日曜日。気がつくと日曜日(笑)。
新聞の日曜版。「間違い探し」にクロスワードパズル。
つい2,3日前にやったような。
散歩に出かける前にMさんがつぶやく。
「今日ってビン・カンの日だよね」
ビン・カンは火曜日だよ。
”ゴミ出し”の種類でなんとか曜日の識別をしているのに。
それじゃビンカンじゃなくてドン・・・。
しかし間髪を入れず口撃が飛んでくる。
「最近なんだか一升瓶とか空缶とか多いよね」
答えに詰まる。
1週間も酒類の減りかたも瞬く間だ。
何もしていないわけではないのだが、ひっかき傷のようになにかしら残さないと何も残らない。いや、残さなくてはならないということもないのだが、ただ忘れてしまうというのも・・・。
広島から戻ったのが5月26日。もう2週間以上も前のこと。書いておこうと思いながらそのままにしてしまった。項目だけでも残しておかないと忘れてしまう。
メモふうに、簡単に。
5月23日午後、広島着。
タクシーでホテルへ。いつからか定宿になった女学院前のパシフィックホテル。早い時間なのに部屋まで入れてくれた。
午後いっぱいの時間を使って平和公園近辺を散策。
◆子ども図書館
全国でも珍しい子ども専用の図書館。児童用図書20万冊。広島ならではの施設。
実際に来てみて、静かなたたずまいがすばらしい。昨年から移転問題が持ち上がっていて、全国から2万筆を超える反対署名が集まった。移転計画は駅前のエールエールA館という商業施設の中にというもの。エールエールA館も見てみた。どうしてこういうところに?発想が理解に苦しむ。利便性といっても駐輪場すら近くにない。子ども図書館では緑陰読書会といったものを外で行っていたというが、市の役人はその代替措置としてエールエールA館の屋上にテント張ってやればいいと言ったという。
広島市はかなりヤバイと思う。
◆旧陸軍の輸送部隊中国軍管区輜重兵補充隊の被爆遺構
昨年、サッカースタジアムの建設予定地で、原爆で焼失した兵舎や厩舎跡などの被爆遺構が発見される。広島市は『遺構として見るべきものはない』として市民の反対を押し切り、保存しないことを決定。現在は幾本ものクレーンが動いていてサッカースタジアムの建設が始まっている。
サッカー優先、国際平和文化都市?ここでも広島市はかなりヤバイ。
◆原爆資料館(リニューアル後初めて)
ろう人形がなくなった。コンピュータによる原爆攻撃再現などビジュアル的には面白くなっている。
しかし、「軍都広島」が決定的に欠けている。
歴史記述も随所であいまいなものが目立つ。
被爆の背景を埋める想像力への配慮がほとんど感じられない。
残念だが、広島市はかなりヤバイ。
◆旧レストハウス。元大正屋呉服店、爆心から170㍍。原爆で建物は半壊。地下室にいて助かった野村英三さんが記録を残している。地下室は閉鎖されたまま戦後レストハウスとして使用されてきたが、2020年に地下室を整備して見学ができるようになった。
修学旅行では、いくつかの班の生徒が未整備の地下室を見学している。
児童読み物作家の中澤晶子さんがそこで野村英三さんの手記を朗読してくださった。
整備されたものを見ると、生々しさは消え野村さんの手記も「展示」の一部に。もう少し違うかたちでの保存はできなかったのか。
広島市のやり方はたしかに「保存」はしているが、想像力を刺激するような保存ではないことが問題。
やっぱり広島市はかなりヤバイ。
◆被爆遺構展示館
2019年の調査で平和公園の地下60~90㌢㍍に旧中島地区の77年前の住居や道路の遺構が見つかった。原爆攻撃の前の生活の痕跡が現われたのだった。
その遺構を展示したのがここ。今年3月26日にオープン。
入って1~2分で出てきてしまった。
たしかに遺構は見えるが、建物自体がかさ上げしてあるので、遺構の実際の深さが実感できない。まして3.2メートル四方の遺構から旧中島地区の人日の生活の痕跡など探りようもない。どうしてこうなってしまうのだろう。広島市の遺構保存の考え方がよくわかる。言ってみればアリバイ的?
広島市のヤバさもここまでくれば立派なもの。
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所やアムステルダムのいくつかの遺構保存を見たが、「残す」ということに対する哲学が根本的に違っていると思う。
「子どもたちにどう伝えるか」という発想が基本にないことが大きい。
子ども図書館の粗雑な扱いと通底するところだ。
◆国立平和祈念館
企画展『震えるまなざし』
ここは修学旅行で来るようになったころ、1994年の開館。地下につくられた死没者追悼空間は爆心地から見た街の風景をあらわしたもの。こけおどしではない静かな空間で、平和公園に来ると必ず訪れる。独特の音の響き、こだまもいい。
今回の企画展『震えるまなざし』は、被爆のいくつもの瞬間をカメラに収めた人たちについての展示。訪れる人が少ないため展示も動画もじっくり見ることができた。
広島の5月はカラッとしているが、いつも暑い。
この日も陽射しが強いうえに気温もかなりあがった。少し日に焼けた。
快晴でした。
5月24日(火)
6時に散歩に出る。平和公園方面1時間ほど。
帰りがけに今日の午後の会場となる紙屋町の会議室を確認。
戻って朝食、そして風呂。以前はなかった大風呂とサウナが新設(男子用のみだが)。
8時半、ホテルを出る。
横浜で買っておいた3日間、電車とバス乗り放題のフリー切符、いちいちスマホの画面に出すのが面倒。紙のほうが良かったと後悔。
まず向かったのは、
女学院前から乗ってみる。八丁堀で広島港行に乗り換える。
30分ほど乗って宇品2丁目の電停で降りる。
西側の小さな路地を歩いてすぐ。
もともとここは1911年(明治44年)に建てられた陸軍の施設の一つ、宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場だったところ。
軍都広島には、被服支廠、兵器支廠、糧秣支廠と陸軍の兵站を支える重要な工場があった。帝国議会や天皇の御座所まであった、いわば西の首都の広島。
裏庭からぐるっと回って正面玄関へ。
高齢のスタッフの方たちが外周の掃除をしている。
9時過ぎ。開館しているが、受け付けに人はおらず、見学者の姿も見えない。
フラっとはいろうとすると、係の女性が出てきてチケットを、という。
あれ?ここは無料だったのでは?
無料は無料だが、65歳以上の証明書を提示することになっている。
見た目が一番の証明書なのだが。
郷土資料館に改築される前(1983年)カルビーの工場だったそうだ。
展示内容には糧秣支廠だったことについては少しだけ。あとは一般的な広島の歴史。
ここももう少し軍都広島を前面に出した展示があってもいいのにと思った。
玄関北側の天井に、原爆の爆風のため鋼鉄製の垂木がすべて下向きに折れ曲がった。ライトが当たっているが、よくみないとわかりにくい。影が折れ曲がり具合を見せてくれている。
ここは、爆心から3.2㎞、最大風速およそ28m/秒、最大爆風圧およそ1.2トン/㎡を受けたものと推定されるそうだ。
再び電車に乗り、紙屋町方面へ戻る。原爆ドーム前を通り越して十日市町で江波(えば)行きに乗り換える。
けっこうな時間がかかって終点江波に到着。
11時前。歩いて往復30分ほど。見学時間を入れると、13時広島城は難しいと判断。撤退。
ここは柳田邦男の『空白の天気図』の舞台となったところ。気象だけでなく被爆関連の展示もあるので見たいと思ったのだが。
気象館の展示内容などのご案内 | 広島市江波山気象館公式ホームページ
いったんホテルに戻り、午後の資料をもって昼食。12時30分には待ち合わせ場所の護国神社の前に。
以下次回。