歴史に埋もれかけていた靖国をめぐる「闇」を掘り起こす・・・『靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀』(松岡勲著・航思社)


29日。

雨の予報なのに、今日も晴れている。窓を開け放して、シャツ一枚で過ごせる9月の終わり。

 

昨日、藤が丘病院の受診日。10時の予約。雨の予報なので、Mさんの運転でクルマで出かける。国道246号が少し渋滞。珍しくナビが正確。5分前に到着。

 

いくつもある大きなディスプレイに、2264という今日の自分の番号が表示されたのは11時30分。中待ち合いへどうぞ、と出る。

 

「外は、長待ち合いだね」とMさん。

 

30分ほど前にMさんに「遅いよね」と云うと、

 

「それだけていねいに診察しているということだよ」。

 

これでは、不満で口をとんがらせている子どもを、やさしい母親がなだめているようだ。 

 

 

11時40分過ぎ、ようやく診察開始。

 

どうでもいいことだが、昨日届いた『季刊労働法』(2019年秋号)の特集が「医師・教員の働き方改革」。まだ、中身は見ていないけれど、基本的に医師の数が足りない。一人の医師の負担が大きいのが医師の働き方問題の要諦。教員とは事情がかなり違う。医師は数を減らせば状況が変わる。教員だって数を増やせば・・・。財務省は子どもの数が減っているのだから教員は増やす必要はないという。もともとたくさんの子どもを一人の教員が見ているのだから、その理屈はおかしいのだが、一方、教員の数が増えると、その分仕事も増やしてしまう傾向も否定できない。「いいことは何でもやりましょう」という無節操さがクビをしめる。

 

 

内視鏡検査で撮影された写真をもとに説明を受ける。

患部を切除して潰瘍となったところ、問題なく治癒してきているが、傷がひきつれて十二指腸への入り口が少し狭まっているとのこと。これが進むと再び入院、バルーンを使っての措置などが必要とのこと。

 

12月に再び受診。1月にまた内視鏡検査をすることに。

無罪放免までは、まだ時間がかかるようだ。

 

雨は降らない。

 

久しぶりに長津田の惣左衛門へ。平日は3時間の営業時間が、今日は土曜日、1時間半長い。省エネそば屋である。

 

 

東京の航思社という出版社から、本が届いた。

高槻に住む松岡勲さんの新著だ。

 

靖国を問う 遺児集団参拝と強制合祀』(航思社・2200円+税)

 

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すぐに開けてみる。素敵な装丁である。裏表紙の文字は、亡くなったお父様のはがきだとか。

 

航思社のHPには

 


なぜ戦争遺児たちは
戦後も「少国民」となったのか

  

いまや社会的な忘却の彼方に追いやられた史実——
敗戦後まもなく国・地方が協力して行った、
戦争遺児たちによる靖国への集団参拝。
当時、どのような政治的意図のもとで、何が行われたのか。
そして参拝後の文集から浮かび上がる遺児の思いとは。

靖国に対する強制合祀の取り消し訴訟や
安倍首相の靖国参拝違憲訴訟に加わるとともに、
かつて遺児集団参拝に参加した当事者が全国各地の史料を渉猟し、
歴史に埋もれかけていた靖国をめぐる「闇」を掘り起こす。

 

 

【著者より】

私が本書を書き上げるなかでいつも考えていたのは、記憶の再生と継承だった。
記憶は曖昧であり、忘却しがちだ。
当時の記録文書は探しても容易に見つからなかった。
意識的に自らの記憶を甦らせなければならないし、
何度も試行錯誤を繰り返し、当時の歴史事実を掘り起こしていく以外に方法はない。(…)

また、遺児参拝を調べるなかでいつも葛藤を感じてきたことがある。
私は1944年生まれで、父親を戦争で亡くした世代である。
その生育史はほぼ戦後と重なる。
父親の戦死と、再婚をせずに私を育ててくれた母親の苦労とを身にしみて感じて育った。
母を通じて伝えられた戦争の記憶は
私の人生と切り離せないものだった。
ただそこからくる発想には「被害者」としての意識が強くあり、
長じて日本のアジア侵略、
戦争責任等「加害者」認識を持つようになったが、
果たしてどこまで被害者としての意識を抜け出ていたか。
私にとって「靖国を問う」とは、
被害と加害の関係の意識化、対象化である。

                    ー航思社のHPから

 

 

松岡さんがこの稿を連載した『反天皇制市民1700』を、いつも送っていただいていた。

 

毎号の原稿は松岡さんが足とアタマで綴った成果だった。でも、ときにはミステリーを読むような気分で、また時には、戦争と家族の歴史を垣間見る気分で読んできた。

 

読みごたえがあった。

 

今まで誰も日を当ててこなかった貴重な仕事。「いつか1冊になるといいですね」と、根拠もないまま言い続けてきたが、今回ようやくそれが実現した。

 

今しかつくれない本、ぜひ多くの方々に眼を通してほしい。