オトナのひろしま修学旅行、最終日である。
本日の集合時間は、9時50分。疲れも出てくる3日目。荷物の整理などにも時間がかかる。程よく遅い集合時間。
そうはいっても、昨日のことがあるから9時過ぎにはホテルを出る。
天気は上々。気温がぐんぐん上昇中。歩いてレストハウス。
昨日もこの会場、3階多目的室を使用したのだが、難はその使用料が高いこと。
小さな催しを開くには便がいいし、迷うこともない。だが、20人そこそこの部屋で
1時間3000円はどうだろう。そこに電気代が1時間80円。2時間使うと6160円。二日間で12320円(消費税1120円込み)。
私たちのような団体だけでなく、小学生や中学生が使うこともあるだろう。もう少しリーズナブルに使えるようにはならないのだろうか。
何度も広島を訪れていると、、ねえ、本気で広島に来てもらいたいって思っている?と言いたくなることがある。
もう20年近く前になるが、教育委員会を通じて私のところに、ひろしま修学旅行の詳細についてレポートを出してくれないかという依頼があった。広島市が修学旅行誘致のために横浜にくるという話だった。
当時は、秋葉市長の時代。まだ修学旅行誘致に前向きだった。
被曝体験継承担当課もつくられた。
そこの課長であった国本善平さんが、「お好み焼き平和学」と称して、修学旅行生の前でお好み焼きを焼きながら、広島の復興を語るというイベントを、夜の宿舎やっていた。準備には担当課の職員が来ていた。
きっかけは、中澤晶子さん宅でのお好み焼きパーティー。そこで、お好み焼きと戦後復興の話をしていた。これってなんか芸になりそうですねという話から、「お好み焼き平和学」が出来上がった。
横浜の中学はかなりの数と回数、國本さんのお話を聞いている。
この頃、広島は子どもたちを「迎えよう」という気概がまだ少しはあった。
いつだったか、東鴨居中の時のことだったろうか。原爆の子の像の前の全体集会に、秋葉市長に出席を要請したことがある。
横浜から来た200名の中学生に市長としての思いを語ってほしいと、校長名で市長室に手紙を出した。
ダメ元の思いだったが、返信があった。広島きてくださってありがたい。ついてはセレモニーの中で挨拶をしたいとあった。
驚いた。まさか一中学の要請に市長が応えてくれるとは思わなかった。
結果的には、急用ができたということで、市長の出席は叶わなかったのだが、代理として◯◯局長という方がこられて、市長のメッセージを代読した。その文章を学年だよりに再録したことを憶えている。
そんなことはあるにはあったが、それ以降も広島市が広島を訪れる小中学生に、さまざま便宜を図ってくれたという話はあまり聞かない。
全体で、班で、証言者の方からお話を聞くというとき、かつてのように芝生の上で語り部を囲んでまるくなって・・・ということができなくなる中、会場探しは大きなネックになった。
国際会議場も国立祈念館も原爆資料館も、部屋を借りる手続きはかなり早い時期だし、煩雑。そもそもキャパや数が少なすぎる。
今回、レストハウスがちょうど良い規模だったので借りることにしたが、正直20人を切る参加者で、この使用料は高すぎる。
9時30分前にはレストハウス到着。
「今日もよろしくお願いします」と受付に挨拶。すると
「もう開けてありますから」と。
昨日も開けておいてくれればよかったのに、と思ったが口には出さずに3階へ。
三々五々と参加者が集まり、会場を作る。しかし、10分前になっても豊永さんは現れない。
ご自宅の電話番号はお聞きしているが、携帯は知らない。ご自宅に電話をするが、お出にならない。
当たり前である。豊永さんは、2階の休憩室で待っていた。
10時前に私に携帯に豊永さんから電話が入る。私の番号はお伝えしてあった。
「どこにいるの?」
「いや、会場の方に。豊永さんはどちらですか?」
「私は、2階でずっと待っているのだけれど」
またやってしまった。いらっしゃらないなら2階を確認すべきだった。3階多目的室だけでなく、2階休憩室も貸し出しの対象になっている。
10年ぶりの再会は、なんとも気まずいものに。ひたすら謝る。豊永さんは2階休憩室を借りて話をすることが多かったようだ。
一緒にNHKの取材班と朝日新聞の記者、そしてユーゴスラビアからの留学生の女性が来られる。
NHKは、豊永さんの記録を撮り続けているようだ。
さて会の様子は、朝日新聞デジタル版をご覧いただきたい。
豊永さんのお話は、ご自分の被曝体験から在外被爆者支援運動にまで及んだ。たっぷり1時間半以上のスケールの大きいお話だった。詳しい内容は、あとで紹介する参加者の感想にゆずりたい。
豊永惠三郎さんを囲んで
豊永さんは、午後、もう一つお話をする予定があるのだという。87歳。大変なバイタリティだ。まだ70歳にもならない自分のていたらくが恥ずかしくなる。いつまでもお元気でご活躍ください。
皆で会場を片付けたあと、朝日新聞の記者の取材を受ける。記者は私の名刺を見て「先生のマンション、行ったことがあります」。
先輩の元記者の方が、私のマンションのどこかに住んでいるそうだ。この言葉にほだされて、ついついベラベラと話してしまう。時間は12時に近い。
13時、広島駅集合。その前にホテルに戻り、スーツケースを取ってこなければならない。
全日空クラウンプラザまで10分。スーツケースを受け取ってゴロゴロ転がしながら袋町の電停へ。
日差しが強い。電停の日除けは小さく、私のアタマには直射日光。クラクラする。
10分以上待ってようやくきた電車。今度はしっかり行き先確認。
空いている席に座って一息ついていると、肩を叩く人がいる。
妻である。本通りから乗ってきたようだ。向かう先は一緒。
12時50分。広島駅到着。新幹線口に出てコインロッカーを探す。
二人分の大きなスーツケース。
コインロッカーの入口のスタッフが、「大きいの、一つ空いているよ」
このスーツケースを持ってタクシーには乗れない。よかった。
ところが、使い方がわからない。コインロッカーって入れてお金を入れて鍵を取る・・
んじゃないようだ。
新方式。最後に出てくるのは、QRコードの書かれた小さな紙。これをかざすと開くのだそうだ。
タクシー乗り場に集まっている人たち、中澤さん含めて15人。
これから向かうのは、加納実紀代資料室サゴリ(交差点)。
豊永さんのお話で、今回のツアーの公式日程は終了したのだが、この日の午後は「自分の足で歩くひろしま」と称していくつか自由行動のコースを提示し、選んでもらうことになっていた。
一番人気は、「川から見る広島」で、水上タクシーを使って、市内を流れる6本の川のうち2本を実際に船で渡り、広島を「見る」というコースだったのだが、人数を確認して会社に連絡をしたところ、この日15日は干潮のため船は出せないとのこと。そうですかと電話を切ったのだが、そういうことなら、あらかじめ干潮でで船を出せない日を明示しておいてほしいと思った。
で、蓋を開けてみたら、早めに帰る人以外は、この「サゴリ訪問」に集中することになった。
タクシー4台分乗。
駅北側双葉山の中腹にあるレモンハウスという建物を目指す。
3台はなんとか到着したのだが。1台は迷ってしまう。15分ほど遅れての到着。
資料室を主宰する高雄きくえさんが待っていてくださった。
足を踏み入れた時、冷房が入っていて気持ちいいと思ったのだが、東南角部屋のここは風の通りがよく、エアコンは使っていないのだそうだ。駅よりも2度ほど気温も低いとか。開け放った窓から心地よい風が吹き抜けていく。
初めにこの資料室の来歴を高雄さんから伺う。
説明をしてくださる高雄さん
sagori-kanomikiyo-library.jimdofree.com
東京と箱根においてあった8000冊に及ぶ書籍と資料の全てが、ここに収蔵されている。
3月に開室して以来、資料整理の日々が続いているそうだ。
お話のあと、加納さんが出演している番組の録画を見せてもらう。
短い時間だったが、思い思いに書架の間を行き来し、書籍や資料を渉猟する。
中澤さんが、「赤田さん、ちょっと」と私を呼ぶ。
招かれて広げた資料を見ると、そこに松田雪美さんの名前。文章が載っている。
松田さんは、私が初めて広島へ来た時にお話を伺った方のお一人。91年にお会いした時は既に80歳を超えていたはず。その松田さんが40歳頃に書かれた文章だ。
加納さんは研究者として膨大な資料を残された。その中にはまだ未整理のものたくさんあるという。長い時間をかけて、ひろしまに向き合ってきた加納さんの仕事は、この後もここサゴリを中心に、大きな広がりを見せるのではないだろうか。
その一つの区切りが、この本だ。
高雄さんが出されている広島同人誌あいだ』3・4・5号を購入してきた。どの号も巻頭は豊永さんである。内容はかなり面白い。過去の広島、今の広島、未来の広島、縦横無尽に語られている。ぜひ定期購読を進めたい。コンセプトは
<あいだ>へゆく
<あいだ>をあるく
<あいだ>をみる
<あいだ>からみる
<あいだ>をまさぐる
<あいだ>をとう
再びタクシー4台に分乗して広島駅へ。
これでいよいよ解散。2泊3日の旅も終了。
拙いレポートもこれで終わり。あとは参加者の了解を得て、感想を載せていきます。