『帰ってきたムッソリーニ』(原題:Sono tornato(帰ってきた)・2018年/イタリア・96分・監督ルカ・ミニエーロ・主演マッシモ・ポポリツィオ)

帰ってきたヒトラー』から3年、今度はムッソリーニが帰ってきた。日本でも誰か帰ってこないかな。

 

『帰ってきたムッソリーニ』(原題:Sono tornato(帰ってきた)・2018年/イタリア・96分・監督ルカ・ミニエーロ・主演マッシモ・ポポリツィオ)

 

 

二番煎じ、リメイクではあるけれど、ほどほどに面白かった。映画の流れはヒトラーをほぼ忠実に踏襲、そうは云ってもドイツとイタリアの民族性の違いはきわだつ。

 

ヒトラーと同様、お笑い芸人と間違われながら全国を歩くムッソリーニ。日に日に人気が沸騰していくのも同じ。

 

現代の政治に対して、民衆が何の期待もしていないことにムッソリーニファシズムが燃え上がる。

 

不能の民主主義より「責任ある独裁」を。

 

こわもてで演説するムッソリーニは、テレビの人気者になっていく。

 

しかし、そんな彼を利用しようとする輩の数々のさや当てとどんでん返し。

 

ファシストより現代人の方がよほどにこわいということか。

 

 

映画としてのインパクトはやっぱり「ヒトラー」のほうかな。

遠い沖縄も、もっと遠い香港も、構造は同じ。当たり前の民主主義が毀損されている。

7日、朝の気温20度。これが平年並みだろうか。少し肌寒いが、気持ちがいい。

南のほうではまた大型の台風が発生していて、今週末は荒天が予想されている。

 

香港が気にかかる。新聞、BSニュース、ネットで「香港の最新」ニュースを見る。

 

覆面禁止法という信じられない法律が、議会の議論なしに施行され、警察はこれをたてにして若者たちを逮捕している。

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銃の使用がエスカレートしてきている。

反対派のなかに警官が入り込み、謀略と仲間割れを企図する。

しかし、街の機能が麻痺しているにも拘らず、反対派を支持する声は小さくならない。

 

中国は今までにない規模の軍事パレードを行い、国威発揚に躍起だ。国際的な香港の位置がある限り、安易に介入することはないにしても、裏からの容赦ない弾圧支持は苛烈を極めているのだろう。国内的には徹底した情報統制が敷かれている。

 

 

しかし、反対派の徹底抗戦は変わらない。闘いを途中で放棄することがどんな結果を生むか、彼らは経験的に知っている。それが語り継がれているから、中学生さえも戦列に加わっているのだろう。

 

暴力に訴えるのはいけないよね、というレベルの話ではない。ごく当たり前の民主主義を守るための闘い。秩序回復が一番重要という中国や香港政府の主張は、問題の所在を隠し、民衆を暴力集団と規定する。

 

香港政府は、自ら招いた失政なのだから、話し合いのテーブルについてくれるようまず矛を収めるべきだ。

 

日本の政権は口を挟もうとしない。火中の栗を拾わない。あたりまえだ。うちに「香港」を抱えているのだから。

 

遠い沖縄も、もっと遠い香港も、構造は同じ。当たり前の民主主義が毀損されている。

 

切歯扼腕するしかないのだが。

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菊名「街を耕す会」・・・『聖職のゆくえ~働き方改革元年』(2019年・福井テレビ・55分・ドキュメンタリー)をみる

5日(土)、菊名の「街を耕す会」。5月に一度訪れたことがあるギャラリー&スペース弥平が会場。道順があやふやなので、西口のコロラド前でIさんと9時30分に待ち合わせ。

 

土曜日の横浜線、そこそこ込んでいる。早めに菊名に着いたので、デリフランスという新しい喫茶店で時間をつぶす。コーヒー イートイン306円、お持ち帰り300円という表示。導入5日目に初めて目にした軽減税率。初日は日高屋に寄ったが、価格は変わっていなかった。

 

ここのコーヒー、お金を払うとサイフォンに火がつけられる。温めてあるのをカップに分けるところが多いのに、手間をかけている。そこそこにうまい。今風に云うと普通にうまい、か。

 

9時半。Iさんと会う。歩いて弥平へ。カンカン照り。日傘が役に立つ。

 

今日のテーマは”教員の働き方を考える”。

 

昨年の「働き方改革」法案の概略~厚労省のデータ改ざんから、高プロ裁量労働制の問題など~をお話しし、そのあと

 

『聖職のゆくえ~働き方改革元年』(2019年・福井テレビ・55分・ドキュメンタリー)

 

を見てもらう

 

この作品、福井テレビ開局50年を記念して製作された。春に福井県内でオンエアされ、その後評価が高まり、日本民間放送連盟賞の報道部門で96作品出品のうち最優秀賞を受賞した。

 

7月はじめ「なかなか良いらしい」という噂を耳にして、何とか見てみたいものだと考えていた。

思いついたのは、かつての若い同僚、YさんとAさんが結婚して福井県の教員となっていること。もし録画を録っていたら送ってほしいとお願いして、ブルーレイに録画したものを送っていただいた。福井県ではかなり大きな話題となっていたようだ。

 

全国放送では、フジテレビが深夜枠(8月15日深夜2時~)で放映、今回最優秀賞受賞ということで福井テレビが再放送(10月8日(火)20時~)するという。いずれ、普通の時間帯で全国放送がされるのではないかと思う(コピーをして友人にと考えて、パソコンをいじくってみたが、どうにもコピーできない。ガードがかかっているらしい)。

 

この作品、ナレーションが若手俳優菅田将暉さんが担当している。『3年A組今から皆さんは人質です』などが話題となったが、それ以外でもいまや若手ピカ一の役者。

 

アナウンサーのナレーションとは違って、若者の逡巡や内省が感じられるとっても素晴らしいナレーションになっている。

 

ということで、55分、じっくりとこの作品を皆さんでみた。

 

10時から始まった会も、もう11時半過ぎ。参加者15名がそれぞれ感想を出して、最後に私がまとめにもならないまとめの話をしておひらきに。

 

感想で最も多かったのは、「給特法」という法律の存在。給与の4%をあらかじめ支給する代わりに、残業手当は支払わないという法律。この法律に縛られて48年。教員の働き方は肥大化してきた。

 

 

参加者の中に武藤啓司さんがいらっしゃった。

20代の頃、武藤さんが書かれた『教育闘争への模索』(1976年・社会評論社を夢中になって読んだことを憶えている。

給特法に関する当時の議論の様子がよく分かるだけでなく、武藤さんの教員としての生き方が伝わってくる本だった。発行年の1976年は私が教員となった年でもあり、学校の中に身の置き所を見つけられないでいたころだった。この本を読んで目の前が少し開けたような気がしたことを憶えている。

 

武藤さん、今回の働き方改革の議論の中から、何か新しい動きのようなものが期待できないだろうか、と云う。

展望は厳しいが、私も同感である。

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高橋長英と柳澤愼一・・・『兄消える』77歳と86歳が演じる人生の際

タイトルも評判も聞いたことがない映画をみてしまうことがある。早とちりで時間を間違え、時間を持て余してしまったときだ。埋め草のように見た映画が、案外良かったりする。

 

私にとって『兄消える』はそんな映画だ。

 

『兄消える』(2019年5月公開・日本・104分・監督西川信廣・主演高橋長英

 

 吉永小百合樹木希林が『八月の鯨』のような映画を撮りたいね、と話していたというエピソードを『サワコの朝』に出演した吉永小百合が話していた。

この映画の宣伝惹句は

 

「名作『八月の鯨』を彷彿とさせる年老いた兄弟の青春寓話」。

 

そこまで云っていいのかなとは、思うけれど、言いたい気持ちはわからないではない。

 

派手な事件など何にも起きない地方都市上田の日常の中に、小さな石ころが投げ込まれ、ささやかな波紋が広がる。たったそれだけの淡々とした映画。

なのに終わりまでほとんど緩まずに見てしまった。『八月の鯨』・・・外れていないとも言えないか。

 

主演の高橋長英がいい。背中で演じるというのだろうか。主演然としていないのもいい。

 

いや、主演は兄金之助役の柳澤慎一の方かもしれない。柳澤愼一だよ、あの。

1932年生まれの86歳。『奥様は魔女』のダーリンの声。

その昔はエノケン・ロッパ・金語楼に可愛がられたというからかなり昔の話だ。

一時池内淳子と結婚していたこともある。あの池内淳子だよ。

とにかくよく映画に出ていた。明るい人気俳優だった。

 

f:id:keisuke42001:20191006091340j:plain同じ人物

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高橋長英演じる哲男が100歳になる父親を看取ったころ、突然40年姿を現さなかった兄が若い女を連れて帰宅するところからドラマが始まる。

 

演出がきっちりとしている。セリフの間がいい。哲男の清貧だけれどやはりどこかむさくるしいところや、金之助のハチャメチャな人生を想像させながら、無責任とどこか心優しいところが好対照。気がつけば画面を支配しているスケールの大きさ。老残ぶりもお手の物だ。

 

シーンは哲男の自宅と工場、あとは上田市のスナックやら食堂、そして自然だけ。工場のつくりはこれ以上ないほどリアル。作業服を着て手ぬぐいをかけて旋盤に向かう哲男の後ろ姿、すごい。舞台出身の監督のこだわりか。

 

池辺信一郎の音楽も力が抜けていてよかった。

 

こういう映画、悪くない。

 

 

 

 

『花嫁人形は眠らない』(1986年)と『歩いても歩いても』(2008年)の加藤治子


先日、BS12で『花嫁人形は眠らない』を見た。1986年4月12日~5月31日に放映されたものの再放送。出演は田中裕子、笠智衆、池辺良、小泉今日子加藤治子柄本明など。

 

2回分ずつの放送だったが、8回分全部見てしまった。

田中裕子と小泉今日子の姉妹。笠智衆の娘である池辺良の妻は亡くなっていて、小料理屋の女将の加藤治子は池辺良と内縁関係にある。

 

小津安二郎でもなく向田邦子でもない、久世光彦流というのだろうか。

時代は86年より10年以上前の設定だろうか。

86年は男女雇用機会均等法が制定された年。この年を境に時代は大きく変わっていく。

このドラマはその時代の変わり際での家族の気持ちのずれと愛情が描かれていて面白かった。

 

田中裕子の独特の清楚さに小泉今日子のはち切れそうな若さ。笠智衆はいつもと同じ演技だが存在感がある。池辺良という俳優がこのころまだ若くてこうしてテレビに出ていたとは思わなかった。年頃?の娘二人をもつ50代のやもめの男の戸惑いと色気のようなものがよく出ていた。

脚本が、今のドラマほどテンポが速くなく、セリフにも行間の味わいが感じられて、いいなと思った。

 

もっとも感じ入ったのは、加藤治子の演技。向田邦子の作品の、狂気を孕んだ演技の凄さが印象的だが、このドラマでは小料理屋の女将の何とも言えない味わい。内縁の男の娘に対するアンビバレントな感情のひだが、独特のセリフまわしと表情にじわっと表れて唸ってしまった。

 

で、数日後。Amazonプライムで『歩いても歩いても』を暇に飽かせてみてしまった。ここにも加藤治子がほんの少しだけ出ていた。原田芳雄が演じる老医師横山恭平の隣人西沢ふさ役で、初めの方で1シーンだけ出ている。歳をとって医院を廃業した恭平が散歩に出ようとして、家の前を掃除しているふさと声を交わすシーン。体調が悪く、もう長いことはないし、長くも生きたくないと言いながら、

 「最後は先生に看取っていただきたいわ」

という。恭平は「そうだね、わかった」と返す。

 

それだけである。ふたりの間にかつて何かがあったのかなかったのか、知る由もない。

 

終わりの方で、ふさの家から恭平に電話がかかる。ふさが倒れたという。

電話口で恭平は逡巡するでもなく

「救急車を呼びなさい」。

救急車が来ると、恭平は救急隊員にふさの様態を聞こうとするのだが、相手にされない。

救急車が行ってしまって、ふさの家族は恭平に深々と頭を下げる。

 

恭平は、家に入りながら、ひとこと「さて、寝るか」。

 

しみじみとしているなと思った。

  

ドラマの中の細い一本の線に過ぎないシーンだが、加藤治子の老いてなおきらきら光る眼の力が印象的。

 

『歩いても歩いても』は是枝監督の作品のなかで一番好きな作品。

やっぱり、いい。

読み飛ばし読書備忘録⑬ 『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみか子・2019年・新潮社)移民としての日本人が生きるイギリス社会

  毎日、真夏日

 

夜、気が向くと散歩をする。9時ごろ。コースは決まっている。徘徊ではない。

30分ほどだが、いろいろな人に会う。会社帰りの人が多い。家族連れも。

この間は中年の女性とおばあさんが、何やら言い合いをしながら歩いているのに出くわした。どうしたのかなと近づくと、すれ違いざま、おばあさんが突然私に声をかけてきた。

 

南町田駅はどちらですか」。

 

 突然の質問にこちらはどう返答していいかわからない。何やら不穏な雰囲気に黙っていると、中年の女性のほうが顔の前で手を振っている。気にしないで行ってください、ということらしい。おばあさんも、答えを求めているふうもない。

 

認知症のようだ。こういううまく交わらない感覚、久しぶりに思い出した。義母と同居した10年。

 

おばあさん、歩き方は見るからに元気そう。何か目的があるかのように、どんどん先に行こうとする。連れの女性が早足で追いかける。

 

わざわざ散歩をする時間でもない。おばあさん、何か思いついて家を出てきたのだろう。

 

しんどいだろうなと思う。何か気の利いた言葉でもかけられたらよかったのだが。

 

南町田という駅、9月30日で、消えた。

10月1日から「南町田グランベリーパーク駅」という長ったらしい名前に変わった。

駅舎は、今まではうってかわって屋根付きドームのようなかたちに。11月半ばに、アウトレットの街グランベリーモールが、グランベリーパークとしてリニューアルオープンする。

 

急行は今まで土休日しか停まらなかったが、毎日停まることに。これで平日、長津田で待たされることがなくなる。準急は、長津田―中央林間ですべて停まることに。

 

どれほどの混雑になるものか。規模は今までの数倍になり、町田市の広大な鶴間公園も含んで再開発されている。

今までも土日は込んでしまって、地元民はクルマでは出かけられなかった。

 

駅に隣接するアウトレットは首都圏にはあまりない。電車で来る人も増える。

地元民はつらい。

 

読み飛ばし読書備忘録⑬

 

『僕はイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみか子・2019年・新潮社)

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著者の本は、『女たちのテロル』(2019)に続いて2冊目。今、本が娘のところに行っている。その前はMさんが読んだ。私が読んだのは7月。細かく触れらないがとにかく面白かった。イギリスで子育てをしている著者の日常を描いたものだが、移民としての親子の感覚が新鮮。日本に住んでいるだけではわからなかったこと、知らなかったことがたくさん書いてあった。が、広がったのは知識だけではない。母親も面白いけれど、息子はかなり面白い。イギリス人のダンナも。

タイトルは肌の色のこと。ブルーというのは…。とにかくおすすめの本。

 

『東京零年』(赤川次郎・2015年・集英社

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古い本を紹介する新聞のコラムを読んで単行本を中古で購入。夥しい数の小説を刊行している著者だが、小説はほとんど読んだことはない。2年程前に勧められて評論を読んだ。メジャーな作家なのに筋の立った日本国家批判が展開されていた。それでつい・・・。

 

500頁に及ぶ長編で一気に読めてしまうが、なんというかエンターテイメント小説の面白さも感じない。権力構造のいびつさを突こうとしているのはわかるが、ためにする筋立てで、登場人物の造形も浅い。

そんなことを云っては失礼だが、松本清張の晩年もこんな印象を受けた。出せば売れる作家の悩ましいところかもしれない。

 

 

7月の手術以降、そういえば映画に行っていない。

 

 

 

 

 

歴史に埋もれかけていた靖国をめぐる「闇」を掘り起こす・・・『靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀』(松岡勲著・航思社)


29日。

雨の予報なのに、今日も晴れている。窓を開け放して、シャツ一枚で過ごせる9月の終わり。

 

昨日、藤が丘病院の受診日。10時の予約。雨の予報なので、Mさんの運転でクルマで出かける。国道246号が少し渋滞。珍しくナビが正確。5分前に到着。

 

いくつもある大きなディスプレイに、2264という今日の自分の番号が表示されたのは11時30分。中待ち合いへどうぞ、と出る。

 

「外は、長待ち合いだね」とMさん。

 

30分ほど前にMさんに「遅いよね」と云うと、

 

「それだけていねいに診察しているということだよ」。

 

これでは、不満で口をとんがらせている子どもを、やさしい母親がなだめているようだ。 

 

 

11時40分過ぎ、ようやく診察開始。

 

どうでもいいことだが、昨日届いた『季刊労働法』(2019年秋号)の特集が「医師・教員の働き方改革」。まだ、中身は見ていないけれど、基本的に医師の数が足りない。一人の医師の負担が大きいのが医師の働き方問題の要諦。教員とは事情がかなり違う。医師は数を減らせば状況が変わる。教員だって数を増やせば・・・。財務省は子どもの数が減っているのだから教員は増やす必要はないという。もともとたくさんの子どもを一人の教員が見ているのだから、その理屈はおかしいのだが、一方、教員の数が増えると、その分仕事も増やしてしまう傾向も否定できない。「いいことは何でもやりましょう」という無節操さがクビをしめる。

 

 

内視鏡検査で撮影された写真をもとに説明を受ける。

患部を切除して潰瘍となったところ、問題なく治癒してきているが、傷がひきつれて十二指腸への入り口が少し狭まっているとのこと。これが進むと再び入院、バルーンを使っての措置などが必要とのこと。

 

12月に再び受診。1月にまた内視鏡検査をすることに。

無罪放免までは、まだ時間がかかるようだ。

 

雨は降らない。

 

久しぶりに長津田の惣左衛門へ。平日は3時間の営業時間が、今日は土曜日、1時間半長い。省エネそば屋である。

 

 

東京の航思社という出版社から、本が届いた。

高槻に住む松岡勲さんの新著だ。

 

靖国を問う 遺児集団参拝と強制合祀』(航思社・2200円+税)

 

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すぐに開けてみる。素敵な装丁である。裏表紙の文字は、亡くなったお父様のはがきだとか。

 

航思社のHPには

 


なぜ戦争遺児たちは
戦後も「少国民」となったのか

  

いまや社会的な忘却の彼方に追いやられた史実——
敗戦後まもなく国・地方が協力して行った、
戦争遺児たちによる靖国への集団参拝。
当時、どのような政治的意図のもとで、何が行われたのか。
そして参拝後の文集から浮かび上がる遺児の思いとは。

靖国に対する強制合祀の取り消し訴訟や
安倍首相の靖国参拝違憲訴訟に加わるとともに、
かつて遺児集団参拝に参加した当事者が全国各地の史料を渉猟し、
歴史に埋もれかけていた靖国をめぐる「闇」を掘り起こす。

 

 

【著者より】

私が本書を書き上げるなかでいつも考えていたのは、記憶の再生と継承だった。
記憶は曖昧であり、忘却しがちだ。
当時の記録文書は探しても容易に見つからなかった。
意識的に自らの記憶を甦らせなければならないし、
何度も試行錯誤を繰り返し、当時の歴史事実を掘り起こしていく以外に方法はない。(…)

また、遺児参拝を調べるなかでいつも葛藤を感じてきたことがある。
私は1944年生まれで、父親を戦争で亡くした世代である。
その生育史はほぼ戦後と重なる。
父親の戦死と、再婚をせずに私を育ててくれた母親の苦労とを身にしみて感じて育った。
母を通じて伝えられた戦争の記憶は
私の人生と切り離せないものだった。
ただそこからくる発想には「被害者」としての意識が強くあり、
長じて日本のアジア侵略、
戦争責任等「加害者」認識を持つようになったが、
果たしてどこまで被害者としての意識を抜け出ていたか。
私にとって「靖国を問う」とは、
被害と加害の関係の意識化、対象化である。

                    ー航思社のHPから

 

 

松岡さんがこの稿を連載した『反天皇制市民1700』を、いつも送っていただいていた。

 

毎号の原稿は松岡さんが足とアタマで綴った成果だった。でも、ときにはミステリーを読むような気分で、また時には、戦争と家族の歴史を垣間見る気分で読んできた。

 

読みごたえがあった。

 

今まで誰も日を当ててこなかった貴重な仕事。「いつか1冊になるといいですね」と、根拠もないまま言い続けてきたが、今回ようやくそれが実現した。

 

今しかつくれない本、ぜひ多くの方々に眼を通してほしい。