前夜のインドが舞台。物語は、イスラムヒンドゥーの男女が困難を超えて…、というものだが、それはそれ、うまくつくられている。

それにしても当時のインドの宗教をめぐるすさまじい闘い、今に到るインド―パキスタンの関係の始まりがよく描かれていると思う。

ネルー(私たちはのちのちネールと教えられたが、初代インドの首相)やガンディー、ムスリムを代表するジンナーとの激しい鞘当てを、印パそれぞれの独立というかたちで領導しようとするマウントバッテン。

誠実な人柄で誠心誠意ことにあたろうとするが、結局のところチャーチルが引いた絵図面を実行する傀儡とされ、傷つきながら去る。

そんな中、インドに住む人たちに誠実にあたろうとする妻のエドウイナ・バッテンのリーダーシップに驚かされる。

また、自分の思い通りに事が運ばないことに腹を立てるガンディーのふて寝の場面など、当時の様子をリアルに描いているのではないか。提督の住む宮殿内(豪壮この上ない)でのそれぞれの宗派をめぐる対立など今まで知らなかったことがたくさんあった。

 

知らず知らずのうちに浮かび上がってくるのは、宗主国のイギリスが、インパ独立後の戦後世界、ソ連との駆け引きを含め、冷戦のリーダーシップをとろうとして暗躍するチャーチルの政治的な動き。

内戦を仕掛けているのは結局イギリスであること、民衆はそう認識していることが、随所に出てくる。

 

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』(2018年/日本/115分/監督:
李闘士男 /脚本:坪田文/原作: K・Kajunsky (著)、ichida (イラスト)

出演:榮倉奈々安田顕)★★

つまらないわけではないが、115分かけて作る映画だろうか。どこか隔靴掻痒なところがあって、なぜ「死んだふり」をし続けるのか、わかったようなわからないような。人と人の関係の温かさのようなものはわかるのだが、いまひとつ腑に落ちなかった。

 

『リップヴァンウインクルの花嫁』(2016年/日本/180分/原作・脚本・監督:岩井俊二/出演:黒木華Cocco,綾野剛)<

 

前半、粗目(あらめ)の画面で動きがあり、物語も生き生きとしていて面白かった。かつての『スワローテイル』のような映画かと思ったら、後半まったく別の物語になっていく。つくっている方が自家撞着を起こしているような印象を受けた。いろいろな試みがあるのはよく分かる。役者もいい。りりいもいいし、なによりCoccoの演技が魅力的。黒木華もよい。ただ綾野剛のキャラクターが統一されていないのが・・・。いろいろなことを意図しすぎて成功していない、というかこっちが読み取れてないのだろうが。3時間、つまらないわけではなかったが・・・ちょっと疲れた。
 

ヒトラーへの285枚のはがき』(2016年/103分/ドイツ・フランス・イギリス合作/原題:Jeder stirbt fur sich allein(独)「誰もが一人で死ぬ」「Alone in berin」/監督:バンサン・ベレーズ/出演:エマ・トンプソンブレンダン・グリーソンダニエル・ブリュール/2017年7月日本公開)★★★★

 

ドイツ人作家ハンス・ファラダゲシュタポの文書記録をもとに執筆した小説「ベルリンに一人死す」を映画化し、ペンと葉書を武器にナチス政権に抵抗したドイツ人夫婦の運命を描いたドラマ。1940年6月、ベルリンで暮らす労働者階級の夫婦オットーとアンナのもとに、最愛の息子ハンスが戦死したとの報せが届く。夫婦で悲しみに暮れていたある日、オットーはヒトラーに対する批判を綴ったポストカードを、密かに街中に置く。ささやかな活動を続けることで魂が解放されていく2人だったが、やがてゲシュタポの捜査の手が迫る。主演は「いつか晴れた日に」のエマ・トンプソンと「未来を花束にして」のブレンダン・グリーソン。共演に「グッバイ、レーニン!」のダニエル・ブリュール。「王妃マルゴ」「インドシナ」などの人気俳優バンサン・ペレーズが監督を務めた。(映画ドットコムから)

 

映画全体の陰鬱な空気が最後まで続く。誰も笑うシーンがない。それでも最後まで見せる力のある映画、役者がそれぞれすごくいい。当時のベルリンの雰囲気、さもありなんというほどの街並み。監督の手腕だろう。

昨日の朝日の夕刊に州立校(高1)での歴史の授業が紹介されていた。年に4か月ほど充ててナチス政権時代の学習をするという。

生徒たちはナチス政下の「抵抗」の実例を学んだうえで、「無抵抗」から最も厳しい「抵抗」まで5段階の立場を選ぶ。

それぞれ自分の立場からどういう理由でその「抵抗」を選んだかを発表する。この議論が紹介されているが、これがすごい。75年経って右翼勢力の勢力の伸長もある中、ドイツの学校ではいまだにしっかりと『民主主義』の授業をやっている。

欧州の中心から欧州を侵略し、戦後同じ場所から贖罪を繰り返してきたドイツ、その歴史を忘れない取り組みだ。

抵抗の実例を学ぶ、というところまでも日本の歴史の授業はなかなかいかない。神様の視点のようなところから歴史を眺めるのが通例となっている。

 

ここで提示される抵抗のかたち。「米国の敵性音楽のジャズを聴く若者たち」「説教でナチスを批判をする聖職者たち」「ヒトラー暗殺を企てる軍人」などと同様に、この映画では、子どもを戦争で失った夫婦が、ヒトラー批判をはがきに書いて街のあちこちに置くというかたちの抵抗の話だ。

 

ラストシーンはあえて書かないが、彼らの命をかけた行為が無駄だったのかどうか、映画は問いかける。