昨夜、日本テレビで『あん』を見た。
公開の時と合わせて3度目になるが、てらいのないいい映画だと思った。
3~4年前になるが、樹木希林が演じる「徳江」が住むという設定の、国立療養所多摩全生園を友人と訪れたことがある。
園内のレストランでビールを呑んで食事をしたのだが、そのレストランも撮影場所だった。
撮影時の記念の写真や衣装などが展示されていた記憶がある。
ドリアン助川の原作は読んでいないが、映画は他の河瀨作品同様、細部まで彫り込んだと言えるような丁寧なつくりで、なにより樹木希林が「あん」をつくるシーン、語るシーンがとっても良い。絵そのものが雄弁だ。
監督、河瀨直美のこだわりが随所に見えて、いい映画だと思った。
その河瀨直美、今、渦中の人に。
いや、公共放送のNHKが、彼女を渦中の人としないために必死で煙幕を張っているように、私には見える。
放送は見ていないが、12月26日NHKBS1で放送された『河瀨直美が見つめる東京五輪』という東京五輪公式映画を製作する河瀨直美に密着した番組での問題だ。
【YAHOOニュースから】
・・・(NHKは)後編の字幕の一部に、不確かな内容があったとし、謝罪した。番組内で「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という字幕に関して、「NHKの取材に対し、男性はデモに参加する意向があると話していたものの、男性が五輪反対デモに参加していたかどうか、確認できていないことがわかりました。NHKの担当者の確認が不十分でした」と説明。「字幕の一部に不確かな内容があったことについて、映画製作などの関係者のみなさま、そして視聴者のみなさまにおわびいたします。今後、番組内容のチェック機能の強化など、再発防止に向けた取り組みを進めてまいります」と続けた。
同番組は東京五輪の公式記録映画監督である河瀨直美さんや、映画監督の島田角栄さんら映画製作チームに密着取材したもの。映画の製作中に男性を取材した場面の字幕が、謝罪の対象となった。NHKは「番組の取材・制作はすべてNHKの責任で行っており、公式記録映画とは内容が異なります。河瀨直美さんや映画監督の島田角栄さんに責任はありません」とした。
【毎日新聞デジタルから】
制作したNHK大阪放送局の角(かど)英夫局長もこの日の定例記者会見で「真実に迫る姿勢を欠いていたと言わざるを得ない。あの字幕は入れるべきではなかった」と述べ、陳謝した。その一方で「捏造(ねつぞう)や、やらせではない」と従来の立場を崩さなかった。角局長は再発防止策として、番組の制作に直接関わっていない職員を立ち会わせて内容を点検し、プロデューサーやディレクターを対象とする研修を始めたことを明らかにした。
*いまさら研修か?
【Japanese trend portal siteから】
NHK側は再調査後、事実確認の不足、取材担当ディレクターのコミュニケーション不足や思い込みなどの勘違いがあったとし、事実を捏造するなどの意図はなかったこと、担当者の確認が不十分であったことなどと説明し、会見の中で河瀬監督や島田監督ら関係者、視聴者に謝罪を行った。
*謝る相手が違うのではないか?
【河瀨直美公式コメント】
昨年末、NHK BS1 スペシャルで放送された「河瀬直美が見つめた東京五輪」の番組内容に関して、昨 年、NHK大阪局より一部内容についての謝罪と経緯の説明がありましたので、これを受けて、自らの言葉でお伝えいたします。
五輪反対デモに参加していると紹介された男性について、公式映画の担当監督の取材において、当該男性から、「お金を受けとって五輪反対デモに参加する予定がある」という話が出たことはありません。
また、番組内で、担当監督が取材のまとめ映像を私に見せるという場面がありましたが、このまとめ映像にも、当該男性は含まれていません。
本番組においては、私は被取材者の1人ですので、事前に内容を把握することは不可能です。
今回のNHKの取材班には、オリンピック映画に臨む中で、私が感じている想いを一貫してお伝えしてきたつもりでしたので、公式映画チームが取材をした事実と異なる内容が含まれていたことが、本当に、残念でなりません。
現在は、6月の公開に向けて、たくさんの登場人物の、唯一無二な時間の数々と向き合いながら、鋭意編集作業を進めています。
映画を楽しみにしてくださっている皆様のもとに、この作品がお届けできるその時まで、真摯に創作に打ち込みたいと思います。
2022年1月10日 東京2020オリンピック公式映画総監督 河瀬直美
*あなたはほんとうに被害者か?
【これは捏造ではないのか?】
NHKは、テロップの内容について「確認が不十分」「字幕の一部に不確かな内容」があったが、「捏造する意図はなかった」と言う。しかし「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という二つの事実のウラを取らずにこうしたテロップを流したなら、ふつうこれを捏造という。意図があろうがなかろうが、客観的に捏造となっていることを認めないわけにはいかないのではないか。NHKは潔く捏造の事実を認めるべきである。
問題は、東京五輪に反対し否定する人々に対する憎悪がこの番組に関わった人々の背景にあることだ。その感情の発露がこうした形で、反対する人々のダーティーさを捏造することになったということだ。さらに言えば、番組を作成する人々だけでなく、もちろん「被取材対象者」にもこの感情は共有されていて、取材や編集の作業中にも強い悪意が満ちていたのではないかと想像するのだが、どうだろうか。
これほど「やらせ」などが問題となっているテレビ作成現場で、「ウラ」を取らずにモザイクだけかけて捏造テロップを流すなどということがそうたやすく起きるはずはない。そこにはもっとほの暗い「意図」があったのではないか。
次に謝罪についてだが、NHKは「会見の中で河瀬監督や島田監督ら関係者、視聴者に謝罪を行った」そうだ。これはおかしい。謝罪は、抗議を行ったデモの主催者にすべきでないのか。デモという合法的な方法で街頭で主張をした人々に対し、「お金を払ってデモの参加者を募っている」という事実無根のテロップを公共放送で流した責任は大きい。まずは、その名誉を傷つけられた主催者に謝罪すべきである。視聴者はそのあとでいいし、河瀨監督、島田監督については謝罪は論外。なぜなら問題のシーンはNHKのカメラマンがNHKのディレクターの指示で行ったものではなく、河瀬監督の指揮のもと島田監督が行ったものだからだ。自らある意図をもって撮影したものに対し、NHKのスタッフが河瀨監督側に何の相談もせずにテロップを入れたとしたら、河瀬監督側は番組そのもものを否定すべきだろう。捏造に最も怒りを覚えるべきは河瀬監督ではないのか。
両者の間にさしたる齟齬がないように思えるのは、NHKと河瀬監督の間に、この問題をなるべく早く収束させたいという水面下の合意があり、NHKの謝罪と河瀬コメントは平仄を上手に合わせた連係プレーのようにも見える。かたや謝罪し、かたやそんな些事より編集に専念したい、もうこの辺でこの問題は終わりにしたい、というところだ。
河瀬監督は「私は被取材者の1人ですので、事前に内容を把握することは不可能」と云う。しかし河瀬監督は単なる被取材者の1人とは言えない。繰り返すが、問題のシーンはNHKが撮影をしたのではない。河瀬総監督の指揮のもと島田監督が撮影をしたものだ。五輪公式映画の一端として撮影されたものに対し、NHKが勝手にテロップを流すこと自体が大きな問題であるし、表現主体としての監督の立場ならば、河瀬監督は「自分が作品として撮ったものNHKが勝手にテロップをつけるのはあり得ない」としてNHKに厳重に抗議すべきなのだ。
そうならずにデモの当事者には何の謝罪もせずに、取材者―被取材者の間で「なあなあ」で終わらせるのはどう考えてもおかしい。
実は河瀬監督はじめ公式映画制作グループの中には端から、五輪に反対する人々、否定的な言辞を繰り返す人々に対する憎悪があったのではないか。番組作成過程の中にこの感情が共有されていたからこそ、いかがわしい人物に対して取材を行い、瓢箪化コマのように飛び出した「ネタ」に飛びついたのではないか。
まっとうに五輪に対する人々の動きを取材しようとするなら、まずはデモの主催者に会うべきだし、デモそのもの、デモの参加者に撮影するのが筋でないのか。そうせずにこのシーンを撮ろうとした「意図」はなんだったか、ということだ。
そう、このシーンに飛びついたのは、実はNHKの取材陣より河瀬監督をはじめとする「公式映画作成陣」だったのではないか。わが意を得たりとばかりにテロップにGOサインを出したのではないかというのが、私のうがった見方だ。
以前より気になっていた河瀬総監督の「素行」。安倍昭恵さんとのつながりから五輪招致に関わり、関西万博のプロデューサーという位置。
「日本経済新聞のインタビュー(20年12月23日付)では万博開催の意義を問われ、「0か1かという欧米的な発想ではなく、八百万の神の世界の中で多様性を受け入れてきた日本的な考えを世界に発信することが重要だと思います」と主張。」(YAHOOニュース)
五輪に対しても、翼賛的な発言を繰り返してきた。いつのころからか政権の広告塔となってきた彼女が、五輪反対の人々に憎悪の感情をもつのは理の当然。そうしてみれば、今回の問題、彼女だけが「被害者」であろうはずもない。それどころか私は彼女こそ「主犯」ではないのかと思うのだ。
安倍昭恵との出会いが映画『あん』であったそうだ。
2人が昵懇の中となれば、これに群がる人々、これを利用しようとする人々は、森友問題同様、いくらでもいる。どこからかお金も湧いてくる。役職なんかいくらでもついてくる。映画もつくらせようじゃないか。
いい映画をつくっても興行的には成功とは言えない彼女の作品群。そんな彼女にとって「公式映画」は魅力的だったろう。気がつけば政権の中心近くにいて、国家の広告塔の位置に。もちろん、もともと彼女の中にそうした「素養」があったことも間違いないだろう。名誉のために身を売ったというのとは少し違う気もする。
2021年7月の五輪。どれほどの人々の犠牲の中行われたか。五輪がなければ命を失わずに済んだ人々もたくさんいたはずだ。医療の混乱も重症者の棚上げ、放置も五輪によるところが大きかった。コロナがなくても商業主義に穢れた五輪など忌避すべきものだと思うが、コロナ下でおこなったからこそ開催の罪は重い。
『あん』にしても昨年の『朝が来る』にしても、河瀬監督の映画は魅力的だ。日本の他の監督とは一線を画していると思う。
それだけに今回の問題は残念。
一つ嘘をつくと二つめの嘘をつくことになる。
渦中の人となったときには噓をつかないことが大事。
とはいっても今回の問題、NHK上層部はじめ政権中枢にとっては外せない重要事項。
強行した五輪が「成功」だったとするためには、公式映画は欠かせない。古今東西どこの国の政権でもこれは同じだ。
6月の映画公開時期は参議院選挙にからむ。映画の成否は政権の行方をも占うものになるから、こんなところでつまずいてはならない。河瀬を守れ!は、今や政権中枢では最大の命題ではないのか。
となれば、この問題はモリカケ同様、藪の中に隠れてしまうのだろう。
藪の中でつくられた映画、どんな映画になるだろうか。
ナチス政権下で行われたベルリンオリンピック(1936年)を記録した『オリンピア』(第一部『民族の祭典』第二部『美の祭典』)はヴェネチア映画祭で、最優秀作品賞(ムッソリーニ賞)を受賞した。監督をしたのはレニー・リーフェンシュタールという女性だ。
河瀬監督は、この2020五輪講師映画を「常連」のカンヌ映画祭に出品する予定だという。
レニー・リーフェンシュタールに対する評価はいまだ分かれているようだが、当時日本で公開されたときにはその美しさに「ドイツ崇拝」が頂点に達したという。
美しい映画は人々を魅了する。
東京五輪の実相は描かれるのだろうか。
選手の演技だけでなく、招致の問題、スタジアムの設計問題、女性差別発言や担当者の辞任、費用、ボランティア、バッハ訪日・・・そしてなにより世界を覆ったコロナをその背景においてほしいものだ。
2020五輪が、2021年夏に開かれたことの意味をしっかり見つめた映画であってほしいと思うのだ。