『愛しのアイリーン』リアルではあるのにリアリティはない。常に動いているのにどこか「静」のところがある。不思議な映画だが、印象に残る、なかなか忘れられないという点では、面白い映画だと思う。

    前号で書いたように、ひょんなことから愛しのアイリーン』(日本・2018年・137分・監督吉田恵輔・主演安田顕をみた。“ひょん”と云っても、いくつかのブログで触れられていて「みよう」と思っていた映画なのだが、評判はいろいろ、『寝ても覚めても』優先というつもりだった。

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 このポスターのシーン、映画の中にはない。岩男(安田顕)が、結婚式のタキシードを着て、無精ひげのないつるっつるの顔で出ているシーンなどないし、アイリーン(ナッツ・シトイ)がウエディングドレスを着ているシーンもない。

 鏡張りの、たぶんラブホテルのバスタブのように見えるが、水の代わりにおびただしい数のパチンコ玉。こんなシーンはない。

 カメラをみている二人は無表情。右側に“二人で歩む、地獄のバージンロード”のキャッチコピー。この一枚、映画の中にはないものの、秀逸なポスターだと思う。


 映画そのものもシュールというか、ドロドロの現実を前にしながら、どこか非現実的。原作はビッグコミックスピリッツに1995年から連載された新井英樹の同名漫画。

 

「日本(の農村)の少子高齢化」「嫁不足」「外国人妻」「後継者問題」といった社会問題に真っ正面から取り組んだ作品。特に「国際結婚が内包している種々の問題」に対して丁寧に描写されている。終盤にかけては「夫婦の愛情」「母から子への愛情」などにテーマが広がっていき、最終的には「家族の愛」が描かれた。

                      (ウイキペディアから)

 

この漫画は読んでいないが、映画は少なくともこのウイキペディアの説明とはかけ離れたものであることは間違いない。


 岩男は農家の長男。町のパチンコ屋に勤めている。農業を手伝っているふうもない。恋愛経験も結婚相手もなく、悶々とした日々を過ごしている(嫁不足)。

 母のツルは、、毎晩自慰を繰り返す岩男の部屋を覗くのが常となっていて、何とかして岩男に嫁を迎えたいがために奔走する(後継者問題)。

 職場の子持ちの女性に初めての恋愛とばかりに必死に求愛する岩男だが、『そういう熱いのって苦手』などといわれ、恋に破れる。


 地元から姿を消した岩男はフィリピンの嫁さがしツアーに参加し、300万円を払い、家族にも仕送りをすると約束し、フィリピン人女性のアイリーンを連れて帰国する(外国人妻・国際結婚問題)が、それはちょうど認知症だった父源蔵の葬式の当日だった(後継者問題・介護問題)。

 ツルは猟銃を持ち出してアイリーンを殺そうとする。

 はじめ二人はホテルを転々とするが、実家に戻ってくる。3人の生活が始まる。ツルはアイリーンが日本語がわからないことを言いことに“虫けら”と呼ぶが、アイリーンはアイリーンで負けていない。ツルの差別と悪意がすごい。

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 岩男はアイリーンとのセックスを切望するも、アイリーンは“初めてのセックスは好きになった人と”と拒否。岩男の悶々とした生活は続く。

 フィリピンパブに出入りするうちアイリーンは、フィリピン人と日本人の子どもである売春宿の女衒塩崎に会う。塩崎は、自分の出自に劣等感があり、アイリーンに対し結婚も売春もカラダを売るという点で同じだという。

 塩崎がツルと結託してアイリーンを売春組織に売ろうとするのを岩男が見つけて、追いかけ、猟銃で殺してしまう。ここでようやく岩男とアイリーンは結ばれる。しかし、塩崎の仲間のやくざに嫌がらせを受けるうち、岩男は極度の不安から誰かれなく性欲をぶつけ、暴走する。kinohana

 ツルは友達の左時枝(劇中の名前がわからない)が紹介する親戚の娘を岩男にあてがおうとするがうまくいかない。岩男は酔って山中をさまよっているうちに足を滑らせて死んでしまう。アイリーンは岩男を探して山中に入るが、木にナイフで書きつけられてあった「アイリーン」の文字を見つけ、同時に岩男の死体を見つける。


 必死に岩男を探すツルをアイリーンは山につれていき、岩男の死体を見せる。ツルは絶望し「自分を山に捨てろ」とアイリーンに命じるも、アイリーンのおなかに岩男の子どもがいることを知るとそれも断念する。

 こうして書いていても、“確かにそんな話だったけど、いやいやほんとにそんな映画だったっけ?”という感がぬぐえない。

 アタマの中には岩男がひっきりなしに連呼、絶叫する○○○○がこだまし、登場人物が少しずつ常軌を逸していって(そうでないのは、アイリーンとアイリーンの相談にのる近所のお寺の若い坊さんぐらいか。この坊さんも岩男は嫉妬に駆られて殴ってしまうのだが)、なんだかみな破滅の方向に向かっていく。

f:id:keisuke42001:20180926114953j:plain木野花

 

 

 ひとことで言えば“性と死”だろうか。社会問題云々と云っても、人間、最後はそれに集約されるということか。

 人は皆それぞれほどほどに真剣に生きているけれど、傍から見るとかなり可笑しくユーモラスに見えてしまう、そしてそのユーモアがどこか悲し気でもあることも事実だ。

 岩男のセックスへの渇望は異様なものに描かれるが、異様なのは岩男にはセックスが愉しいものと感じられてはおらず、職場の寡婦で子持ちの奔放な女性とのセックスもせっかく成就したにもかかわらず、愉しげではない。アイリーンとのセックスさえ、不安の中で最中に吐しゃしてしまう。

 ひたすらに連呼、絶叫しながら岩男はセックスに溺れているようで溺れておらず、どちらかと云えばどこまでやっても自分の中の空虚さが埋められないことにいら立ち、そしてあきらめているように見える。

 

 そして死。まず認知症の源蔵が死ぬ。岩男が死ぬ。左時枝が死ぬ。ツルが死ぬ。塩崎が死ぬ。

 死ぬことで多くの問題は“解決”する。解決しないのは遺産相続問題ぐらい。

 映画のそこここで、これはこうなるんじゃないか?という予想が次々に覆されていく。源蔵は認知症が改善するのではないか、岩男に安寧なセックスが訪れるのではないか、ツルとアイリーンはどこかで気脈が通じるのではないか、塩崎はアイリーンに惚れて助けてくれるのではないか、左時枝の親戚の娘真島琴美は岩男の自慰行為を見せられて去っていくが、もう二度と姿を現さなくてもよいのではないか・・・まだまだあるが、どれもみな覆されてしまう。この裏切られ感が快くないわけではない。

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 137分、かなり長いのだが、最後までみてしまった。すとんと落ちない所、宙づりにされているせいもあるのだが、役者の力、演出の力も大きい。ツルを演じる木野花の演技は、助演女優賞もの。左時枝との絡みなど唸らせる。職場の同僚吉岡愛子を演じる河井青葉、細身で折れそうでしなだれかかってくるような風を見せてはいるけれど…。塩崎を演じる伊勢谷友介もうまい。なによりアイリーンを演じるナッツ・シトイ、時には少女のように、時には成熟した女性のように、さまざまな表情を見せる。開き直って啖呵を切るところもいい。全編不条理でありながら、これらの演技に支えられて映画の決行を保っているところもあると思う。


 妙に甘ったるい音楽にも時々はっとさせられた。

 長岡近辺?のロケ中心、リアルではあるのにリアリティはない。常に動いているのにどこか「静」のところがある。不思議な映画だが、印象に残る、なかなか忘れられないという点では、面白い映画だと思う。