9月第二週の備忘録と読み飛ばし読書備忘録⑩『東京自叙伝』近代日本国家批判の試み

昨日、久しぶりにブログを更新した。

日々の備忘録のつもりなのだが、なかなかそんなふうには機能しない。

先週、思いつくままに。

 

8日。はこね学生音楽祭に行くつもりで、先月のうちに実行委員会にメールを入れておいた。しかし、大型の風台風15号の襲来が予想され不参加のメールを入れる。ホテルもキャンセル。

 

音楽祭自体の様子は、始めから終わりまですべてyoutubeにアップされているが、場の雰囲気、独特の空気は伝わってこない。出演団体がみなさまざまな趣向を凝らして「箱根八里」を歌うというのが、この音楽祭の特徴、何とも可笑しい。仙石原の文化センターという地域の公民館のようなところが会場。参加10団体をどんなふうに選んでいるのかよくわからないが、金賞団体には30万円が活動支援金として渡される。現金は珍しい。3人の審査員はよく知られた音楽家の方々。服部克久・新美徳英・渡辺俊幸の三氏。

主演団体のほかに特別企画として「広域指定合唱団青山組 合唱団やえ山組」という団体が出る。かなり上手な団体。命名が面白い。最近は合唱団の名前も楽しいものが多い。

(8月17日に東京芸術劇場で聴いた団体は「お江戸コラリアーズ」、高いレベルの男声合唱団。10月14日に聴く予定の団体は「タリヌスコラーズ」、イギリスの声楽アンサンブル「タリススコラーズ」をもじったもののようだ。ちなみにタリスとは16世紀のイギリスの作曲家トマス・タリスのこと。タリスにはちょっと足りないということか)

 

この音楽祭、なんだかどこかユルいのに本気みたいな・・・来年はぜひ行ってみたいもの。

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10日、徳島から元同僚のKさんが顔を見に来てくれる。Kさんは徳島県の高校の教員。横浜の中学で6年間、一緒に仕事をした。行事の代休で急きょ上京。土日は飛ばなかった飛行機が火曜日は遅れずに飛んだとか。

病気見舞いに来てもらって呑み屋に誘うのもおかしな話だが、酒抜きの歓待は考えられない。近所の元同僚Aさんをお誘いし、三人で十日市場の牡蠣料理のお店。外でお酒を飲むのは2か月ぶり。愉しい時間。

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14日、5月に生まれた孫のお宮参りとお食い初め天王町。4人家族と山梨から出てこられた両親。重い心臓病を抱えて産まれてきた孫、今日も上機嫌、ニコニコしている。厳しい状態の中で難しい手術を受けたことなど感じさせない。

初詣に行く習慣もないのに、孫が産まれるたびに神社へ。なんとも。

お寺もキリスト教の教会もそうだが、宗教のしきたりはどれも事大主義なわりに実用的な部分もあり滑稽。

禰宜と呼ばれる女性が自分で太鼓を鳴らして開式?を宣言、大幣(白い紙のついた棒のようなもの)を振ったりしたかと思うと、奥に入りステレオのスイッチを入れたりとみな一人でするせいか、演出される荘厳さがぶつ切りになる。

初めての孫のときは、認知症を患っていた義母も参列、荘重にお祓いを続ける宮司にいちいち話しかけていたのを思いだす。宮司はかなり困っていたが。

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禰宜さんから最後にお食い初め用の食器のプレゼント、カメラマン役も務めてくれる。

 

キャンセルした箱根のホテル、キャンセル料を現金書留で送れとのこと、送料も高いし、めんどうと思ったが、次の日に送った。そうしたらキャンセル料と同額の優待券が返送されてきた。なるほど、また行こうかという気分にならないこともない。

 

 

 

 

 

読み飛ばし読書備忘録⑩

 

『東京自叙伝』(奥泉光・2014年・集英社

 

すさまじい小説だ。読んでふた月経つのに残っている。

東京に息づく地霊が、近代以前、平将門まで彷彿とさせながら、明治以後のこの国のいたるところにいる「私」となって脈々とつながっていく。それはときに鼠であり、漱石の猫であり、秋葉原通り魔事件の犯人であり・・・6人の具体的な名前をもつ男の身体を借りながらつづられる物語。地霊は形を変え続け、何にでもなりながら一つ所にとどまらず3・11まで疾走する。「なるようにしかならぬ」といながら連綿と続くこの国の無責任体質。小説がこんな形で歴史や人々の心性を表現できるものなんだと、いつもながらのことだが奥泉の小説には驚かされる。

もういいや、と思いながらつい手が出てしまうのが奥泉光の作品。

 

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