スペイン戦は、いつもの起床時間と試合開始が同じだったからテレビをつけた。
前半1-0だった。ハーフタイムにチャンネルをかえて後半開始に気づかなかった。そうしたら2-1になっていた。
クロアチア戦は、試合開始は深い眠りの真っ最中。いつもの時間に起きるとPK戦で敗北を知る。
朝日、読売はもちろん、東京新聞までもずいぶんなスペースを割いてW杯を報じている。
テレビは各局試合よりもスポーツカフェや渋谷などをめぐって盛り上がりを伝える。いや盛り上がりをつくっている。
W杯一色。
五輪と同じ空気。いろいろあっても「とりあえずみんなで盛り上がろうぜ」的な雰囲気を率先してつくっているのはマスコミだ。
カタールまで行っている若い人たちが紹介される。1泊3万円以上という法外な値段の、テントのようなホテルに泊っているのに、みなテンションが高い。
「世界が、ドイツとスペインを破った日本はすごいと報道している」という報道も多い。
そこについてくるおまけが「スタジアムでゴミを拾う日本人」「ロッカールームをきれいに使い選手たち」の報道。
それ自体悪いことではないけれど、それほどのことか?世界で称賛されるのはきれい好きってことだけ?
日本の街にはゴミ一つ落ちていないとか、トイレはすべて洗浄機付きだとか、そういうのと同じ近視眼的日本幻想。ごみの落ちている町など日本にはまだいくらでもあるし、渋谷だって汚い。和式トイレだってたくさん残っている。
問題はその清潔日本幻想には、五輪同様、イデオロギーや政治という「汚濁」が含まれていないということだ。
修行僧のようにひたすらサッカーに打ち込む選手と、熱狂しながらもいったんゲームが終われば、立つ鳥跡を濁さずのように掃除をするサポーター・・・こういうのを誰が一番喜ぶのか?
官房副長官が「ベスト4まで残ったら国民栄誉賞を」というのを見れば、明らか。
敵基地攻撃能力容認、トマホーク500本、1,5倍の43兆円の軍事費増額、原発維持拡大、旧統一教会被害者救済新法、続々と根拠薄弱な大風呂指揮を広げる政権への支持率は急降下状態。
国民の厳しい眼をそらすにはW杯は格好の材料。スペイン戦勝利でも国民栄誉賞をあげたい!というのがホンネだろう。
カタールの人権問題に対するドイツ選手たちの口をふさでの抗議ポーズも、裏を返せばドイツの難民への非人道的な対応となって返ってくる。
政治的なことをサッカーに持ち込むことが政治的ではない。
W杯という存在自体が政治的なのだ。
だれがW杯という草刈り場で草を刈っているか?それを見れば政治も見える。
熱狂の裏でほくそ笑んでいる人たちを目を凝らして見るべきだ。
こんなお菓子屋がまだある。甘党じゃないのに、つい。