小説「美しい顔」(北条裕子『群像』6月号)に見る伝えることの「当事者性」について②     3・11の中で奪われ続けた当事者性とは

「小説を書くことは罪深いことだと思っています。(略)それは被災者ではない私が震災を題材にし,それも一人称で書いたからです。/実際,私は被災地に行ったことは一度もありません。(略)あまりに大勢の被災者たちの喪失を想像することが恐ろしかったのです。(略)同世代の友人らはボランティアとして東北へ出向いていきました。(略)それなのに私は,終始,東京の狭い下宿で布をかぶってテレビを見ていました。時が過ぎるのを待っていたのです。(略)…状況が静まりかえってから(あくまでも静まりかえったように見えてから)その間に散々溜め込んでしまった何か得体のしれない不快なものを・・・それはおそらく憤りでした。自分だけが何もかも未解決にされたまま取り残されてしまったような・・・憤りが私の頬を打ちました。(略)私は思考を再開しました。なぜなら私は,私の不快さに「意味」を見出さずにいられなくなっていたからです。(略)」

 恣意的な引用で恐縮だが,この言葉とこの作品には,戦争や大災害など人々の想像を絶する記憶,継承すべきことがら,つまり「伝える」という営みが,どのような必然性から産み出されていくのかが示唆されているように,私には思われた。また北条が,自身がもっとも当事者性からかけ離れた場所東京の下宿において溜め込んだ「得体のしれない不快なもの」,その「意味」を小説として思考するという点で,「伝える」主体としての当事者性を獲得しているようにも思われた。

f:id:keisuke42001:20180621182836j:plain写真は北条裕子氏(ネットで公開されている写真から拝借しました)

 起きてしまったことは,時間の経過の中でさまざまにその表情を変えていく。だれもがその実相の全体性を把握することなどできないままに時間だけが過ぎていく。同時に私たちと災害,あるいは被災地,被災者の間には,いつも不要なさまざまな夾雑物が入り込んできて,目を凝らしても見えにくい状況がつくられていく。

   それは間違いなく政治的なアクションであり,多くの場合それらは私たちの中に「不快なもの」としてではなく,エモーショナルな部分に働きかけ,思考を停止させるようなかたちで入り込んでくる。そして結果として,私たちは忘却の方向に流されていく。 

   北条が「得体のしれない不快なもの」というのは,大きな意味でこの政治性のことなのではないか。そうして端的に云えば,それらの政治的な動きの最大のテーマは,見る側の人々から「当事者性」を奪い続けることだ。政治的な動きによって奪われる当事者性こそ,政治の好餌であることは言うまでもない。

   北条は,被災地にも出かけず,たった一人で「不快さの意味を思考」しながら小説を書く。そのことで,奪われ続けた当事者性を奪い返していたのではないかと思えるのである。

   その「政治」の中身について少し考えてみたい。