15日、日曜日。ずいぶん前に予約した『浪花の歌う巨人・パギやん独演会』、会場は港北区・大倉山。
広い梅園を背後に抱えたこの記念館、菊名に住んでいたころは格好の散歩コースだった。
南町田からはバス、電車、電車、電車で1時間以上かかってしまう。
弱気が頭をもたげ「やめようかな」とも思うが、小さな会場、主催は横浜で芸人をプロモートしているアマチュア?の団体「芸人三昧」。胴元小野田さんからは昨日、取り置きのチケットお忘れなく、のメールが入っている。穴をあけるのは気が引ける。
ちょうど、来月、話をすることになっている菊名の小さな会、世話人のIさんに届ける資料もある。よいしょと12時発のバスに乗る。
乗り換えの菊名で東口に降りる。評判の良いそば屋をのぞくことに。お祭りのおみこしに男衆が群がっている。笛に太鼓でにぎやか。祭囃子を聞きながら5,60m。お店の前には人だかり。行列。諦めて大倉山へ。人の行き来が多く、お店を探す余裕もない。
空いている日高屋で野菜たっぷり湯麵の麺少な目。
記念館への坂は結構きつい。日差しも強い。しかし今日は強い味方がいる。初めて使う男の日傘。Mさんに買ってもらって2か月、とうとう役に立つときがやってきた。ジーンズ地の厚手のもの。「晴雨兼用にすればいいのに」というMさんを押し切って「これがいい」と決めたもの。間違いなく帽子より快適。もっと早く利用すればよかった。
開場時間まで15分。外のベンチで休むことに。松林。気持ちのいい風が吹き抜けていく。
会場は第10集会室。40人ほどの座席。満員。本を読んでいると小野田さんが背中を叩く。振り向くと和服姿の趙博さんが着物姿で笑っている。一年ぶりの無沙汰を詫びる。
今日の演目は① 浪曲「石松代参」 ② 韓国古典民謡パンソリ お仲入り ③ 浪曲「石松三十石船道中」
①③の三味線は浪曲界の至宝と言われる曲師沢村豊子さんだ。趙さんには悪いが、今日の楽しみの半分以上は豊子師匠の三味線。
浅草などいろいろなところで顔を合わせることの多いお二人。ある時、豊子師匠が趙さんの歌を聞いて「うちにお稽古にいらっしゃい。あなたならすぐに上達するでしょうから」といった話となったそうな。趙さんは、自分の歌はもちろん、パンソリ、ジャズ、に一人がたりに芝居、映画を一本丸ごと語り歌いつくす「歌うキネマ」シリーズと、とにかく多彩かつ多才な芸人。苦労はあったようだが、すぐに人前でうなれるように。
今日はそのネタおろしのようだ。
趙さんは早めに舞台のびょうぶ裏に待機。豊子師匠は付け人を従えて後ろから入ってくる。
小柄で襟をすっと抜いた着こなしが何とも美しい。太棹を固定するゴムのようなものがついている手ぬぐいを腿の上に置いて、付け人から太棹を受け取る。そうしてばちをふところから取り出すと背筋がすっと伸びる。音が出ていなくても「よ、日本一!」と声をかけたくなる。
さて演目。「石松代参」、石松は次郎長親分から金毘羅山まで一人でお礼参りに行って来いと命を受ける。ただし3か月のあいだ酒は一滴も呑んではならぬというお達しに、石松「お断りします」。1000人もの子分の中で次郎長親分の命令に異を唱える者など一人もいない。許せん、そんな奴はたたっ切ってやると親分、抜き身を頭上にかかげるが、短慮な石松は謝りもしない。そこへ大政が入ってうまく間を取り持つのだが、趙さん、緩急自在、よどみなく聴衆を引き付ける。それぞれのキャラクターの演じ分けも巧み。「歌うキネマ」に通じるところ。七五調がこれでもかとこれでもかと畳み込んでいく。
それを倍加させて盛り上げているのが豊子師匠の三味線。精妙、絶妙のきわみ。
ものの本によれば、浪曲の三味線には、外題付けからバラシ、キッカケ、浮かれ,セメなど語りや歌に合わせていくつものパターンがあるというが、豊子師匠の弾きぶりを聴いていると、ときには趙さんに合わせて、ときには趙さんを引っ張り、そしてときにはオーケストラのように情景を描写する。とても一本の太棹の仕業とは思えない多彩さ。
趙さんと豊子師匠のやりとりを聴いていると、どちらがどちらといった境目は感じられない。あえていえばまるでジャズのセッションのような自在ぶりである。聴いていて気分のいいことこの上なし。話の筋を追いながら音楽に酔いしれる。小さなオペラさながら。
豊子仕様を「休めさせてあげるため」というお仲入りの前の20分ほどをご自分の歌とパンソリで楽しませてくれた趙さん、後半の「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」で有名な「石松三十国船道中」が盛り上がったことは言うまでもない。目のまえに船道中の様子が生き生きと浮かんで来た。
広沢虎三のコピーではあるけれど、豊子師匠の三味線で逸品の「趙博の石松」が出来上がった。
浪曲と云えば、4年前に亡くなった国本武春と今や看板浪曲師の玉川奈々福しか知らないのだが、どちらも浪曲にとどまらない広がりをもった人たちだ。趙さんの歌を聴いて「お稽古にいらっしゃい」と言ってしまう豊子師匠、それに「はいはい」と応じて本格浪曲を自分のものにしてしまう趙博さん。優れた人たちは、ジャンルなど気にせず飛び越えていってしまうものなのだな、と思いしらされた日曜の午後だった。