2日目の夜は、6人で会食。中澤さんの友人が経営している流川のカウンターだけの小体なお店。椅子はすべて埋まり貸し切り状態。料理も居心地もよいお店。気がつけば結構な時間が経っていた。
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5月25日3日目。
途中、天守閣のところでカラスの襲撃に遭う。4,5回も頭上をかすめていく。知らずに巣の近くを通ってしまったのかもしれない。
8時30分。
平和公園から宮島まで船の定期便があって乗ったことがあるが、市内を船で回るのは初めて。
元安川の船着き場、雁木には4~5人乗りのモーターボートが待っていてくださる。便乗させてもらうのに、到着は私が一番最後。恐縮しながら自己紹介。
案内をしてくださるのはNPO法人雁木組のYさん。広島のガイドブックを執筆している方。雁木組は船で広島を案内する水上タクシーを運行する団体。
広島の川には、川べりに設えられた階段状の船着き場がいくつもある。雁木(がんぎ)とよばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%81%E6%9C%A8_(%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82)
写真はネットから拝借。
船が出るとすぐ原爆ドームの下を通る。
地面より2mほど下から見上げる。ビデオを撮っていたので写真はないが、初めてのアングル。インパクトのある威容。
旧太田川(本川)をさかのぼる。平和大橋を下から眺めて通り過ぎる。まさかこんなアングルを見るとは。
川べりはしっかり整備されている。Yさんのお話によると、広島市は市内河畔の緑地整備を毎年何キロと決めて行っているとのこと。長年広島に通ってきたが、初めてお聞きすることが多い。
サッカースタジアム建設のクレーンが見える。ここが旧陸軍輜重兵施設跡。ふん。
右手の土手はかつて原爆スラムが立ち並んでいたところ。
その人たちが移り住んだ高層の基町アパートが見えてくる。
5年前、岡ヨシエさんの弔問に訪れたのがここ。甥御さんご夫妻が応対してくださった。かたずけられた部屋がしんとしていたのが思い出される。
しばらく行くと山陽本線と山陽新幹線の鉄橋の下をくぐる。左手に崇徳学園。
北大橋をくぐると鳥のサンクチュアリ、無人の中洲が見えてくる。
アオサギの姿が見える。関東のものに比べてやや小ぶり。
このあたりからボートは右に折れて京橋川に入る。電車に沿って広島駅のほうに向かっている。
モーターボートのエンジン音は気にならない。お名前は存じ上げないが、高齢の男性がYさんのお話に合わせてスピードをコントロール。手慣れた操縦。
牛田大橋をくぐると右手に八剣神社。
福島正則公の時代、決壊した堤防をとどめるべく人柱を入れようとしたところ、福島公が「名案がある」として秘蔵の名刀八振りを土中に埋めたところ、暴れた水が止まったという。
一時は途絶えていたその故事をしのぶ踊りが、今では再興しているとのこと。
広島では有形無形の長い歴史、文化のほとんどが原爆によって破壊されてしまった。再建されたものも多いというが、他都市とは比べ物にならないほどさまざまな文化が毀損されたということだ。
右手に縮景園が見えてくる。
きのう波多野さんに案内された縮景園が見えてくる。被爆樹木も。
随所に雁木がある。その数300を超えるという。
川が生活そのものであったことがよくわかる。
原民喜の自宅にも雁木があった。
そこに一本の柳が残っており、彼の「永遠のみどり」が紹介されている。
ほどなく広島駅にさしかかる。
例のエールエールA館がみえてくる。
署名をお願いした方たちにも見てほしい。
↑ここにこれ↓を入れるのか?
もっといろいろなことをお聞きしたのだが、報告はここまで。1時間半ほどのツアー。
駅近くの雁木でおろしていただき、モーターボートととわかれる。
中澤さんと私は近くのケーキ屋さんへ。
名前は、失念。川沿いの素敵なお店、人気店とのこと。私もケーキをいただいた。
12時半には宇品港の船着き場につかねばならない。今日はあと半日、似島ツアーが残っている。
空はいよいよ青く、気温はうなぎのぼり。真夏のような日差しが照り付けている。