『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(梯久美子)生きるために身を売り、文を売るというのではない、書くことそのものが生きることというところまで突き詰めた人生は、読んでいて息苦しくなるほどだ。

    梯久美子原民喜~死と愛と孤独の肖像』(岩波新書・2018)を読んだ。原爆の詩人原民喜の伝記である。

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    梯の著作は、少し前に『狂う人「死の棘」の妻・島尾ミホ』(2016年)を読んだ。島尾敏雄の妻島尾ミホという人物の、複雑で迷宮のような怪奇さに正面から勝負を挑んだ、鬼気迫る著作で、私は正直途中で「まいった」と思った。へろへろになりながらほうほうのていで最後まで読み継いだのを覚えている。梯という人は、大変な書き手であると思った。

 

  『原民喜』も、期待をして、そして半分身構えて読み始めた。
   わたしは原のことを『原爆小景』の詩人、『夏の花』の著者としてしか知らず、仕事の関係で広島市内の円光寺にある原家の墓を見学したことはあるが、ほとんどその人生について詳らかには知らなかった。ただ墓石をみたときに、妻貞惠が原爆投下の前年に亡くなっていることだけは憶えていた。

 

    梯は、46年間の原の生をその出生から丹念に追い、父との関係、兄弟との関係、文學仲間との関係をあたり、何より妻貞惠の在りし日の姿(1944年結核にて没)を、無口で痩身の原とともに豊かに浮かび上がらせている。

 

   原の文章が『夏の花』もそうだが、夾雑物をぎりぎりまで刈り込むような、まるで祈りのような端正さ、端麗さをもって書き継がれていったこと、それが原の生得的なものだけでなく、貞惠との間に形づくられた他者の介入を許さない独特の濃密な空間から生み出されたのだということが、よくわかった。

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   その濃密さの対極にあるような原の、通常の人たちとはかけ離れた対人関係への極端な萎縮、社会的世間的なつながりへの忌避、そうした生きづらさが書くことへの執着を支えていたということも。

   何も知らない幼児が、突然ぽんと世間の荒波にほおりだされたような、と思わざるを得ないほど、原には世過ぎ身過ぎの知恵はからきしない。そこまでの人ならば、通常の時代ならば、その才を見越して、実生活を補ってあまりある人々が現れるものだが、原の晩年は戦後間もなくの数年だ。妻はすでになく、実家は原爆禍の中、没落し、少ない友人も生きるか死ぬかの生活にある中、原は清貧のなかでただ純粋に「書く」ことへ執着し続けた。その意味で原は稀有の文学者と云っていい。生きるために身を売り、文を売るというのではない、書くことそのものが生きることというところまで突き詰めた人生は、読んでいて息苦しくなるほどだ。

 

   自ら命を絶つ前日、なけなしの遺品を整理し宛名を記す律義さには言葉がない。この本の惹句である「悲しみの詩人」という表現は、読み終えてみてこれ以上でも以下でもない掛値のないものだと思った。

 

   10代から読んできた『原爆小景』の詩人、『夏の花』の作家、原民喜に、もう一度しっかりと向き合わせてくれた良著だ。

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