オンライン中澤晶子さんを囲む会 無事終わる。充実した意見交換の場。

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今朝は、早朝から曇り。風が吹ている。午前中、遅い時間から風雨が強まるとのこと。

 

写真は昨日載せられなかった海軍道路の桜。写っている怪しげな人物は私。もう一枚は、海軍道路歩道のタイル。

 

 

 

境川の水面には桜の花びらが舞い始めた。その間を縫うようにカモが動いている。

 

写真にはうまく撮れないのだが、河畔にはところどころに都有地の表示がある金網で囲まれているさほど広くない土地がある。

その一つに満開の桜の木が立っている。その下には一面に薄紫のハナニラが咲き、黄色いスイセンと、スズラン。誰も足を踏み入れないからこその風景。

 

昨日夕方からオンライン中澤晶子さんを囲む会。

広島、香川、福井、大阪、東京、横浜から20名が出席。使ったソフトは無料のGooglemeet。

スマホもまじってうまくいくのかどうか、始まるまで不安だった。結果として、お一人だけ、音声は聞こえるけれど、自分の声も画像も出ないという人がいたが、チャット機能を使ってなんとかフォローしてもらい、事なきを得た。

 

 

テーマは特に決めてはいなかったが、昨年出版された中澤さんの『ワタシゴト 14歳のひろしま』を中心に、ヒロシマをどう継承していくかについてさまざまな意見が出された。

再来月には広島修学旅行を実施する中学校の教員も出席。いくつかの学校の事前学習についてもお聞きした。

中澤さんはすでに『続・ワタシゴト』の執筆も終えていて、6月刊行予定で編集作業が進んでいるとのこと。今回は、被服支廠、中国軍管区司令部跡、似島レストハウスの4か所がワタシゴトの舞台になるとか。

 

『ワタシゴト 14歳のひろしま』のほうも、4月には3刷の予定だとか。

 

出席者全員が発言。いつもながら聴きごたえがあった。

年齢的には1歳(笑)から77歳まで。

 

欠席した方の中に、録音があれば書き起こしをやりますと言ってくれる人がいる。おかげで、中澤さんのお話、今年も皆さんにお伝えできる。

 

Googlemeetは、使用時間に制限がないというのが利点。今回はGoogleのアカウントを使ってもらったが、直前に友人のアドバイスがあり、どこのアカウントでも入れることが分かった。録画機能がない(あるのかもしれないが)ことや、9分割しか画像が出ない(適宜交代で画像が出る)ことはあるが、面倒な設定をしなくても手軽、気軽に使えるソフト。

 

授業では大学が有料で導入しているzoomを使っていたから、出席者全員の画像が出て(実際に使ったのは21人まで)、録画機能や画面共有、ホワイトボードなどの機能が使えた。

しかし、ごく当たり前のオンライン会議ならば、今回のもので十分。音声も安定していたので、手持ちのレコーダーを回して録音。リアルの時にはさまざな雑音が入るが、今回は私の部屋。雑音なしのきれいな録音ができた。

 

リアルの会議には全く及ばないが、これはこれでうまく使えばいい。なんでもオンライン、オンラインはコロナ禍下の重要な生活インフラ、などと言われるが、それは違うと思う。こればっかりだったり、これが中心になったりすると、大事なものを忘れがちになる。

たとえば「人を見る」ことが、カメラに勝手に制約されていることを忘れてはいけないと思う。

私たちは「人を見る」ときに、かなり複雑な作業をしている。そうして受け取る情報とオンラインの情報にはかなりの隔たりがある。

 

逆に制約された視点のほうが安心を生むということもある。よけいな情報はカットして、ごくわずかな情報だけ得て接したほうがいい関係というものもあるはず。

 

空間を超えて、遠隔地の人と話せるという利点も、会って話すためにさまざまな準備や時間をかけることの意味を否定するほどのものではない。

 

終わってみると、疲労感が残った。ホストだったこともあるが、なかなか画面から視線を外せないことが原因だろう。リアルの時には、適当に視線をはずしたり、よそ見をしたりしているもの。オンラインでも、適当に画像を切ったり、ミュートにすることも大事かもしれない。

 

「またやりましょう」と画面の中で手を振りながらお別れ。

 

ああ、一つ言い忘れたことがあった。

今回、中澤さんのお話の中に、平和公園の資料館のお話があった。現在開かれてる特別展、新しい図録のこと、学芸員のお話など。

 

ついこの間、24日の東京新聞中国新聞の記事が転載されていた。東京新聞には辺野古の状況を伝える沖縄タイムスなどの地方紙の記事を連載をするコーナーがある。

 

この記事、「移動自粛でも被爆知って」「臨時休館影響61年ぶり30万人台」とタイトルを打ち、2020年の入館者数が2019年の8割減であることを伝えた。

いいなと思ったのは記事内容だけではない。3つめのタイトルは白抜き。「原爆資料館入場者減」。

写真は資料館の入口の看板「広島平和記念資料館」とあるのだが、その写真のしたには「臨時休館と再開時期を知らせる張り紙を掲げた原爆資料館の入口=2020年5月26日)

記事と合わせて、3か所で資料館のことを明確に「原爆資料館」としている。資料館の正式名称をあえて外し「原爆資料館」。

 

 

まぎれもない原爆の数万点の資料を「平和記念資料」と呼ぶことで、こぼれていくものの多さ、大きさ。

 

今回、広島から出席した被爆2世の精神科医は、「母は、8月6日は早朝4時ごろお参りをしていました。平和公園の式典にはいきませんでした。あれはよその人たちが出るものと言っていました」。

 

自分の実感だけは、他人がどう言おうとずらすわけにはいかない。

同じもので、呼び方が違えば実体までもが変わって見えてくる。

 

正式名称は平和記念資料館でも、中国新聞は社として原爆資料館と呼ぶことにしている。

 

これにはどういう経緯があるのか。異論はないのか。市民の反応はどうか。

 

そんな話もしたかったし、伺いもしたかった。

 

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