右翼団体は拡声器で「そんなに嫌なら日本から出ていけ」と叫ぶ。 日本人なら文句を言うな。これって呪いの言葉。 日本人だから文句を言う。日本人でなくても日本に住んでいれば文句を言う。 文句の自由だ。

22日(火)。朝からけっこうな強さの雨と風。散歩は中止。気温は20℃を切っている。今年初めて。裏地のある紺ブレを着る。

 

今日は今年だけの祝日、だという。

 

ついでがあるというので、Mさんが駅まで送ってくれる。

今日は大学の授業日。休みではないというメールが来ていた。

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電車は空いている。

 

少し前の本だが、諏訪哲二氏の『教育改革の9割が間違い』(ベスト新書)を読む。立ち位置も発想も全く違っているからか、つい引き込まれる。

 

「子どもに合わせなければ教育は出来ない。

           子どもに合わせると教育でなくなってしまう」

 

は、現実を冷静に見つめる諏訪氏の認識をよく表した箴言

 

授業開始10分前。すでに4人来ている。

欠席1名。授業前にメールが入る。風邪をひいたのだとか。15名出席。

 

与太話で

「N本大学は即位の礼なら当然休みにすると思ったんだけどね」と云ってみる。と、最前列の本田圭佑にそっくりのT君、

「でも、法学部とか休みみたいですよ」。

 

学生数日本一のN本大学の総学生数はネットでみると68069人(2018年5月)だそうで、さすがにマンモス大学、こうした臨時の休日を休みとするかどうかは、学部ごとの判断のようだ。文理学部平常授業の判断の根拠は不明。「休まない」にこめるものがあったりするかな・・・。ないか。

 

どうでもいいことなのだが、日本の4年制大学で学生数の一番少ない大学は、東京神学大学の47人(762位)。来年度の募集人数は25人。入試はすべて小論文と面接だとか。

 

スマホの画面にニュースが何本も入る。国事行為(だそうだ)の正殿の儀が始まったと伝えている。

 

 

いつもは、討議や発表があるのだが、今日は最初から最後までほとんど私が話している。いかにも眠そうにしている人2人。午後2時40分から4時10分まで。起きている人を褒めるべき。

天皇は、

「国民に寄り添い、憲法にのっとり、象徴のつとめを果たす」と宣言したという。

 

 

先週まで、授業のテーマは「教員の働き方」。今日から「道徳の授業論」。近代学校の発足から徳育論争、修身、修身学が筆頭科目になり、1890年の教育勅語の制定へ。よく分からないが、いちおう説明する。

 

教育勅語への評価は、本学の佐藤秀夫さん(1934-2002)の見解を紹介する。一面識も何もないが、『教育の文化史』(1~4)というシリーズを持っている。うまく使えたためしがないが。

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教育勅語の基本的趣旨は、その冒頭における、天照大神に起源する(皇祖)歴代皇統(皇宗)の徳治と臣民全体のそれへの終始変わらぬ忠誠の関係、つまり皇国史観により捉えられる君臣関係を軸とする国家構成原理、すなわち「国体」にこそ、日本の教育の淵源が存すると規定したところにある」

また教育勅語に示されている徳目は

「歴史的にこの国の民衆の間に形成されてきた通俗道徳項目に過ぎない」として、重要なのはそれらの徳目が

「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられていたこと、すなわち、「日本における道徳は、すべて天皇制の発展に寄与してこそ、はじめて意味をもつということになっていた」

 

即位の礼

天皇皇位を象徴する玉座、高御座に昇り、新皇后は十二単で御帳台に登壇。高御座には三種の神器に御璽と国璽

 

「国民に寄り添い」というのに、いかにもな大時代的な小道具に大道具。

国民からは、大いにかけ離れている。

 

見た目は豪華で立派に見えるが、みな明治期に急造されたいわば寄せ集めの形式。中国や朝鮮の流れのものと日本のものを誇大に折衷したものだろう。前の天皇は、「桓武天皇の生母が百済にゆかりがあると続日本紀に記されている」と話したことがある(2001年)。

 

言葉とは裏腹に、秘儀めいた儀式を踏襲する新天皇

憲法にのっとり」

は、おかしい。「のっとって」やるならば、それに即した簡素で分かりやすい儀式をなすべきだと思う。

 

高御座での宣言は、大日本帝国憲法ならばOKだけど、日本国憲法には整合しない。

 

 

 

 

中学では今年2019年度から「特別の教科道徳」が始まった。道徳の教科化である。

目のまえの学生は、現場に出れば、すぐにも道徳の授業をしなければならない。授業だけでなく、一人ひとりの生徒への評価も。

 

今日は、小中学生の時の道徳について、文章を書いてきてもらっている。

 

「道徳って言えば、すぐに思い浮かぶものは?」

 

「がんこちゃん、ですね」と某君が云うと、みな相好を崩して同意を表す。

 

不明ながら初めて聞く名前。道徳と云えば、がんこちゃんか。調べてみた。

小学校低学年向けのNHKの道徳番組「ざわざわ森のがんこちゃん」のことだそうである。「・・・都会から、まだ自然が残る「ざわざわ森」へ引っ越してきた恐竜一家と、その仲間達の物語」(Wikipediaから)で、ストーリーは分かりやすいが、内容的には深いらしい。

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このテレビを見るのが、道徳の授業だったという。

帰宅してMさんに「がんこちゃん、知っている?」と訊いてみた。

「知ってるよ。授業で使ってたよ」。

 

道徳の時間は、中学では学活や行事の準備などにふりかえられることが、かつては多かった。21世紀になったころから風向きが少しずつ変わってきた。

 

年間35時間の道徳を指導計画に基づいて実施することが当然あるかのように発言する教員が出てきた。

10年ほど前には「道徳教育推進教師」という役職を校内に置け、と文科省が定めた。これには「主幹教諭を充てる」というお土産もついた。

 

ほかに道徳で印象に残っていることは?

 

「心のノートっていうのがあって、いろいろ記入しました」

 

「心のノート」は、たしか2001年ごろ、7億3000万円を使ってつくられ、全国の学校に配られた道徳の副読本。

 

包装を解かないまま放置した記憶がある。200冊、配り忘れた。

 

心は誰にも見せる必要がない。心の中で何を考えようと自由。

エロいことだってなんだってOK!人間には妄想する自由だってある・・・。

 

よく授業でそんなことを言っていたっけ。

 

いつものように、なんだか締まりのない話で授業は終わる。

 

卒業後の進路についてひとしきり話していく学生が二人。

しかし、聞くだけ。教職大学院云々というが、私には想像もつかない。

 

世田谷線、一本見送って坐る。

また『教育改革の9割が間違い』を開く。

 

「・・・その〈正論〉から現実や世界を位置付けようとする。しかし、そんなことをしても社会や人間の複雑さに適応できないことはいうまでもない。人間や社会や世界は論理的でないからである。/ 日本を除く、東アジアの諸国が儒教に足を取られて、単純な人間観、社会観、国家観に封じ込まれて右往左往している。また、明治維新の成就と日本の戦前の失敗は、主として儒教朱子学に強い影響を受けたことに起因している。

                          (75頁)

 

「正論」と現実のすれ違いについて、なるほどと思う。『正論』は読まないけれど、「正論」はよく云ってきた。

 

三軒茶屋田園都市線急行に乗り換える。

空いている。坐れはしないけれども。

 

車中には、この国の天皇が変わって、今日その即位の式があったことを感じさせるものは、何もない。

いつものように、ほとんどの人がスマホを眺め、優先席にはイヤホンを耳に突っ込んだ若い子が坐っている。

 

雨は止んだようだ。

 

 

 

今朝、気温14度。とうとう秋の到来。

 

新聞には・・・。

 

昨日、即位礼に反対するデモがあった。デモ隊は、「税金返せ」「祝わない」などのプラカードを掲げて行進。右翼団体は拡声器で「そんなに嫌なら日本から出ていけ」と叫ぶ。

 

日本人なら文句を言うな。これって呪いの言葉。

日本人だから文句を言う。日本人でなくても日本に住んでいれば文句を言う。

文句の自由だ。

 

デモを見ていた若いカップル。

祝意ムードに水を差すんじゃないですか」

 

これもまたよし、とする。