観音寺の境川沿いの河津桜、今朝、つぼみが1つだけ開いてピンクの花びらを見せてくれた。
散歩の前に農家の大塚さんの販売所へ。こちらは歩かずにクルマで。何しろ野菜が皆出来すぎて重いのだ。
大根が太い。まるで三浦大根のよう。ネギも直径3㎝もある。やはり暖冬のせい。チジミホウレンソウが欲しかったが、凍っているとのこと。帰りに畑をのぞいてみると、たしかに。
人参に里いも、重くて手が痛くなった。
昨日夕方、卒業生のSさんと彩で会う。
2015年に出席した披露宴で顔を見たのが最後。その後、音信不通?4年ぶり。
現在ミシガン州デトロイトから40分くらいのところに住んでいるという。
32歳になる。不思議と波長が合うというか。卒業して17年になるが、何年かおきに5,6回、会った。
となりの団体の声が大きくて、Sさんの声が聴こえないこともあったが、気がつけば3時間以上、呑みながら話し込んでしまった。
次に会うのはいつになるか。
チョコレートのケーキと『僕はイエローで・・・』(ブレイディみか子)を交換した。
4日に久しぶり映画に。
『さよならテレビ』(日本/2019年/109分/配給:東海テレビ・2020年1月公開)
最後まで面白く見た。
『やくざと憲法』(2015年)をつくったクルーだという。面白い映画だった。
いちばんの印象は、ふだん「撮る側」「取材する側」が逆の立場に立たされると、みっともないぐらいおたおたするものなのだなということ。テレビに一番絶望しているのはこの人たちなのではないかと思えた。
その意味で登場人物は、ふつうの視聴率いのちの正規社員にしてほしかった。
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3人の社員が取り上げられるが、キャスターはともかく、派遣、契約社員の2人は、なんともうまくハマりすぎの感がある。落ちるところに落ちている。
ある日、いつ首を切られるともしれない派遣社員が制作の現場に。
どう見ても適性のない人に見えるのだが、ドキュメンタリーを撮る方からすればハマリ役に。
最後はクビになるのだが、その言葉、しぐさがみなまるで自然な演技と思えるくらい
できない社員をそのままに。
何度も、これは演技じゃないのか?と思った。
契約社員の方は、ジャーナリズムに対して社会正義を実践するものとしての原則的な思いが強く、あるべき論を延々と展開する。
自宅には、生活臭の全くないところに本多勝一や鎌田慧などの本がびっしり並んでいる。お金ではないんだと云いながら、正規社員でないことへの不全感が満ちていると私には見えた。
東海テレビに硬派な何かがあるかと云えば、そんなものはない。他局との視聴率競争、それだけ。
そのために人のすげ替えがどんどんなされていく。
それでもこの作品、もとはと云えばテレビ用のドキュメンタリーに40分のシーンを追加したものだが、よくもまあ東海テレビという会社が制作をOKしたものだと思う。
テレビ局のばかばかしさをテレビ局が描いた。
このことが最もテレビ的。
テレビは流すものが無いからひたすら余白のために埋め草をつくり続けている。だから空疎なのは仕方がない。
毎日のワイドショーを見ていると、さよならテレビ、と云いたくなる。
むかし、私が小さかったころ、テレビは、NHKだったと思うが、やっていない時間があった。
午後の昼下がり、スイッチを入れても画面は出なかった。
今テレビは、何も放映しない時間がつくれるか。
休んだら商売あがったり・・・だよね。結局、モノを売るためにしょうもないものをつくって流しているのがテレビということだ。
広告の価格をダンピングしながら日々の紙面を維持している新聞と同じ。
ダンピングして時間や紙面を売るなら、ページを減らした方が無駄がない。放送を止めた方がいい。
そうして見てもらえるものをじっくりつくればいい。
給料?それは下がるしかないし、介護の現場で働く人の給料に比べて法外すぎる。給料が高いからいいものがつくれるわけではない。下がれば質が下がるというものでも、もちろんない。仕事ってそうしたもの。
もう1本
『ボーダー二つの世界』(2018年/110分/R18+/スウェーデン・デンマーク合作
原題:Grans/主演エバ・メランデル、エーロ・ミロノフ・2019年10月公開)
カンヌ映画祭ある視点部門のグランプリ作品。
「ある視点」は癖のある映画が多いが、これもその一つ。
醜い容姿のせいで孤独と疎外感を抱える税関職員ティーナには、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分けるという特殊能力があった。ある日、彼女は勤務中に奇妙な旅行者ボーレと出会う。ボーレに対し本能的に何かを感じたティーナは彼を自宅に招き、離れを宿泊先として提供する。次第にボーレに惹かれていくティーナだったが、ボーレにはティーナの出生にも関わる大きな秘密があった。(映画ドットコムから)
これだけを読んでも、作品の説明にはなっているとは思わない。
スリラーか?と思えば、社会的少数者への差別の問題を扱っているようにも見えるし、ミステリーのようにも見える。愛の物語のようにも見えるし、クライムサスペンスのようでもある。
ティーナという主人公に同期させようとしているかと思えば、そうでもない。
なんとも不思議な、そして後味のすっきりしない映画。
ただつくり込む集中力と二人の男女の無表情さ(特殊メイクによる)が、マッチして作品に深みを与えていると思った。