リドリー・スコットの4Kレストア版『テルマ&ルイーズ』ほか3月の映画寸評①

2024年3月の映画寸評①

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば     ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

 

㉒『テルマ&ルイーズ』(1991年/129分/アメリカ原題:Thelma & Louise /制作・監督:リドリー・スコット/出演:スーザン・サランドン ジーナ・デービスほか/1991年10月日本公開 4Kレストア版2024年2月16日公開)⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

ブレードランナー」「ブラック・レイン」のリドリー・スコット監督が女性2人の友情と逃避行を描き、「1990年代の女性版アメリカン・ニューシネマ」と評されたロードムービー
 ある週末、主婦テルマとウェイトレスのルイーズはドライブ旅行に出かけるが、途中で立ち寄った店の駐車場でテルマが男にレイプされそうになり、助けに入ったルイーズが護身用の拳銃で男を撃ち殺してしまう。ルイーズには、かつてレイプ被害を受けたトラウマがあった。警察に指名手配された2人は、さまざまなトラブルに見舞われながらメキシコへ向かって車を走らせるうちに、自分らしく生きることに目覚めていく。
 ジーナ・デイビステルマスーザン・サランドンがルイーズを演じ、ハーベイ・カイテルマイケル・マドセンが共演。キャリア初期のブラッド・ピットも短い出演時間ながら印象を残した。カーリー・クーリが脚本を手がけ、1992年・第64回アカデミー賞脚本賞を受賞。2024年2月、スコット監督自身の監修により製作された4Kレストア版でリバイバル公開。(映画.com)

リドリー・スコットという人は、根っからの職人。名前が出ると見たくなる。91年に未見だったので迷わず出かけた。

やはりこの映画もすごい。脚本はもとより、ロードムービーのスピード感が、抜群の編集センスによってさらに加速し、最後まで息をつかせぬまま引っ張っていく。かといって観客は口を開けて引っ張られるだけかというと、そんなことはない。しっかり考える、感じる余地を残してくれるている。この微妙なさじ加減。画像2

90年代の男社会に対するアメリカの女性の恨みつらみが理屈でなく、感性そのものとして映画の中にはじけている。男のどんな甘言や優しさに対しても拝跪せず、誇らしく自分を守るテルマとルイーズ。底抜けの明るさの中に自由を求めてやまない2人の悲哀も垣間見える。

それにしてもこの疾走感はあまり感じたことのないものだ。画像8

ブラッド・ピット

 

㉓『僕らの世界が交わるまで』2022年/88分/アメリカ原題:When You Finish Saving the World/監督:ジェシー・アイゼンバーグ/出演:ジュリアン・ムーア フィン・ウルフハード/2024年1月19日公開)⭐️⭐️⭐️

 

ソーシャル・ネットワーク」「ゾンビランド」シリーズなどの俳優ジェシー・アイゼンバーグが長編初メガホンをとったヒューマンドラマ。アイゼンバーグがオーディオブック向けに制作したラジオドラマをもとに自ら脚本を手がけ、ちぐはぐにすれ違う母と息子が織りなす人間模様を描く。

DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母エブリンと、ネットのライブ配信で人気を集める高校生の息子ジギー。社会奉仕に身を捧げる母と自分のフォロワーのことで頭がいっぱいのZ世代の息子は、お互いのことを分かり合えず、すれ違ってばかり。そんな2人だったが、各々がないものねだりの相手にひかれて空回りするという、親子でそっくりなところもあり、そのことからそれぞれが少しずつ変化していく。(映画.com)

つまらなくはないんだけど。

3人の家族の年齢構成がすれ違いの要因の一つになると思うのだが、映画はそこには突っ込まない。やっていることは全く違うけれど、母娘は何事にも前のめりという点でよく似ている。ラストシーンは、母親はふと息子のyoutubeを見て、息子は母親の仕事の業績を見る。これが「変化」なのだろうか。劇的でない分、歩み寄りのきっかけを提示して終わるのもいいのかもしれないが、基本的には交わることなどないだろうという突き放しがあってもいいのでは。家族も暴力装置の一形態なのだから。その上での展開があったらいいのにと思った。

 

㉔『ゴースト・トロピック』(2019年製作/84分/PG12/ベルギー/原題:Ghost Tropic/脚本(も一部)監督:バス・ドウボス 出演:サーディア・ベンタイブほか
/2024年2月2日公開)⭐️⭐️

美しく繊細な映像で物語を紡ぎ、カンヌ国際映画祭ベルリン国際映画祭でも注目を集めるベルギーの映画作家バス・ドゥボスの長編第3作。ブリュッセルの町を舞台に、最終電車で乗り越してしまった主人公が真夜中の町をさまよい、その中での思いがけない出会いがもたらす、心のぬくもりを描く。

清掃作業員のハディージャは、長い一日の仕事終わりに最終電車で眠りに落ちてしまう。終点で目を覚ました彼女は、家に帰る手段を探すが、もはや徒歩で帰るしか方法はないことを知る。寒風吹きすさぶ町をさまよい始めた彼女だったが、その道中では予期せぬ人々との出会いもあり、小さな旅路はやがて遠回りをはじめる。

全編を通して舞台となる夜の街の風景を、粒子の荒い16ミリカメラで撮影することで、暗闇の中に柔らかさと温かみをもたらしている。2019年・第72回カンヌ国際映画祭の監督週間出品。

下調べをして楽しみにしながら座席に坐ったが、冒頭のある部屋のシーンが静止画のように2〜3分続くのを見て、少し引いてしまった。光量が徐々に微妙に落ちていくのはわかるのだが、こういう人をためすような映画は勘弁。その後も、私にはただ退屈。最後まで全く楽しめなかった。

お前にはこういう映画を見るセンスがないと言われれば、そうかもしれない。なにしろ賞賛する映画評もいくつもあるし、中には絶賛も。

こういう映画もあるんだなと思うことにする。

ちなみにタイトルの日本語訳は「幽霊熱帯」、???である。

 

㉕『梟ーフクロウー』(2022年/118分/韓国/原題:The Night Owl/脚本・監督:アン・テジン/出演:リュ・ジュンヨル ユ・ヘジン/ 2024年2月9日日本公開)

                                   ⭐️⭐️⭐️⭐️

                                                                                                       

17世紀・朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」に記された“怪奇の死”にまつわる謎を題材に、盲目の目撃者が謎めいた死の真相を暴くため奔走する姿を予測不可能な展開で緊張感たっぷりに描き、韓国で大ヒットを記録したサスペンススリラー。

盲目の天才鍼医ギョンスは病の弟を救うため、誰にも言えない秘密を抱えながら宮廷で働いている。ある夜、ギョンスは王の子の死を“目撃”してしまったことで、おぞましい真実に直面する事態に。追われる身となった彼は、朝日が昇るまでという限られた時間のなか、謎を暴くため闇を駆けるが……。

「毒戦 BELIEVER」のリュ・ジュンヨルが主人公ギョンスを演じ、「コンフィデンシャル」シリーズのユ・ヘジンが共演。2023年・第59回大鐘賞映画祭で新人監督賞・脚本賞編集賞、第44回青龍映画賞で新人監督賞・撮影照明賞・編集賞を受賞するなど、同年の韓国国内映画賞で最多受賞を記録した。(映画.com)

予告編ほどのサスペンス味はない。眼球に針を据えるポスターは印象的だが、実際のシーンは照明は明るく、ほんの一瞬。これかい? という感じ。

先の読めない展開をテンポ良く繋いでいくつくり方は、韓国映画の現代物のサスペンス同様。しかし、時代劇としてはスケール感に乏しい。韓流ドラマで100回とか150回とか続くチャングムなどの時代劇の方がスケール感があったように思えた。その意味で予告編とポスターは秀逸のでき。

盲の鍼師を「フクロウ」として主人公に据えた発想は面白いが、実際にそういう例があるのかどうか。現実味はないように思えたが。

でも、どんでん返し含めて最後まで楽しめたことは間違いない。

 

 

『人間は老いを克服できない』(池田清彦・2023年12月・角川新書・900円税別)死んで自我が消えれば全てチャラ

『人間は老いを克服できない』

   (池田清彦・2023年12月・角川新書・900円税別)

 

 動物は、苦痛から逃れたいとは思うだろうが、死ぬのは怖くないに違いない。そう断言すると、動物になったことがないのに、どうしてそんなことが分かるんだ、と絡んでくる人がいそうだけれど、動物は、脳の構造からして、人間のように確固とした自我を有していないので、死ぬのは怖くない、と考えて差し支えない。

 人間が死ぬのが怖いのは、自我がなくなるからである。前述のように現在の脳科学の見解では、自我は前頭連合野に局在するようだ。ここは人間で一番よく発達している。個人の内的な感覚としては、自我は自分以外の全存在と拮抗する唯一無二の実在である。自我がなくなるということは、自分以外の存在物(の少なくとも一部)は無傷のまま保たれるのに、自分にとって唯一無二の自我が喪失することを意味する。従って、死が自我の喪失を不可避にもたらすのであれば、死が怖くないわけはないということになる。

 宗教は死後の自我の存在を保証すると言っているわけだから(もちろん空手形に決まっているけれどね)、自我の喪失が怖い人にとって、一縷の望みだという話はよくわかる。それで、カルト宗教は、お布施をすれば天国に行けると騙して、死ぬのが怖い人から金を巻き上げるわけだ。全世界的に見れば、何らかの宗教を信じている人の方が多いのは、多くの人は死の恐怖を、死後の自我の存在を信じることによって紛らわせようとしているからである。(25頁)

 

池田清彦生物学者。友人のT氏に勧められて読んだが、面白かった。

傍線部のような「自我」の解釈は、腑に落ちる。

たぶん、歴史的に自我をこんなふうに強く意識されていくのは近代以降ではないのか。

渡辺京二の『江戸という幻景』の中に、ちょっとしたことで「死んでやるよ!」と簡単に死んでしまう江戸っ子の話が載っていたように記憶しているが、池田の論で言えば前頭連合野の発達が、江戸時代と現代ではかなり違うということになる。どうなんだろう。文化の問題か?

軽々には言えないが、逆に考えれば、自殺する人々は(多くは精神が惑乱していて当たり前の判断ができない状態であることは別としても)、自我を抹消することで自分以外の全存在と拮抗することを望んでいるのではないか。

 

自我というのはこうして考えてみると厄介なものだ。

「他人の身になって考える」とはよく言われることだが、他人の身になって考えるというのは想像力によるしかないのだが、多くは「他人の身になって考え」ているような気持ちになっているに過ぎないのかもしれない。自我はそれほどに絶大なのだ。

自我の肥大化ということが、言われた時期があった。子どもたちの話である。

簡単に言えばワガママが肥大化して、他人の気持ちを考えない子どもが増えたという文脈で語られるパラフレーズだったが、これを想像力の欠如とか教育の力の弱さのように捉える向きもあったが、それより自我は長い時間かかって肥大化を続けていると考える方がいいのかもしれない。

肥大化した唯一無二の自我が喪失する、確かにこれほど怖いものはない。

宗教では神のような存在に依拠することで、恐怖心から逃れられるように考えるようだが、これを信じるにはさまざまな自我のありようなど忘れるための盲信のようなものが必要になる。

 

死は、体が弱って行先を考えている時が怖い。

死んで仕舞えば、全て無、何もないのだから、怖いなどと考えることもないはずだ。

池田風に言えば、死んで自我が消えれば全てチャラ。

そう考えれば、心は平らかに? ならないのが、またこれ自我のなせる技なのだ。

 

全体は3章に分かれていて

1 人間に”生きる意味”はない

2 生物目線”で生きる

3 ”考える”を考える

4 この”世界”を動かすものは

 

博覧強記、縦横無尽、視点の転換・・・。

生物学から政治や世界情勢までを論じる。筆致は軽い。

虫の話がとりわけ面白い。

瀬谷駅にある昆虫食自販機。拡大してみてください。

『未明の砦』(太田愛)を読む。・・ この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。

9日、朝。気温3℃。

満開のミモザと降霜、奥に咲いているのは緋寒桜だろうか。

冬と春が同居する。今朝も快晴。丹沢の雪も富士山も輝いている。気温2℃。

 

太田愛『未明の砦』(KADOKAWA・2023年7月・2860円)、600ページある大部の小説。三日かかったが読み終えた。後半、一気に。大きなテーマは公安による共謀罪の適用。

とはいえ、政治や経済にとどまらず、労働のあり方まで含めたサスペンスは珍しい。

トヨタと思しき大手自動車メーカーで働く4人の非正規労働者たちが主人公だ。工場内の人間、会社の人間ほかに、警察官、労働運動活動家、警備員、掃除スタッフなどさまざまな年代、階層の人物がそれぞれ彫りの深い人物造形で登場する。下のあらすじだけでは捉えきれない面白さがある。

ついこの間、ブレイディみか子の『R・I・S・P・E・C・T』(筑摩書房・2023年8月・1595円)を読んだが、これも面白かった。どちらにも共通するのが、イギリスの女性参政権運動サフラジェットが、下敷きになっていることだ。『未明の砦』の方は、戦後の労働運動の労使一体の形に対し、明らかに否定する立場、労働者の自立が前提となっている。ラストシーンはネタバレになるので書かないが、非正規の若者4人が、自前の労組をつくり、公然化していく過程はワクワクするものがある。

現在の日本の政治、経済、労働、警察、検察などを、トータルに描いていて圧巻だ。

ところどころリアリテイに欠けるところはあるが、それを差し引いても十分に読者を楽しませ、考えさせる小説になっている。

2冊とも今の日本を考える上で意義のある本だと思う。

 

あらすじ(Amazonから)

共謀罪、始動。標的とされた若者達は公安と大企業を相手に闘うことを選ぶ。
その日、共謀罪による初めての容疑者が逮捕されようとしていた。動いたのは警視庁組織犯罪対策部。標的は、大手自動車メーカー〈ユシマ〉の若い非正規工員・矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平。四人は完璧な監視下にあり、身柄確保は確実と思われた。ところが突如発生した火災の混乱に乗じて四人は逃亡する。誰かが彼らに警察の動きを伝えたのだ。所轄の刑事・薮下は、この逮捕劇には裏があると読んで独自に捜査を開始。一方、散り散りに逃亡した四人は、ひとつの場所を目指していた。千葉県の笛ヶ浜にある〈夏の家〉だ。そこで過ごした夏期休暇こそが、すべての発端だった――。
自分の生きる社会はもちろん、自分の人生も自分で思うようにはできない。見知らぬ多くの人々の行為や思惑が作用し合って現実が動いていく。だからこそ、それぞれが最善を尽くすほかないのだ。共謀罪始動の真相を追う薮下。この国をもはや沈みゆく船と考え、超法規的な手段で一変させようと試みるキャリア官僚。心を病んだ小学生時代の友人を見舞っては、噛み合わない会話を続ける日夏康章。怒りと欲望、信頼と打算、野心と矜持。それぞれの思いが交錯する。逃亡のさなか、四人が決意した最後の実力行使の手段とは――。
最注目作家・太田愛が描く、瑞々しくも切実な希望と成長の社会派青春群像劇。第26回大藪春彦賞受賞作。

 

未明の砦

引用

公安の要職にある萩原琢磨(警察庁警備局警備企画課課長)の独白

ーおまえも常々言ってたじゃないか。日本には民主主義は根づかなかったとな。確かに、と萩原は思った。それは、この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったからだ。民主主義は人間の長い歴史の中で、民衆が王や宗主国などの巨大な権力と闘い、革命や戦争による犠牲も厭わずもぎ取ってきたものだ。しかし、この国はそうではない。広島、長崎と原爆を投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。

 突如として、想像もしなかったような景色が開けた。臣民が国民となって国家の主権を持ち、大人も子供も老人も国のために死ねと命じられることがなくなった。ひとりひとりの人権が保障され、女性に参政権が与えられ、労働組合法が作られ、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するまでになった。しかし、投下された民主主義が根づくことはついになかったのだ。

 すでに選挙制度すらまともに機能していない。主権者の責任を果たしている者は半数そこそこで、結果として国の行き先を決めているのは無関心な者らなのだ。政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある。

 この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。

 社会とは空気のようなものだ。生きるためには呼吸せねばならず、体のどこかは常に空気に触れている。だがこの国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても、世の中はそんなものだと呟きながらどこまでも慣れていく。コロナ禍でいわれたようにこまめに手洗いするなど身体的な衛生観念は高いのだろうが、自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。

 時折、萩原はこの国にある規範は二つだけではないのかと思う。《自己責任》と《迷惑》だ。別に今に始まったことではない。江戸の昔から共助社会だったといわれているが、共同体からの助けは、ある種の辱めや罰と引き換えにしか与えられなかった。年貢を払えず村に助けてもらった農民が、米を提供してくれた人の家に入る時には門の手前で履き物を脱いで違うようにして入れと命じられた例さえあった。おかげで、助けを求める屈辱よりも夜逃げを選ぶ家もあったという。(514ページ)

網羅的ではあるが、現在の日本の状況について、さまざまなレベルでの分析が登場人物によって随所で語られる。

 

『ビヨンド・ユートピア 脱北』など、2024年2月の映画寸評③と配信寸評

2024年2月の映画寸評③

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば   ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

 

(20)『父は憶えている』(2022年/105分/キルギス・日本・オランダ・フランス

          合  作/原題:Esimde/脚本・監督:アクタン・アリム・クバト/出演:アクタン・

          アリム・クバト ミルタン・アブディカルコフ他/2023年12月1日公開)

           28日kiki               ⭐️⭐️⭐️                   

「あの娘と自転車に乗って」「馬を放つ」などで知られる中央アジアの名匠アクタン・アリム・クバトが、母国キルギスのインターネットニュースで見つけた実話に着想を得て、出稼ぎ先のロシアで記憶と言葉を失い故郷へ帰ってきた父とその家族を描いたヒューマンドラマ。
23年前にロシアへ出稼ぎに行ったまま行方がわからなくなっていたザールクが、キルギスの村に帰ってきた。家族や村人たちは記憶と言葉を失った彼の姿に動揺するが、そこにザールクの妻であるウムスナイの姿はなかった。周囲の心配をよそに、ザールクは村にあふれるゴミを黙々と片付ける。そんなザールクに、村の権力者による圧力や、近代化の波にのまれていく故郷の姿が否応なく迫る。
クバト監督が主人公ザールクを自ら演じた。2022年・第35回東京国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.com)

 

 冒頭のシーン。まばらな異様に白い木の林をカメラが低い位置で舐めていく。ラストシーンではザールクが木に白いペンキを塗っている。冒頭と同じようにカメラが動いていく。林は村のメタファーで、村はザールクによって何らかの変化をもたらしたことを表しているのか。違和感があって印象的だ。

馴染みのない中央アジアの国キルギスイスラム文化圏、政治的には旧ソ連。近代化に乗り遅れた村に、出稼ぎに行って行方不明となり、記憶を無くしてしまった男ザールクが帰ってくる。

顛末はわからないが、息子がザールクを探し出して連れ帰ったようだ。村の入り口の吊り橋で村の老婆とすれ違う。無表情なザールクにうろんな表情を見せる老婆。

どれほど時間が経っているのかわからないが、かなり長い時間の不在だったようだ。息子は結婚しており妻と子どもがいる。ザールクの妻は近所の男と再婚しているが、ザールクの帰還によってこの妻、再婚した男、その母親、そして村の中にさまざまなさざなみが起こる。映画はこれらを淡々と描いていく。

ザールクは何も語らず、無表情に村の中のゴミをひたすら片付ける。村人は困惑するが・・・。村では旧態依然とした生活が続いているが、スマホは当たり前に村人の生活に入り込んでいる。

テーマ性が前面に打ち出されているわけではないが、近代化の波の中で、政治・宗教で支えられてきた村落共同体の変化の過程のいびつさが描かれているようだ。

自ら脚本、監督、主演を手掛けるアクタン・アリム・クバトの存在感が映画の主柱になっている。何よりキルギスという国の有り様を掛け値無しに描いているという点で貴重な映画だと思った。やや面白みには欠けるが。画像2

(21)『ビヨンド・ユートピア 脱北』2023年製作/115分/アメリカ原題:Beyond Utopia/監督:マドレーヌ・キャビン 撮影:キム・ヒョンソク/2024年1月123日公開)28日kiki ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

脱北を試みる家族の死と隣り合わせの旅に密着したドキュメンタリー。

これまで1000人以上の脱北者を支援してきた韓国のキム・ソンウン牧師は、幼児2人と老婆を含む5人家族の脱北を手伝うことに。キム牧師による指揮の下、各地に身を潜める50人以上のブローカーが連携し、中国、ベトナムラオス、タイを経由して亡命先の韓国を目指す、移動距離1万2000キロメートルにもおよぶ決死の脱出作戦が展開される。

撮影は制作陣のほか地下ネットワークの人々によって行われ、一部の詳細は関係者の安全のため伏せられている。世界に北朝鮮の実態と祖国への思いを伝え続ける脱北者の人権活動家イ・ヒョンソをはじめ、数多くの脱北者やその支援者たちも登場。「シティ・オブ・ジョイ 世界を変える真実の声」のマドレーヌ・ギャビンが監督を務めた。2023年サンダンス映画祭にてシークレット作品として上映され、USドキュメンタリー部門の観客賞を受賞。(映画.com)

 

何度か予告編を見たが、凄まじい迫力に、ほんものか?という一抹の疑問があったのは確か。実際にみて、ドキュメンタリーとして大変優れた作品であると思った。

冒頭に「再現フィルムはありません」の断り書き。どうしても伝えたいところは短いアニメを使用している。

夫婦、子ども2人、老婆の5人家族の脱北を支援するために、1000人の脱北者を支援してきたというキム牧師、ブローカーらと連絡をとりながら、最後は自分もラオス山中の10時間を超える逃避行に同道。その時々の判断の機敏さ、正確さが5人の家族をタイまで送り届けることになる。こう書くと想像するのは痩身の鋭い表情をした男性だが、実際は違う。やや太めのどこにでもいる中年のおっさん。なんでもOK、OKではない。できないことははっきりとできないというし、危機に対するセンサーが人一倍敏感。

北朝鮮と中国を隔てる鴨緑江を渡河するところから脱北は始まる。ここで撃たれて死ぬ人も多いという。というのも金正恩脱北者狙撃の成功に褒賞を出しているからだ。

瀋陽にようやく到着した5人は、ブローカーとともに青島までクルマで移動する。いっときも気が抜けない移動。これだけでも調べてみると1300km超、東京、大阪を往復する距離。逃避行全体の約10分の1。ここからベトナムを経てラオスに入り、ラオスのジャングルを10時間以上歩いて、メコン川河畔に到着。小さな舟でタイに渡れば、タイ政府は亡命者として韓国に送還してくれるという。ベトナムラオスの政情は脱北者にはかなりの厳しいもの、危険はそれだけ身近に迫る。

ブローカーとの虚々実々のやりとり、誰もが命の危険を感じながらの逃避行に、カメラが信じられないほどの密着ぶりを示す。ホッとするのは各地にいくつか設定されている脱北者用の中継地点の家々。5人はそこを経由するたびに、みたことのないものを見、食べたことのないものを食べながら、北朝鮮の思いくびきから解放されていく。カメラはそこをしっかり捉えている。子どもたちはすんなりと新しい世界に馴染んでいくが、老婆の中に染み込んだ北朝鮮は簡単には溶け出さない。3時間で抜けられるというラオスのジャングル山中は10時間以上かかった。ブローカーへの不信そして疲労、不安・・・見ていて辛くなる。

 

母親だけが脱北し、息子の脱北をブローカーに依頼しているもう一つの家族の動きもパラレルに捉えられている。また、併せてすでに脱北してきた人々の証言も生々しく伝えられる。

テレビのドキュメンタリーも含めて、いくつか脱北を捉えたものを見てきたが、この映画は傑出していると思う。というのも、命のやり取りをするような政治状況の過酷さを描きながら、キム牧師や老婆、母親、さらには姿の見えないブローカーも含めて、人間の感情の奥深さが描かれていると思うからだ。

キム牧師他の脱北支援の人々の安全を願うばかりだ。画像1

 

2月の配信 寸評

 

(6)『豚が井戸に落ちた日』(1996年/113分/韓国韓国/監督:ホン・サン

   ス 1997年6月公開)⭐️⭐️

  見初めて、なんだかホン・サンスぽい作りだなと思っていたらやっぱり。後年の

  作品より面白みは感じなかった。

 

(7)『アイアム マキモト』(2022年/104分/日本/原作:ウベルト・パゾリー

    ニ /監督:水田伸夫/出演:阿部サダヲ 満島ひかり 宇崎竜童 宮沢りえ

    松尾スズキほか/2022年9月公開 有料)⭐️⭐️⭐️

   元のイギリス映画『お見送りの作法』の方がリアリティがあり、人物造形も自

   然だったような記憶がある。見ていてとにかく違和感。市役所内外でのマキム

   ラの言動が対人関係の不適応がわざとらしく感情移入ができなかった。阿部サ

   ダヲがもっと生きるような作り方があったのでは。脇役は満島、宇崎、宮澤

   それぞれかなりいいのに生かされていない。ストーリーにリアリティを感じな

   かった画像18

(8)『死刑に至る病』2022年製作/128分/PG12/日本/原作:櫛木理宇/脚本:

    高田亮/監督:白石和彌/出演:阿部サダヲ/宮崎優ほか/2022年5月公開 

    有料) ⭐️⭐️⭐️

   公開の時に見逃していたので配信を楽しみにしていた。ストーリーの二重構造

   はうまくできていると思った。『羊たちの沈黙』が念頭にあるのか。と思っ

   たが。残酷、残忍ではあるが、あちこち建て付けが崩れているように思うとこ

   ろも。展開としての面白さを感じなかった。阿部サダヲのキャスティングは成

   功しているだろうか。画像1

(9)『海に向かって水は流れる』2023年製作/123分/日本/原作:田島列島/監督:

   前田哲/出演:広瀬すず 高良健吾 大西利空ほか/2023年6月公開)⭐️⭐️⭐️*

   流れにリズムが感じられ、力も抜けていて、いい気分で最後まで。主役の広瀬

   すずが醸し出すだるさが今ひとつ。周囲から浮いてしまう際立つ容貌、化粧

   が邪魔。ほとんど笑顔のない演技は悪くはないが。

 

(10)『左様なら』(2018年製作/86分/日本/原作:ごめん/脚本・監督:石橋夕

   帆/出演:芋生悠 他 /2019年9月公開)⭐️⭐️⭐️*

   『朝が来るとむなしくなる』が案外にいい映画だったため、同じ監督の前作を

   見てみた。高校生の教室の会話が抜群。脚本もいいのだろうが、演じている高

   校生役がとってもいい。『朝が・・・』でもよかった芋生はここでも独特の味。

   一人の女子高生の死をめぐる群像劇ではあるが、全くドラマチックでなく、か

   といってやっぱりヒリヒリするところもあって、アンビバレントな感情の動き

   をゆっくりと慌てずに追っているところがいいと思った。

   こういう小さな?映画、いいと思う。石橋監督、いい。

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「映画・ドラマとマイノリティ存在」を書いた。(飢餓陣営58号2024年2月刊)

佐藤幹夫さん編集の思想誌『飢餓陣営』58号に「映画・ドラマとマイノリティ存在」という文章を書いた。日記形式の映画評の2回目で、10頁ほどの原稿である。1回目は前号57号にやはり日記形式で『「社会は何も変わんねえんだよ」はほんとうか』を書いた。

表題の中の言葉は、日本精神科病院協会の山崎会長の身体拘束についてのインタビュー記事(東京新聞)からの引用だ。

地域でこそ病者を受け止め身体拘束は止めるべきという記者に対し、山崎氏は「患者の安全を考えて拘束して、なぜ心が痛むの?」という。

社会構造を変えなければという記者に対し「変わんねえよ!医者になって60年、社会は何も変わんねえんだよ。みんな精神障害者に偏見をもって、しょせんキチガイだって思ってんだよ、内心は」。

映画『PLAN75』『ロストケア』をめぐって、山崎氏や滝山病院の問題について触れた。

今号では『ケイコ、目を澄ませて』から『月』まで、触れてみた。障害や精神病に対し、社会は変わりつつあるのか、それとも山崎氏の言うように「しょせん」なのか。

映画という媒体の中で、こうした問題に対する視線が、つくる側とみる側でどう変化していくのか、関心のあるところだ。

 

mosakusha.com

 

 

呑み会、いろいろ。

会食の機会が増えている。

K氏とは、相談のことがあり、当該の人と弁護士事務所に同道するなどして、都合3回会うことなった。

13日は、千葉柏在住の友人Y氏の裁判傍聴に、松戸にある千葉地裁松戸支部まで。

会計年度職員の学習サポーター採用問題。組合活動家に対する嫌がらせとも言える任用拒否問題。まだ書面のやり取りが続いている。

 

22日、最後の職場となったM中で同僚だった方々との3人会。新横浜で。

退職者の会。旧交を温めるというより、さまざま情報交換。

26日、東京の友人F氏と15時から溝の口で。何年か振り。同じ年回りのせいか、悩み事も似ている。

 

29日、引退した組合ではあるが、二月に一度、退職者の会がある。京浜東北根岸線の本郷台が会場だが、終了後大船で下車してささやかな交流。

 

3月2日、ついこの間だが、教職実践演習の学生によるコンパ。

久しぶりに歌舞伎町。若者でいっぱい。

学生16人に70歳。不思議な取り合わせ。コロナでコンパなどほとんどできなかった彼らだが、違和感なく談論風発、実に楽しそうに談笑する。

驚くのは、騒いでいても羽目を外すことはなく、気遣いもあり、礼儀正しいことだ。

私が彼らの年齢の頃は、もっと非常識だったし、無節操かつ不遜で非礼な若者だった。

今が違うかといえば、そうは断言はできないが、それにしても若者の弁えには驚かされる。

早めに退出したのだが、深夜に代表の学生から丁寧なお礼のメールがあった。笑えたのは「ぜひまたよろしくお願いします」とあったこと。これ以降会うことはまずない。外交辞令とはいえ、うれしいことだが。

ガーデンシクラメン

連チャンで昨日、かつての同僚の一人が、県外の学校に単身赴任するというので、その時の学年を組んだ人たちが集まって送別会を開いた。20年前に顔を合わせて始まった学年。新横浜。

学年が解かれたのは17年前。3年間の関わりだったのに、話題は時空を飛び越え、あの頃へ時間が巻き戻される。不思議なものだ。いくつかのシーンが色あざやかに蘇るのは歳をとったせいかもしれないが。

 

つがいのカワセミ

ここ数日、朝の気温は3℃〜5℃で推移している。

風があると晴れていても体感温度はかなり低く、寒い。

今朝のように、3℃を下回りそうな日でも、日が出て風がないと歩き始めてすぐに汗ばむ。

境川に出る前でに通行量の多い八王子街道、目黒の交差点を通るのだが、月曜のせいか、クルマも自転車も、こころなし慌ただしさを感じる。

一旦、境川河畔に出てしまえば、クルマの音は全くと言っていいほど聞こえなくなる。散歩の人も少なく、穏やかな平日の朝である。

今朝もカワセミを見かけた。

カワセミの産卵時期は3月〜8月というから、そろそろ求愛給餌が目撃できるかもしれない。一度しか見たことがない。

 

昨日「ほら、あそこ!」のMさんの声に振り向いた途端、1mの高さの葦に留まっていた鮮やかな青みを帯びたカワセミを目撃。

おっと思う間に、水面から4mの高さに跳び上がり、2秒ほどホバリング、そして直角に急降下。ドボンと水中に入ったかと思うと、嘴に銀鱗をばたつかせながらもとの葦に。

あの高さから翡翠には水中がどんなふうに見えているのか。カワセミの視力の凄さにはいつも驚かされる。

今朝、散歩友達の宮本さんから、つがいの写真をいただいた。下がメスとのこと。グッド ショットである。

明日、啓蟄