影を撮るなんて。間違ってシャッターを押してしまう。消そうと思ったが、なんだかもったいないような気がしてとっておいた。
覚え書きなのに書いていないことのほうが多い。身辺雑記、見た映画、読んだ本、、気になった新聞記事・・・忘れていくばかりだ。
思いつくままに、忘れかかっていることを書いておこう。
『日本蒙昧前史』(磯崎憲一郎・文芸春秋・245頁・2310円・2020年6月)図書館で借りて読んだ。
おおかたは忘れたが、面白かった。1965年から1985年間に日本で起きた事件、大阪万博、日航機事故、グリコ森永、バブル・・・特定の主人公はいないが、それらのはざまで生きていた田中角栄や横井正一、五つ子、太陽の塔の目玉男、川端康成・・・あの時代ってこういう時代だったのかと振り返る。
「我々は滅びゆく国に生きている、そしていつでも我々は、その渦中にあるときには何が起こっているかを知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知る、ならば未来ではなく過去のどこかの一点に、じつはそのときこそが儚く短い歴史の、かりそめの頂点だったのかもしれない、奇跡のような閃光を放った瞬間も見つかるはずなのだ」
自分もあの時代に生きていたのだなと思い知らされ、あれ?自分は何者だったんだろうと考えてしまった。
『広島平和記念資料館は問いかける』(志賀賢治・岩波新書・946円・2020年12月)
著者は元館長。1978年広島市役所に入職。2013年3月退職。同年4月、広島平和記念資料館館長に就任。2019年3月までつとめる。
資料館が現在のようなしっかりとした図録など持たずに、集まった遺品すらまともに保管されてこなかった歴史などよくわかるが、オバマ大統領の訪問や1950年代なかばにこの資料館で行われた原子力平和利用博覧会などについては深く触れておらず、まして全国から修学旅行に訪れる児童・生徒などにも触れていない。
さらっと読み終わるが、大事なことが抜けているという感覚が最後まで残った。
1954年に第五福竜丸が被爆した直後、CIAと日本政府、読売新聞などが結託して開催した原子力平和利用博覧会は全国10か所、260万人の人を集めたが、その中心が広島平和記念資料館であったことは忘れてはならない事実だ。
76年のうちには、さまざまな政治的な動きに影響を受けるのは当たり前のことで、現在に至るまで原爆の惨禍を伝え続けている資料館の存在価値は大きな意義があるところだが、負の歴史もまた継承すべき。館内には確かオバマ大統領の折った折り紙が展示されているが、資料館は、オバマ大統領の式典への出席の姿、意義について歴上の出来事として正確に記録しておくべきだと思う。
長崎の資料館の名称が原爆資料館であるのに対し、広島は平和記念資料館。この違いは何なのか。平和教育、平和学習などと平和を冠することで見えなくなってしまうものがある。広島で見えなくなっているものとはなんだろう。