歯を食いしばって働く教員は、歯を食いしばることを生徒に求めてしまうもの

 

9月も末になろうというのに、網戸にしたまま就寝している。時にはエアコンもつける。扇風機の掃除はもう少し先になるようだ。

 

年々、秋になるのが遅くなっている。

 

25日、大学の授業が始まる。いつの間にか4年目に。今年の学生は16人。初めての授業なのに、空気がやわらかい。この大学独特のものなのか。理由はわからない。

 

互いに自己紹介。とは言っても私は「問題意識」と称して30分。学生はひとり2分。半々。

66歳と22歳。この年まわり、親子ではないし、かと言って孫と祖父ほども離れていない。父母の年の離れた兄、伯父さんというところか。

 

男女ともにおだやか。ギラギラした感じがない。野球やサッカーをやっていて、教員になっても部活動をやりたいという学生は多いが、中に1人「高校の部活動にあまりいい思い出がないので」普通の中・高の教員にはならず、定時制通信制の教員になりたいと云う学生。

みながみな部活動にいい思い出を持っているわけではない。

周りがハッとするのがわかる。

 

部活動の顧問をやりたいがために教員になりたいという人がたくさんいますが、大学には「部活動実践演習」とか「部活動指導論」などという授業はないのはなぜだと思いますか。

 

本務ではない部活動を、無理やりに教育課程の端っこに引っかかるように学習指導要領に載せてはいるが、部活動を「本務」と言ってしまえば、教員の勤務は理屈の上で成り立たなくなる。中学の教員の6割以上が、過労死ラインを超える月80時間以上の超過勤務をしているのだ。

 

それなのに、保護者の部活動への郷愁は強い。部活動なしの学校なんてありえない、というふうなのだ。

 

部活動の加入率を自慢する校長も多い。加入率が高いと「落ち着いた学校」なのだそうだ。

 

部活動は生徒指導だ、と若いころ言われた。それほど部活動が盛んではなかった時期だ。

 

学校五日制以降、部活熱は高まるばかりだ。校舎や校門のところに「〇〇部〇〇大会出場」とか「優勝」などという垂れ幕や横断幕がどこの学校にも見られるようになった。誰のためのアピール?といつも思う。

生徒の励みになるのだという。そうだろうか。

 

勉強も塾も部活も一所懸命やる、という生徒が多い。

だから、疲弊して脱落する生徒も少なくない。

そういう時、「部活動は生徒指導だ」という教員は黙っていることが多い。それより「やめていくのは敗北」的な感覚の方が、生徒も教員も強いのではないか。一つごとを最後まで続けることが肝要という日本的な精神主義。運動部だけではない、吹奏楽部も同じだ。

 

どうして、そういう授業がないか、理由は?

 

正規の仕事ではないから、と小さな声。

 

分かっている。だけど部活がやりたい。だって楽しそうだし…。

 

教員はいくら残業しても残業手当が出ないことは知ってる?

教育実習で担当の先生は何時に出勤、何時に退勤してた?

休憩時間って学校にあった?

月に80時間の残業時間を超える人が60%もいるって知っている?

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教員の働き方について考える授業ではないけれど、これ抜きには授業は始まらない。

教員は生徒にとって最大の教育環境。

疲れ切った教員の後ろ姿を見て育つ生徒は幸せとは言えない。歯を食いしばって働く教員は、歯を食いしばることを生徒に求めてしまうものだ。

 

今年もあと14回、若者の生き血を吸いながら老骨はがんばる?(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

大相撲九月場所、酔いに任せて昔ばなし・・・。

 大相撲秋場所が終わった。貴景勝と御嶽海の決定戦で御嶽海が快勝。貴景勝はいいところなく、胸の筋肉断裂という傷を負って終わった。来場所は大関復帰の場所になるが、出場が危ぶまれている。

f:id:keisuke42001:20190923153826j:plain御嶽海

 

平幕で3敗の隠岐の海貴景勝に敗れ、粘りのある相撲で注目を集めた遠藤は御嶽海に敗れた。隠岐の海も遠藤も懐の深いいい力士。来場所はそれぞれ前頭筆頭当たりの予想、楽しみだ。二度目の大関陥落の栃ノ心もこのままでは終わらないだろう。

f:id:keisuke42001:20190923153848j:plain隠岐の海

 

2年前の秋場所、大相撲観戦バスツアーというのに参加した。この時も、観戦日が近づくに連れて休場力士が増えていくといった状態で、「なんだよ、なんだよ」なんて言いながら、意気阻喪、消沈して出かけた。

 

バスの中の空気も暗かった。男性のガイドはぺらぺらとよくしゃべったが、力士の休場については一言も触れなかった。

 

築地のすし屋でお昼を食べ、浅草寺界隈を散策して両国へというコース。寿司だけにどうせお店はすし詰めだろうなんて話していたら、意外に瀟洒なお店で寿司もうまかった。

浅草寺は時間調整に使われるらしく短時間。Mさんは集合時間に遅れて、ガイドの少しきつい視線にさらされていた。

 

で、国技館の座席はと云うと、これが上の上。ざんねんだが物理的に、だ。力士は豆粒のよう。声をかけても届きようもない。

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テレビの解説者の席を探したのだが、見つからなかった。

お酒や焼き鳥などお土産が配られるが、これも早々と食べ、呑んでしまう。

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あとは、館内のぶらぶら歩き。

 

見たことがある力士がジャンパーを着て人員整理などをしている。

向こうは知らないけれど、こちらは知り合いのような気がする。

 

彼らは力士でいる時間より、引退して相撲協会で仕事をする時間の方が長い。

人間関係、難しいだろうな。現役のときの番付が最後までものを言う世界。

 

幕内で引退したならいいけれど、一度も十両にも上がらずに引退した力士は住みにくい世界だろうなと思う。

 

相撲協会に残らずに、自立する人も多い。

今は閉店してしまったが、東急線の武蔵小杉に「むさし野本店」といううなぎ屋があった。

大将は小柄で、たしか関取にはなれなかった人だった。

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お店は相撲部屋を移築した建物で、入ると土俵があった。テーブルが並んでいたけれど。

大将は相撲強くはなかったようだが、相撲放送を見ているとよく映った。もちろん観客として。向こう正面の3,4列目あたりにいつもいた。相撲愛の強い人だった。うなぎ屋として成功し、いい座席でテレビに映るというのも、その一つだったのではないか。。

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料理がすごかった。うなぎ屋でありながら、宴会料理はちゃんこ料理。それもいわゆる「ちゃんこ屋風」ではなく、すべてほんもの。徳利は「馬力」と呼ばれ、日本酒の冷やが一升まるまる入るものだった。持つのも大変な代物。

相撲甚句が流れて、大将は白菜などを手でちぎっては大鍋に投げ入れる。

刺身は九州産のハガツオの一種、たしか大将はほうさんと云っていたが、大皿の上に盛られて出てくるが姿は全く見えない。その上に大根おろしが厚さ2センチぐらい盛られているからだ。

相撲取りは黒星を嫌うというので、醤油は使わない。大皿は床におけば「土がつく」というので、みな大皿を持ったままリレーして、手づかみで刺身と大根おろしを食べた。

 

小錦のベルトとか○○の足袋とか、いろいろな相撲関連グッズが置いてあり、大将が機嫌がいいと、問わず語りに相撲界のことを話してくれる。

 

力士は口数が多いのは嫌われる。なるべく短く答えるのが一番。自分の考えと違う時は「そうかな」、同じときは「そうす」、あとは「ごっつぁんです」と「頑張ります」で済む、と。そんな話も。

今は、自分の取り組みを冷静に言葉を選んで振り返る関取も多いが、大将が力士だったころはさもありなん、だったろう。

 

珍しいからと遠くから来た人たちで行ったり、職場の人たちと行ったりで何度も伺ったが、馬力を何本も頼むので、毎回呑みすぎてつぶれる人が出るのは閉口した。日本酒の冷やを大きな茶碗で呑むことなど普段はないから、調子を狂わせてしまうのだ。

 

40代の頃、今は昔の話ではある。

 

次は、11月場所、九州開催。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大相撲九月場所13日目の寸評・読み飛ばし読書の備忘録⑫ 『ひそやかな花園』『月と雷』(角田光代)

大相撲九月場所、もう13日目。

 

白鵬もいなければ鶴竜もいない。

 

大関は高安が休場。豪栄道栃ノ心はカド番。それぞれ8度目と3度目。最近、毎場所誰かがカド番。ちょっと情けない。

 

話題は、優勝で大関返り咲きを目指す貴景勝と、それを阻止して大関への足掛かりを得たい御嶽海の争い。今日、御嶽海、物言いがついたが妙義龍に勝った。

 

嘉風の引退も寂しい。いいなあと思うのは、遠藤。相撲に粘りが出てきたような気がする。今日も琴奨菊に勝った。

f:id:keisuke42001:20190920173702j:plain遠藤

そんなわけで、今ひとつ盛り上がらないなあと思うのは私だけか。

 

毎朝、新聞の県内版の片隅の星取表を見る。気になるのは、相変わらず東序の口34枚目にいる服部桜。今日までに0勝6敗。勝てない。湘南乃海は幕内17枚目ながら5勝2敗。このままなら来場所は関取挑戦か。

f:id:keisuke42001:20190920173546j:plain服部桜

 

同じ幕下27枚目に、元大関照ノ富士がいる。46枚目には千代の国も。怪我が原因で低迷している二人、実力は折り紙付き、早く元気な姿を見せてほしい。

 

心待ちにしているのが宇良。現在、西序二段36枚目。休場中である。683人いる力士のうち、下から100人目ぐらいだろうか。まだ怪我が治っていない。早く元気な姿が見たい。

f:id:keisuke42001:20190920173837j:plain宇良

 

今日の取り組みの一番は、貴景勝豪栄道だろうか。豪栄道の意地を見てみたい。今から時間いっぱい。

 

豪栄道、意地を見せた。上手投げで3秒で勝ち!

 

北の富士豪栄道、大勝負に出ましたね」。

 

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少し面白くなってきた。

 

読み飛ばし読書の備忘録⑫

 

『ひそやかな花園』(角田光代・2014年・講談社文庫・単行本2010年)

 

『月と雷』(角田光代・2015年・中公文庫・単行本2012年)

 

 前者はやや深みに欠けた。つくりすぎかな。

 後者は、いい。エキセントリックな人間をじっくり描くのがいつも上手いなと思う。

 『愛が何だ』に通じる面白さ。タイトルもいい。映画は、このブログでも書いたが、小説に比べると面白味がやや減じてしまう。

読み飛ばし読書備忘録⑪ 『我らが少女A』(高村薫・2019年・毎日新聞出版・1800円+税)

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑪

 

『我らが少女A』(高村薫・2019年・毎日新聞出版・1800円+税)

 

7月に病院病院にを見舞ってくれた友人のHさんからいただいた。7月に出るというので楽しみにしていた本。病院のベッドで読んだ。

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毎日新聞に2017年8月1日から2018年7月31日まで連載された小説。連載時は挿画355枚を、作風も経歴も異なる画家、イラストレーター、写真家ら24人が日替わりで描いたことが話題となっていた。『高村薫 我らが少女A 挿画集』が出ている。

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毎日新聞の売り込み惹句

合田雄一郎、痛恨の未解決事件

12年前、クリスマスの早朝。
東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された。
犯人はいまだ逮捕されず、当時の捜査責任者合田の胸に後悔と未練がくすぶり続ける。
「俺は一体どこで、何を見落としたのか」
そこへ思いも寄らない新証言が――池袋の殺人事件で逮捕された男によると、
自分が殺害した女性が野川公園の未解決事件に関連する物を所持していたと言うのだ。
合田の脳裏に、一人の少女の姿が浮かび上がる――。

 

 

すべて読んでいるわけではないと思うが、高村薫の作品は1990年代初めから読み継いできた。

 

ミステリーはもう書かない、といったかどうか忘れたが、久しぶりのミステリーが2012年の『冷血』(上・下)だった。

 

その後、『4人組がいた』『空海』『土の記』(上・下)と続いて、今回の『我らが少女A』。

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間の三作の中で『土の記』(上・下)は、老齢の主人公の行動と心理がこれ以上はないなというほどきめ細かく表現されていて唸りながら読んだ。『空海』は線を引きながら読んだ。

 

そして今度の『我らが少女A』。『冷血』と比べて、文章の比重のようなもの?が軽くなったと思った。これでもかと畳み込む長い重文がなく、わりあい淡彩な感じがした。

 

殺された女の子以外の登場人物の視点に立ち、「事件」をなぞっていく手法のせいか、特定の人物に強い思い入れを込めて、といったことがなく、淡々と少女Aをめぐるそれぞれの物語を紡いでいく。

 

12年前の野川公園殺人事件に関わる少女Aは、人々の心の中で幾重にも変転していく。

少女Aの物語でありながら、当然それは少女Aに関わる人物自体の個別の物語でもある。

 

幾枚もの薄皮をめくると、少女も街も人々も全く違う相貌を見せる。『冷血』は、一貫しない犯人の行動と心理を克明に執拗に追った作品だったが、『少女A』は全く違った手法で描かれたミステリーだ。

 

ずるずると内臓を引きずり出すような長い重文の重なりも魅力的だが、これもまた良い。

 

マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』『冷血』と生きてきた合田雄一郎も年をとった。12年前を思い起こしながら「俺は一体どこで、何を見落としたのか」と臍を噛む合田だが、毎晩白い運動靴を洗う若いころのようなひりひりとした焦燥感は感じられない。年を経ることでそぎ落とされていくものと、はらってもはらってもついてくる贅肉のようなもの。どちらも受け入れるしかないといった諦念が感じられた。

 

やっぱり、高村薫はやめられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『夏の思い出』・・・”土用丑の日”のお昼ごはん 秋めいてきた雨の午前中。5回目の内視鏡検査。

18日(水)

1か月余ぶりに藤が丘病院へ。朝から秋めいて気温が低く、曇天。

 

8時半過ぎに病院に着く。9時の予約。せっかち。院内はもうたくさんの人が行き交っている。病院だから、活気があるという言い方はおかしいが、みなどこかしら行先があって、そこに向かっている。

 ふだん、人の集まるところに足を向けないので、少し気圧される感じ。

 

 

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5回目の胃カメラ。正式名称は「上部消化管内視鏡検査」。上部消化管とは食道、胃のこと。ちなみに「下部」は大腸など。

 

 

友人に「5回目」とメールを入れたら「抜かされました。私4回。上と下、あわせて」

 

 

ドクターは今回もY先生。ゆったりしたテンポで話すので、こちらも力がほどよく抜けて、good。

「お変わりありませんか?」「はい、順調です」。

そうでもないのに、ついよい子ぶって調子よく返事をしてしまう。

 

 

血圧計をつけ、薬剤を投入する注射器を固定、酸素飽和度を計測する簡単な装置(たぶん)を指先に付ける。胃の中を広げる薬と、のどの麻酔薬を渡される。

「のどに5秒ぐらい止めておいて呑み込んでください」

口の周りがしびれて来る頃に「鎮静剤、入れますね」とドクター。

 

看護師とドクターの間で、薬剤の分量を復唱しあう声を聞いているうちに、意識が遠のいていく。

 

 

目が覚めた時には検査は終了。30分ほど経っただろうか。半身を起こすも一人で立っては歩けない。看護師に支えられて麻酔を覚ます安静室?に連れられていく。ここで30分ほど眠ってしまう。

 

手術のときは、ぼんやり目が覚めてもまだ内視鏡や他の機器が外されておらず、激しく嘔吐したことをおぼえている。3時間半を超えたのはやや異例だったと、あとでドクターから聞いた。

 

今日はどういうかげんか、安静室を出てもふらつきが簡単におさまらない。会計を済ませても、まだ揺れが残っている。

 

Y先生「特に切除するものもありませんでしたし、きれいだったと思います。詳しくは次の診察のときに」。ほっとする。

 

外へ出ると雨。予報は終日曇り、だったのだが。けっこうな降り。傘はない。Mさんに迎えに来てもらう。

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『夏の思い出』・・・手術3日後、”土用丑の日”のお昼ごはん 

 

 

 

 

 

 

9月第二週の備忘録と読み飛ばし読書備忘録⑩『東京自叙伝』近代日本国家批判の試み

昨日、久しぶりにブログを更新した。

日々の備忘録のつもりなのだが、なかなかそんなふうには機能しない。

先週、思いつくままに。

 

8日。はこね学生音楽祭に行くつもりで、先月のうちに実行委員会にメールを入れておいた。しかし、大型の風台風15号の襲来が予想され不参加のメールを入れる。ホテルもキャンセル。

 

音楽祭自体の様子は、始めから終わりまですべてyoutubeにアップされているが、場の雰囲気、独特の空気は伝わってこない。出演団体がみなさまざまな趣向を凝らして「箱根八里」を歌うというのが、この音楽祭の特徴、何とも可笑しい。仙石原の文化センターという地域の公民館のようなところが会場。参加10団体をどんなふうに選んでいるのかよくわからないが、金賞団体には30万円が活動支援金として渡される。現金は珍しい。3人の審査員はよく知られた音楽家の方々。服部克久・新美徳英・渡辺俊幸の三氏。

主演団体のほかに特別企画として「広域指定合唱団青山組 合唱団やえ山組」という団体が出る。かなり上手な団体。命名が面白い。最近は合唱団の名前も楽しいものが多い。

(8月17日に東京芸術劇場で聴いた団体は「お江戸コラリアーズ」、高いレベルの男声合唱団。10月14日に聴く予定の団体は「タリヌスコラーズ」、イギリスの声楽アンサンブル「タリススコラーズ」をもじったもののようだ。ちなみにタリスとは16世紀のイギリスの作曲家トマス・タリスのこと。タリスにはちょっと足りないということか)

 

この音楽祭、なんだかどこかユルいのに本気みたいな・・・来年はぜひ行ってみたいもの。

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10日、徳島から元同僚のKさんが顔を見に来てくれる。Kさんは徳島県の高校の教員。横浜の中学で6年間、一緒に仕事をした。行事の代休で急きょ上京。土日は飛ばなかった飛行機が火曜日は遅れずに飛んだとか。

病気見舞いに来てもらって呑み屋に誘うのもおかしな話だが、酒抜きの歓待は考えられない。近所の元同僚Aさんをお誘いし、三人で十日市場の牡蠣料理のお店。外でお酒を飲むのは2か月ぶり。愉しい時間。

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14日、5月に生まれた孫のお宮参りとお食い初め天王町。4人家族と山梨から出てこられた両親。重い心臓病を抱えて産まれてきた孫、今日も上機嫌、ニコニコしている。厳しい状態の中で難しい手術を受けたことなど感じさせない。

初詣に行く習慣もないのに、孫が産まれるたびに神社へ。なんとも。

お寺もキリスト教の教会もそうだが、宗教のしきたりはどれも事大主義なわりに実用的な部分もあり滑稽。

禰宜と呼ばれる女性が自分で太鼓を鳴らして開式?を宣言、大幣(白い紙のついた棒のようなもの)を振ったりしたかと思うと、奥に入りステレオのスイッチを入れたりとみな一人でするせいか、演出される荘厳さがぶつ切りになる。

初めての孫のときは、認知症を患っていた義母も参列、荘重にお祓いを続ける宮司にいちいち話しかけていたのを思いだす。宮司はかなり困っていたが。

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禰宜さんから最後にお食い初め用の食器のプレゼント、カメラマン役も務めてくれる。

 

キャンセルした箱根のホテル、キャンセル料を現金書留で送れとのこと、送料も高いし、めんどうと思ったが、次の日に送った。そうしたらキャンセル料と同額の優待券が返送されてきた。なるほど、また行こうかという気分にならないこともない。

 

 

 

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑩

 

『東京自叙伝』(奥泉光・2014年・集英社

 

すさまじい小説だ。読んでふた月経つのに残っている。

東京に息づく地霊が、近代以前、平将門まで彷彿とさせながら、明治以後のこの国のいたるところにいる「私」となって脈々とつながっていく。それはときに鼠であり、漱石の猫であり、秋葉原通り魔事件の犯人であり・・・6人の具体的な名前をもつ男の身体を借りながらつづられる物語。地霊は形を変え続け、何にでもなりながら一つ所にとどまらず3・11まで疾走する。「なるようにしかならぬ」といながら連綿と続くこの国の無責任体質。小説がこんな形で歴史や人々の心性を表現できるものなんだと、いつもながらのことだが奥泉の小説には驚かされる。

もういいや、と思いながらつい手が出てしまうのが奥泉光の作品。

 

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日曜の午後、浪曲に酔いしれる。趙博の「森の石松」、沢村豊子師匠との自在のセッション。

15日、日曜日。ずいぶん前に予約した『浪花の歌う巨人・パギやん独演会』、会場は港北区・大倉山。

広い梅園を背後に抱えたこの記念館、菊名に住んでいたころは格好の散歩コースだった。

南町田からはバス、電車、電車、電車で1時間以上かかってしまう。

 

弱気が頭をもたげ「やめようかな」とも思うが、小さな会場、主催は横浜で芸人をプロモートしているアマチュア?の団体「芸人三昧」。胴元小野田さんからは昨日、取り置きのチケットお忘れなく、のメールが入っている。穴をあけるのは気が引ける。

 

ちょうど、来月、話をすることになっている菊名の小さな会、世話人のIさんに届ける資料もある。よいしょと12時発のバスに乗る。

 

乗り換えの菊名で東口に降りる。評判の良いそば屋をのぞくことに。お祭りのおみこしに男衆が群がっている。笛に太鼓でにぎやか。祭囃子を聞きながら5,60m。お店の前には人だかり。行列。諦めて大倉山へ。人の行き来が多く、お店を探す余裕もない。

 

空いている日高屋で野菜たっぷり湯麵の麺少な目。

 

記念館への坂は結構きつい。日差しも強い。しかし今日は強い味方がいる。初めて使う男の日傘。Mさんに買ってもらって2か月、とうとう役に立つときがやってきた。ジーンズ地の厚手のもの。「晴雨兼用にすればいいのに」というMさんを押し切って「これがいい」と決めたもの。間違いなく帽子より快適。もっと早く利用すればよかった。

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開場時間まで15分。外のベンチで休むことに。松林。気持ちのいい風が吹き抜けていく。

 

会場は第10集会室。40人ほどの座席。満員。本を読んでいると小野田さんが背中を叩く。振り向くと和服姿の趙博さんが着物姿で笑っている。一年ぶりの無沙汰を詫びる。

 

今日の演目は① 浪曲「石松代参」 ② 韓国古典民謡パンソリ お仲入り ③ 浪曲「石松三十石船道中」

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①③の三味線は浪曲界の至宝と言われる曲師沢村豊子さんだ。趙さんには悪いが、今日の楽しみの半分以上は豊子師匠の三味線。

 

浅草などいろいろなところで顔を合わせることの多いお二人。ある時、豊子師匠が趙さんの歌を聞いて「うちにお稽古にいらっしゃい。あなたならすぐに上達するでしょうから」といった話となったそうな。趙さんは、自分の歌はもちろん、パンソリ、ジャズ、に一人がたりに芝居、映画を一本丸ごと語り歌いつくす「歌うキネマ」シリーズと、とにかく多彩かつ多才な芸人。苦労はあったようだが、すぐに人前でうなれるように。

 

今日はそのネタおろしのようだ。

 

趙さんは早めに舞台のびょうぶ裏に待機。豊子師匠は付け人を従えて後ろから入ってくる。

小柄で襟をすっと抜いた着こなしが何とも美しい。太棹を固定するゴムのようなものがついている手ぬぐいを腿の上に置いて、付け人から太棹を受け取る。そうしてばちをふところから取り出すと背筋がすっと伸びる。音が出ていなくても「よ、日本一!」と声をかけたくなる。

 

さて演目。「石松代参」、石松は次郎長親分から金毘羅山まで一人でお礼参りに行って来いと命を受ける。ただし3か月のあいだ酒は一滴も呑んではならぬというお達しに、石松「お断りします」。1000人もの子分の中で次郎長親分の命令に異を唱える者など一人もいない。許せん、そんな奴はたたっ切ってやると親分、抜き身を頭上にかかげるが、短慮な石松は謝りもしない。そこへ大政が入ってうまく間を取り持つのだが、趙さん、緩急自在、よどみなく聴衆を引き付ける。それぞれのキャラクターの演じ分けも巧み。「歌うキネマ」に通じるところ。七五調がこれでもかとこれでもかと畳み込んでいく。

 

それを倍加させて盛り上げているのが豊子師匠の三味線。精妙、絶妙のきわみ。

 

ものの本によれば、浪曲の三味線には、外題付けからバラシ、キッカケ、浮かれ,セメなど語りや歌に合わせていくつものパターンがあるというが、豊子師匠の弾きぶりを聴いていると、ときには趙さんに合わせて、ときには趙さんを引っ張り、そしてときにはオーケストラのように情景を描写する。とても一本の太棹の仕業とは思えない多彩さ。

 

趙さんと豊子師匠のやりとりを聴いていると、どちらがどちらといった境目は感じられない。あえていえばまるでジャズのセッションのような自在ぶりである。聴いていて気分のいいことこの上なし。話の筋を追いながら音楽に酔いしれる。小さなオペラさながら。

 

豊子仕様を「休めさせてあげるため」というお仲入りの前の20分ほどをご自分の歌とパンソリで楽しませてくれた趙さん、後半の「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」で有名な「石松三十国船道中」が盛り上がったことは言うまでもない。目のまえに船道中の様子が生き生きと浮かんで来た。

広沢虎三のコピーではあるけれど、豊子師匠の三味線で逸品の「趙博の石松」が出来上がった。

 

浪曲と云えば、4年前に亡くなった国本武春と今や看板浪曲師の玉川奈々福しか知らないのだが、どちらも浪曲にとどまらない広がりをもった人たちだ。趙さんの歌を聴いて「お稽古にいらっしゃい」と言ってしまう豊子師匠、それに「はいはい」と応じて本格浪曲を自分のものにしてしまう趙博さん。優れた人たちは、ジャンルなど気にせず飛び越えていってしまうものなのだな、と思いしらされた日曜の午後だった。