読み飛ばし読書備忘録⑪
『我らが少女A』(高村薫・2019年・毎日新聞出版・1800円+税)
7月に病院病院にを見舞ってくれた友人のHさんからいただいた。7月に出るというので楽しみにしていた本。病院のベッドで読んだ。
毎日新聞に2017年8月1日から2018年7月31日まで連載された小説。連載時は挿画355枚を、作風も経歴も異なる画家、イラストレーター、写真家ら24人が日替わりで描いたことが話題となっていた。『高村薫 我らが少女A 挿画集』が出ている。
毎日新聞の売り込み惹句
合田雄一郎、痛恨の未解決事件
12年前、クリスマスの早朝。
東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された。
犯人はいまだ逮捕されず、当時の捜査責任者合田の胸に後悔と未練がくすぶり続ける。
「俺は一体どこで、何を見落としたのか」
そこへ思いも寄らない新証言が――池袋の殺人事件で逮捕された男によると、
自分が殺害した女性が野川公園の未解決事件に関連する物を所持していたと言うのだ。
合田の脳裏に、一人の少女の姿が浮かび上がる――。
すべて読んでいるわけではないと思うが、高村薫の作品は1990年代初めから読み継いできた。
ミステリーはもう書かない、といったかどうか忘れたが、久しぶりのミステリーが2012年の『冷血』(上・下)だった。
その後、『4人組がいた』『空海』『土の記』(上・下)と続いて、今回の『我らが少女A』。
間の三作の中で『土の記』(上・下)は、老齢の主人公の行動と心理がこれ以上はないなというほどきめ細かく表現されていて唸りながら読んだ。『空海』は線を引きながら読んだ。
そして今度の『我らが少女A』。『冷血』と比べて、文章の比重のようなもの?が軽くなったと思った。これでもかと畳み込む長い重文がなく、わりあい淡彩な感じがした。
殺された女の子以外の登場人物の視点に立ち、「事件」をなぞっていく手法のせいか、特定の人物に強い思い入れを込めて、といったことがなく、淡々と少女Aをめぐるそれぞれの物語を紡いでいく。
12年前の野川公園殺人事件に関わる少女Aは、人々の心の中で幾重にも変転していく。
少女Aの物語でありながら、当然それは少女Aに関わる人物自体の個別の物語でもある。
幾枚もの薄皮をめくると、少女も街も人々も全く違う相貌を見せる。『冷血』は、一貫しない犯人の行動と心理を克明に執拗に追った作品だったが、『少女A』は全く違った手法で描かれたミステリーだ。
ずるずると内臓を引きずり出すような長い重文の重なりも魅力的だが、これもまた良い。
『マークスの山』『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』『冷血』と生きてきた合田雄一郎も年をとった。12年前を思い起こしながら「俺は一体どこで、何を見落としたのか」と臍を噛む合田だが、毎晩白い運動靴を洗う若いころのようなひりひりとした焦燥感は感じられない。年を経ることでそぎ落とされていくものと、はらってもはらってもついてくる贅肉のようなもの。どちらも受け入れるしかないといった諦念が感じられた。
やっぱり、高村薫はやめられない。