7月23日、一気に五輪翼賛体制に突入か。小中学生見学「コカ・コーラ社製以外のペットボトルは持ち込み禁止で、それ以外はラベルをはがして」。今日につながるろくでもない明日。

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東京オリンピックが、とうとう始まってしまった。

どんな開会式だったのか。東京新聞の一面トップ見出しは、

 

東京五輪 歓声なき開幕」

 

直前まで組織委員会はごたごた続き。消えていった人も多い。

 

「やめるのは簡単」と菅首相

 

簡単にやめられるのなら、すぐにやめればいいだけの話。

やめられない事情があるから、日ごとに大きくなる「中止」の声を無視し、歓声まで取り除いて開幕までごり押ししてきたわけだ。

 

コロナに打ち勝った証し、とはよく言ったものだ。

復興五輪?福島の人たちはハナで笑っている。

 

開催することで高まる医療ひっ迫の可能性。医療従事者に感謝するより、重症化するリスクを減らせ。

 

それでも始まってしまうと、マスコミは一気に五輪翼賛体制に突入する。

 

マスコミだけではない。学校もだ。

サッカーの会場となる鹿嶋市では小中学生限定で観戦することになっているらしいが、

学校から

「鹿島スタジアムに持ち込む飲料はコカ・コーラ製でお願いします」

との通知を出したという。

 

これは、9日に組織委が会場を視察したときに、担当者が各校の教職員に「コカ・コーラ社製以外のペットボトルは持ち込み禁止で、それ以外はラベルをはがして」と発言したのを受けての通知らしい。

 

なさけない。教員は、簡単に走狗になる。

 

市教委は恥の上塗り。

「誤解のある表現だった。市教委が求めたのはラベルをはがすことだけ」

それだって十分おかしいだろう。

 

スポーツは金になる。金にならないスポーツには意味がない。

産業革命によってスポーツの「価値」が見いだされ、政治と金が結びつく。

競争は人々を煽り、人々は競争を煽る。

 

コロナだからやるべきじゃない?コロナでなければやっていいのか?

 

コロナがあろうがなかろうが、「世紀の祭典」はやめるべき。

 

スポーツは人がたくさん集まってやればやるほど、からだに悪いものなっていく。

 

 

57年前の東京オリンピックに強い憧憬を抱く人は多い。

私は5年生だった。体育館におかれたで白黒テレビを見たのを記憶している。

戦後の復興の証とか日本再生の起爆剤とか、みなあとで刷り込まれたもの。

同じころの「三丁目の夕日」が懐かしがられるけれど、まだ人さらいや身売りがあった時代だったということが忘れられている。

 

刷り込みや忘却によってあまやかな思い出はつくられている。

 

そうなっていけないのだと静かに主張する人が57年前にはいた。

 

 

「・・・20年前のやはり10月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。位置も20年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押さえることができなかった。

 天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、滴米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。文部大臣の訓示もあった。慶応大学医学部の学生が、送る側の代表として壮行の辞を述べ、東大文学部の学生が出征する側を代表して答辞を朗読した。

 音楽は、あの日もあった。軍楽隊の吹奏で「君が代」が奏せられ、、「海ゆかば」「国の鎮め」のメロディーが、外苑の森を煙らして流れた。しかし、色彩はまったく無かった。学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き銃をかついでいるきりだったし、グラウンドもカーキ色と黒のふた色ー。暗鬱な雨空がその上を覆い、足もとは一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征く人々の行進に沿って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった。幼い、純な感動に燃えきっていたのである。

 オリンピック開会式の興奮に埋まりながら、20年という歳月が果たした役割の重さ、ふしぎさを私は考えた。同じ若者の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか。

         略

 きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。私にはそれが恐ろしい。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるのか、予想はだれにもつかないのである。

         略

 もう戦争のことなど忘れたい。過ぎ去った悪夢に、いつまでもしがみつくのは愚かしいという気持ちはだれにでもある。そのくせだれもがじつは不安なのだ。平和の恒久を信じきれない思いは、だれの胸底にもひそんでいる。東京オリンピックが、その不安の反動として、史上最大の華やかさを誇っているとすれば問題である。20年後のためにー永久にとはいわない。せめてまためぐってくる20年後のために、きょうこのオリンピックの意義が、神宮競技場の土にたくましく根をおろしてくれることを心から願わずにはいられない。

        (杉本苑子「あすへの祈念」共同通信 1964年10月10日付 

          『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』(講談社)から

 

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刷り込みでも忘却でもない自分の足もとから歴史をみようとする真摯さ。

文化勲章なんかもらう人でありながら、この歴史意識はどうだろう。

 

放射能の影響もなかったことにして、日本の夏は過ごしやすいなんて嘘で固めて持ってきたオリンピック。

こうして始まったきょうが、どんな明日につながっているのか、予想はだれにもつかないけれど、ろくでもない明日であることは間違いなのではないか。