小説「美しい顔」(北条裕子『群像』6月号)にみる伝えることの「当事者性」について③   体験することだけが当事者性をもつわけではない

   作品の中では,津波にのみ込まれていく人々の様子,避難所の様子,死体安置所の様子など「私」の目を通してすさまじいディテールが語られる。しかし彼女が言うように「私」の眼を通して語られるほとばしるような言葉は,北条が見たものではなく,「思考」した現実である。その表現は,どこまでもリアルで冷徹である。想像力と表現力の深さは尋常ではない。 

   広島や長崎の原爆は,直後から始まるGHQによる報道統制によってその実相はほとんど知られることがなかった。実際に原爆が語られ始めるのは進駐軍が去ってからだが,そのあまりの悲惨さに口を開く人々は決して多くはなかった。戦後50年,60年,70年という節目に,沈黙を続けてきた被爆者たちが少しずつ口を開き始めた。

 しかし,たった一発の原爆の被害でありながら,被害者の体験は多様で,同じ場所にいた者であっても語られる中身が大きく違うものであることも多い。また,当時の様子を絵に描いたとしても「こんなものではなかった」と批判されることがある。実際に原爆投下直後にヒロシマに入った丸木位里(俊)の『原爆の図』ですら,そうした批判をまぬかれなかった。

 北条は,そうしたことと別次元で,自分が見た,経験した,追体験したといういずれの行為もない中で,突き動かされるように「3・11」を「私」の眼を借りて「思考」するのである。

現代においては,情報が単純に隠蔽され統制されるということはない。当初,情報のほとんどは無秩序に流されるが,いつまでも生の情報が視聴者にストレートに届くというわけではない。マスコミは記者が取材したものを漫然とは流さない。そこではあるベクトルが画策され,さまざまに色づけされたフィルター,たとえば絆や希望,助け合いなどの言葉によって「物語化された被災」が,時間をおかずに茶の間に届く。そこでは人間は,棒きれやごみのように折りしだかれたり跡形もなく粉砕されたりする存在ではなく,光をあてられた人物たちが,みな人間的な死を死んでいくように粉飾される。どのような操作を行おうと人心の安定を求める政治は貪欲に物語を求め,マスコミは自らその先兵を務める。

 自ら動くことをしないで,ただひたすらに「見る」側に固執する北条の中には,日々垂れ流されるそうした「物語」からしみ出てくる「得体のしれない不快なもの=憤り」が溜まり続けるのである。

 私も含めて多くの人々が,性懲りもなく繰り返される「物語化された被災」に倦んではいるのだが,あえてそれに対峙する立ち位置を取ることをしない。日々ずっと災害のことを考えているわけにはいかず,いつしか他人事として日常生活に戻り,忘却が始める。

   それでも良心的な人々は被災地の「現実」を自分の眼で見ようとして,ボランティアとなって被災地を訪れる。私たちは,ミニコミとしてのボランティア経験をさまざまなメディアを通じて見聞きすることになる。

   そこで伝えられる「現実」は,マスコミが流す「物語」とは一線を画してはいるのだが,また別の物語=「支援する・される」関係の中に収れんされる危険性をいつも孕んでいる。ボランティアと被災者の付き合いが人間として対等であることは間違いないが,同じ持たざる者でも,災害は人々を画然とわけてしまう。

    ある日突然,暴力的に「支援される」側に立たされた被災者にとっては,いつもかかわりは受け身であり,感謝の言葉とやさしい頬笑みを浮かべるというかたちでしかこの物語に参加できない。被災や避難のしんどさからすれば,「あれが欲しい」「こんなものいらない」という要求があるのは当然だが,ものではない『こころ』を強制してくる「物語」には,それはうまくはまらず,時としてわがままとか自分のことしか考えていないという反発や非難となって返ってくる。かくして同情や支援を素直に受け止める被災者,辛くてもけなげに生きようとする被災者像が押し付けられる。

    たとえ「現実」に近づいたとしても,こうした物語から抜け出ることは簡単ではない。

そうしてボランティアはいつか去っていく。その地に根を張って生きていくわけではない。時間が経てば経つほど,その「体験」は断片化し,「物語」化していく。自分の見た「現実」こそが現実であり,そこで得たなんらかの心的な体験が固定化していく。
北条は,そうした現実にコミットしない。参加せず,ただ「見る」ことからしみ出てくる「得体のしれない不快なもの」を言葉化していく。ここでは「体験したことがすべて」ではないのである。テレビや新聞でマスコミが垂れ流す「物語」の海に潜りながら,自分の思考によって事実らしいと思われるものを北条は選別する。「不快なもの」を吐き出したいという行為だ。それが彼女にとって小説という形をとったということだ。

   被爆者が高齢化し被爆体験の継承が危ぶまれている。被爆者のコピーのような継承は意味がないし,一面的な物語化もまた不毛である。それは「現実」に近づこうとしながら遠ざかるばかりである。いずれ3・11も同じ道をたどることになる。

   こう考えてたどり着いたのが伝えることの「当事者性」ということだ。北条はあえて当事者性を拒否した地点からこの「美しい顔」を書いたと云っているように思えるが,それはひとつのレトリックである。

   北条は「動かない」ことで,ひたすら自分の部屋でテレビを見続けることによって奪われる「当事者性」を取り返そうとしたのではないか。自分の中に何が溜まって溜まらないのか,その沈殿物はいったい自分にとってどのようなものなのか,そのことを突き詰めることそれ自体が,政治に対する当事者性ということではないか。

f:id:keisuke42001:20180621183442j:plain写真は中谷剛さん(この3月、私は初めてアウシュヴィッツを訪れ、中谷さんの案内で酷寒のアウシュヴィッツを案内していただいた。)

 

   それは,日本から数千キロも離れたポーランド国立アウシュヴィッツ=ビルケナウ平和博物館で,ただ一人の外国人の公認ガイドとして働いている中谷剛にも通じる。日本から訪れる見学者に対して中谷は資料の説明をするが,それ以上に彼自身をフィルターとして,現実のこの世界について見学者に問いかける。日本で,世界で起きている出来事について,あなたはどう考えているのか,どう生きているのか,と。アウシュヴィッツを経験していない何千キロも離れた極東の国の人間が,600万人のユダヤ人を虐殺したというホロコーストについて話し,伝え,問いかける。これもまた一つの当事者性ということではないか。

 北条裕子の「美しい顔」は,3・11という今世紀最大の惨事に対し,小説を書くということで当事者性を獲得したきわめてまれな作品であると思う。そして同時に小説や文学というものが,十分に「現実」と測り合える可能性をも示している作品であると思うのである。