『おじいちゃん死んじゃったって。』親の面倒にとどまらない兄弟の生得的な面を含めた心理的な葛藤を、あり得ない取っ組み合いにしてしまえばビジュアル的には確かに笑えるけれど、せっかく光石研、岩松了を起用したのだから攻撃的なセリフの言い合いではない「ため」が見たかった。

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 『おじいちゃん死んじゃったって。』(2017年・日本・104分・監督森ガキ侑大)。これは去年の11月公開の映画。


 『おじいちゃん死んじゃった』ではなくて『おじいちゃん死んじゃったって。』というタイトルは、印象的。家庭の中で伝聞で語られる肉親の死。近いようで遠い、遠いようでやっぱり遠い祖父。だからって両親や兄弟が近いかといえばそんなこともなく。


 葬式をめぐるドタバタの面白さ、慣習、しきたりと現実感覚のずれは伊丹十三の『お葬式』のセンスにはかなわない。この映画が葬式をめぐってというより、残された家族間の決定的な行き違いがテーマなのだろうから、それは仕方がないのだが、通夜や葬式を準備する段取りなどがもっと入ればリアリティが増したと思う。


 全体にファンタスティックな感じになってしまうのは、吉子(岸井ゆきの)の視点から語られるストーリーが、今一つピンとこないせいか。自宅でセックスをしている最中におじいちゃん死去の連絡を受けたことに吉子はずっとひっかかっているのだが、幼すぎるというか。インドの死のイメージも類型的。山崎佐保子の脚本にもっと深まりがあればと思った。思いは分からないわけではないのだが、随所に突っ込む不足と思われるところが。


 親の面倒にとどまらない兄弟の生得的な面を含めた心理的な葛藤を、あり得ない取っ組み合いにしてしまえばビジュアル的には確かに笑えるけれど、せっかく光石研岩松了を起用したのだから攻撃的なセリフの言い合いではない「ため」が見たかった。

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こういう映画、嫌いじゃないけれど、今一つかな。ふと思い浮かんだ映画が『チチを撮りに』(2017年・日本・74分・監督中野量太)。小中学生の姉妹の話だけれど、忘れられない佳作。姉妹のからだの動きにさえ微妙な心情が顕われる。子どもであっても幼すぎるとか類型的とは全く感じなかった。74分という時間もいい。

 

f:id:keisuke42001:20181013124329j:plainチチを撮りに』の1シーン

『坂の上のアポロン』昭和の雰囲気を出そうとしているのに、登場人物がみなあまりに今風。だから映画の中の空気がリアリティを欠いているというか。鼻の奥がツーンとなるようなしみじみとした懐旧、郷愁感は感じられない。久しぶりに残念な映画だった。

10月9日
久しぶりにTSUTAYAへ。見逃している映画を探しに。なんだかレンタル化の回転が速くなっているような気がする。ついこの間みた『ゲティ家の身代金』(5月25日公開)『ザ・スクエア思いやりの聖域』(4月28日公開)が“新作”で出ている。私は本厚木の映画.comシネマや新百合ヶ丘のアートセンター、黄金町のジャックアンドベティなどのいわゆる2番館(今では1.5番館に近いときも)に行くことが多いが、ものによってはここらで上映されるのとほぼ同じような時期にレンタル化されていくようだ。


 しかしこの2本は決して早い方ではない。TSUTAYAの新作のサイトを見ると、8月公開どころか9月公開というものもレンタル化されている。公開1か月でレンタルに。
つくった以上、なんとか資金を回収しなければならないということか。同時にネットの映画サイトにも売ることになるのだろう。
 この日は3本借りた。新作?だから値段も高い。

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 『坂の上のアポロン』(日本・2018年・120分・監督三木孝浩)。新聞の日曜版の「新作DVD紹介」の欄が絶賛。タイトルのセンスの良さもあってつい手を伸ばしてしまった。だまされやすい性格。

 三木監督の作品では『くちびるに歌を』(日本・2015年・132分)を全く期待をしないで時間調整のためにみたのだが、時間もかなり長く酷評が多かったわりに、私は飽きることなく最後まで楽しめた。で、柳の下の泥鰌と思ってみたのだが、正直がっかり。原作は漫画らしいが、ストーリーの流れも設定も通俗的でありきたり。み始めて20分ほどでつれあいと顔を見合わせてしまった。結末まで簡単に見通せてしまうし、実際、ほとんど予想は外れなかった。


 少し楽しめたのは、ジャズのセッションのシーン。文化祭のロックグループの発表の途中で停電が起き、場をつなぐ形で主人公二人がピアノとドラムでセッションするシーン、モーニンなどなつかしい曲。でも演奏はそこそこいいのに、周囲の反応の演出が古臭い。ひねりなさすぎ。演奏が終わるとどこに向かっていくのかわからないが(夕日ではなかった)、ふたりで「走る」のが意味不明。

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 教室での授業中、主人公二人が、かたや机を鍵盤にして叩くのに鉛筆二本のドラムで応じるのもよかった。ただこのシーンも周囲の反応含めてリアリティなし。

 レコード屋の地下(この設定、意外過ぎてすごい)で、中村梅雀のベース、ディーンフジオカのトランペット、そしてドラムとピアノのセッション、これもいいのだが、ディーンフジオカが東京の学生運動から脱落、失意の帰郷中というのがよくわからない。だいたいディーンは大学生には全く見えない。とってもきれいな女の子と再会して二人で東京に?戻っていくのもなんだか。
 もう1シーン。部隊が佐世保なので米兵がよく来るバーのような店で、米兵とけんかになりそうなところで主人公がドラムを叩き始める。周りはなごんで米兵も喜ぶ。なんだかキレがない。
 時代考証としては昭和の雰囲気を出そうとしているのに、登場人物がみなあまりに今風。だから映画の中の空気がリアリティを欠いているというか。鼻の奥がツーンとなるようなしみじみとした懐旧、郷愁感は感じられない。久しぶりに残念な映画だった。
 それでも最後までみてしまったのだたが、中には半分までもみられなかった映画もある。最近では『ミンヨン 倍音の法則』(2014年・日本・140分・監督佐々木昭一郎)。タイトルは素晴らしいが、思い込みを延々と見せられそうで。

野のなななのか』(2014年・日本・171分・監督大林宜彦)。奇を衒いすぎだと思った。

 それもあって大林の最新作『花筐』(2017年・日本)はみていない。檀一雄の原作を読んでみたが、これを大林が撮ると思うとげんなりしてしまった。

 二作ともいい作品だよという方には申し訳ないのだが。

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f:id:keisuke42001:20181012091045j:plain花筐の1シーン

教員という職業がもつ宿啊に絶望し、大男のインディアンの“チーフ”が深夜に院内に設置してある重厚な水栓を根こそぎ抜き、窓にぶちあてて夜明けの草原を走り去るラストシーンをみて、自分もどこか遠くの地に自由を求めて立ち去りたいと妄想したものだ。

10月7日
 台風25号温帯低気圧に変わり、日本海から北海道へ。また雨を降らせているようだ。
 正午過ぎ、部屋の温度が30度を超す。真夏日?明日は二十四節季の寒露。日差しは真夏に比べ少しだけ部屋の奥まで入ってくるように。


 日課の散歩は今日は取りやめ。急に右ひざの裏に痛みが出る。もともと悪いのは左ひざなのだが。加齢のせいだろう。つれあい一人で散歩に出かける。


 9月の終わりから大学の後期の授業が始まった。今年も17人の学生と演習に取り組む。いつにもまして大学院に進む学生が多い。内定をもらっている学生もいるようだが、教員採用試験が受かれば蹴るという学生も。


 大学でろくに勉強をしなかった自分が、始業時間の前に教室に来ている熱心な学生に授業をするなどおこがましいことだと思う。4年生まで一般のドイツ語と教職の書道の単位が取れなかったことを伝えると、みなうっすらと笑ってくれる。寛容である。


 22歳から23歳。1976年、私は道に迷ってうろうろしていたのに、はずみで公立中学の教員になってしまった。あんのじょう、教員という仕事になじめず鬱屈した日々が続いた。


 唯一の逃げ場は映画館だった。今ではみな閉じてしまったが、鶴見駅の鶴見文化、京浜映画、黄金町の大勝館、横浜日劇天王町のライオン座、白楽の紅座、伊勢佐木町の関内アカデミーなどの3本立てを延々と見ていた。

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あの年、忘れられない映画が一本ある。『かっこうの巣の上で』(1975年・アメリカ・原題:One Flew Over the Cuckoo's Nest・監督ミロス・フォアマン・主演ジャックニコルソン)

 75年アカデミー賞の監督賞、主演男優賞、主演女優賞、作品賞、脚色賞を受賞している。
 ミロス・フォアマンチェコ生まれ、プラハの春に対するソ連の介入から逃れアメリカに。のちに傑作『アマデウス』(1984年)をつくる。ジャック・ニコルソンは『イージーライダー』に始まって『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『シャイニング』など枚挙にいとまがない名優だ。

f:id:keisuke42001:20181007173154j:plainジャック・ニコルソン


 ルイーズ・フレッチャーが演じる精神病院の婦長ミルドレット・ラチェット、彼女の患者に対する言動が、76年当時の中学校の管理的な教育と重なり、自分はこの婦長の側に仕事を得たのだと思った。映画そのもののもつ深みと味わいより、教員という職業がもつ宿啊に絶望し、大男のインディアンの“チーフ”が深夜に院内に設置してある重厚な水栓を根こそぎ抜き、窓にぶちあてて夜明けの草原を走り去るラストシーンをみて、自分もどこか遠くの地に自由を求めて立ち去りたいと妄想したものだ。

f:id:keisuke42001:20181007173211j:plain            左がミルドレット・ラチェット


 まだ70年学園闘争の空気がそこここに残っていた時代、“自己否定”という言葉は現実逃避と裏表でもあった。
 結局、私は走り去ることもできず、定年まで一教員として働いてきた。
今、同じ歳まわりの学生たちに相対して、それこそはずみで授業をもつことになった自分が言えることは何なのだろうと考える。たいそうなことが言えるはずもない。自分が歩いてきた道を点検するつもりで話をするのだが、なかなかうまくはいかない。しどろもどろぶりを見てくれればいいのかなとも思う。
 授業の最後には、【余談】と銘打って「今週の映画」と「今週の本」というコーナーがある。簡単な紹介を書いておくのだが、時間が余ったときは少しだけ話をする。教員の仕事にはすぐに役に立たないものを選ぼうと思っている。『かっこうの巣の上で』もいつか紹介するつもりだ。 

梯剛之(p)・松本紘佳(V)でデュオコンサート・・・大曲3曲の中には、何百か所も互いに相手を感じて出なければならない箇所があると思うのだが、彼らの中に戸惑いのようなものが生じたように見えたことは一度もなかった。

 9月30日、西国分寺の“りとるぷれいはうす”にて、梯剛之(かけはし・たけし)(P)と松本紘佳(V)のデュオを二人で聴きに行く。前回の佐藤卓史と松本のデュオが9月3日だったから、まだ1か月経っていない。キャリアとしては佐藤より格段に上であると思われる梯とのデュオ、台風24号の関東通過のその日であったが、キャンセルなど選択肢にも上がるはずもなく、勇んで出かけた。 プログラムは、

 


  ベートーベン ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第2番イ長調Op12-2
  ドビュッシー ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
             休憩
  R・シュトラウス ヴァイオリンソナタ 変ホ長調Op18


 
 “盲目の天才ピアニスト”という形容詞は、今では辻井伸行に使われることが多いが、梯も長いことそう呼ばれてきた。

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 ウキペディアによると、梯は生後1か月で小児がんのために失明。小学校を卒業すると同時に渡欧、ウイーン国立音楽大学準備科に入学、エリック・ハイドシェックアンドラーシュ・シフらの薫陶を受けるとある。父がN響ビオラ奏者、母が声楽家という家庭にあって、早くから才能を見出しウイーンに送り出したようだ。

 

 4年後、オーストリア放送協会のオーディションで優勝、以後欧米のコンクールで数々の入賞を果たし、世界中のオーケストラ、指揮者との共演を重ねてきた。
 チャリティ活動にも熱心で、小児がん基金の設立やクラシック音楽振興にも力を尽くしている。
といったことも今回初めて知ったのだが、とにかく彼の演奏を生で聴くのは初めて。

 

 今回のステージは、もともと梯が長年デュオを組んでコンサートや録音を続けているヴォルフガング・ダヴィッドさんとのデュオの予定が、スケジュールに手違いがあり来日が遅れることになってしまったとか。そこで急きょ代役として松本紘佳が指名されたことを、コンサートを主宰している小俣さんの口上で知った(松本の母でピアニストの福島有理江さんが、やはりアンドラーシュ・シフに師事していたことも今回のデュオ結成のきっかけになったのかもしれない)。

f:id:keisuke42001:20181003115621j:plain昨年のポスター。今年12月8日にもJTホールでヴォルフガング・ダヴィッドさんとのコンサートがある。

 

 いわば急ごしらえのデュオではあるのだが、実際に耳にしたふたりの演奏からはそんなことは全く感じられなかった。


 梯はまったく目が見えない。ステージに上がるのも松本が手を貸す。梯は左手でピアノを探りながら坐る。

 デュオの場合、声楽でも弦でも演奏家はピアノの前に立ち、ピアノに視線を投げかけ曲の出だしのきっかけをつくっているものだ。ここでも松本は聴衆の方に向かい梯に背を向けている。何をきっかけに始まるのだろうか。

 第1曲ベートーベン、なんとも造作なく軽やかに明るい演奏が始まる。

 音の出る直前に松本独特の“息を吐く”(たぶん)音が聞こえた。これか。いや、これは前回の佐藤とのデュオの時にも聞こえた。

 ジャズでもそうだが、視線を交わすだけで難なく演奏が始まることすら素人には不思議なことだが、梯と松本の間には、演奏家同士でなければわからない“空気”があるとしか思えない。

 大曲3曲の中には、何百か所も互いに相手を感じていなければならない箇所があるはずだが、彼らの中に齟齬や戸惑いのようなものが生じたように見えたことは一度もなかった。

 見えないということが、音楽をつくるこの二人にとってはなんら障壁にはなっておらず、それはそのまま聴く方にも伝わってくる。


 言い忘れたが今回の私たちの座席は、ヴァイオリンを弾く松本の斜め前約1.5m。奏でる音以外の音もよく聴こえる距離で、二人の様子も細大漏らさず見て取ることができた。
 当たり前だが、梯は完全暗譜。松本は楽譜をめくるが見ているふうはない。さらに松本の楽譜はよくよく見るとヴァイオリンのパート譜だけ。ピアノパートは入っていない。それぞれが自分のやりかたで演奏しながら耳だけで互いを聴き分け、精妙なアンサンブルをつくりだす。素人の想像には及びもつかないものがあるのだなと思った。

 

 さて演奏の方だが、最初のベートーベン、いつも思うことだが「楽聖ベートーベン」という後世の厳めしいイメージとはかけはなれたもの。これを若い二人が軽やかにうたい上げるという印象(梯は若いとは言えないか、失礼)。松本の方に一瞬流れが止まるところがあったように思われたが、気にはならなかった。
 

 ドビュッシーは、前回の佐藤の時と同様、印象派風の幻想的な音の心地よさを感じさせてくれた。これってたったふたつの楽器?という感じ。

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 圧巻だったのは、R・シュトラウスだ(ワルツのヨハン・シュトラウスとはまったくつながりのない人。あちらはオーストリア、こちらはドイツ。ナチスとの関係でも毀誉褒貶のある人)30分近い大曲だが、難解かつ現代的なR・シュトラウスというイメージ(私の勝手な?)とは少し違った。24歳時の作曲ということから、ロマン派的な?部分が十分に盛り込まれている。全体にダイナミックな変化に富み、きわめて繊細なところと、これがデュオかと思うほどのスケール感とがかみ合って、素晴らしい演奏となった。
 

 

 帰りに梯のCDのサイン会があるというので、一枚購入した(モーツアルトピアノ協奏曲第11番12番13番:オケはアカンサス・Ⅱ2018年4月15日東京文化会館小ホール)。サインは梯孝則(この録音にも参加している)が手伝ってCDの盤面にしてくれた。
 

 もう何度か聴いたが、指揮者のいない演奏、ピアノの屋根を外してオケがみな梯を見ながら演奏するというスタイルだとか。やわらかくて繊細なモーツアルトだなと思った。
  

 

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『朝、目が覚めると戦争が始まっていました』(方丈社・2018年)問題は、書籍の中の人々の言説そのものではなく、私自身が感じる「違和感」に組み込まれている歴史意識とか戦争観なのではないかという気がする。


 『朝、目が覚めると戦争が始まっていました』(方丈社・2018年)を読んだ。方丈社は名前の通り小さな出版社のようだ。『特攻セズ 美濃部正の生涯』『復刻版大正っ子の太平洋戦記』を出版している(前者には惹きこまれた。後者は未読。ようやく横浜市の図書館で「待ち1名」まで来ている)ところ。面白そうな本が並んでいる。

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 1941年12月8日の対米開戦の報を、当時の文化人、物書きといわれた人たちはどう受け止めたのかを著書や日記から抜き出し、羅列した本。今までになかった企画だ。


 ここに登場する人々は当然のことだが、1941年に至るまでの歴史と時間の連続性の中にいる。今とは違う独特の時代の空気も思い切り吸い込んで、自己形成を重ねて生きてきた人々だ。それを12月8日時点で断ち切ってその断面を見てみようというのが出版の意図のようだ。


 12月8日という“断面”にどれほどのものが顕われるのだろうか。抜粋の仕方によっても受ける印象は変わってしまう。抜き出す部分が短いだけに、編者の恣意が入り込む可能性も否定できないが、一読してその懸念は払しょくされた。センスというか抜粋の視点がきわものになっていないと思った。


 若い世代にとってはこれほどのドラスティックな出来事を何の感興もなく受け取ることはありえない。未熟であろうとなかろうと、それまで形成されてきた思想がそこに表出されるのは当然と言えば当然のことだ。


 驚きながら読んだ。この人ならそうだろう、この人がこんなことを?それはそれで興味深かったが、問題は、書籍の中の人々の言説そのものではなく、私自身が感じる「違和感」に組み込まれている歴史意識とか戦争観なのではないかという気がする。読後感に顕われる自己意識の点検という意味で、私にとっていい本だと思った。
 以下感じるところがあったものを、若い世代のものを抜き出してみる。


ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。

                         (吉本隆明 思想家17歳)

今日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持ちだ。
                           (黒田三郎 詩人22歳)

いよいよ始まったかと思った。何故か體ががくがく慄えた。ばんざあいと大聲で叫びながら駈け出したいやうな衝動を受けた。(新美南吉 児童文学者 28歳)

歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりにそれを見た。感動に打顫えながら、虹のやうに流れる一すぢの光芒の行衛を見守った。胸ちにこみ上げてくる。名状しがたいある種の激発するものを感じ取ったのである。

                        (竹内好 中国文学者 31歳)

勝利は、日本民族にとつて実に長いあひだの夢であつたと思ふ。すなわち嘗てペルリによつて武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり復讐だつたのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである。
                      (亀井勝一郎 作家 34歳)

 

私はラヂオの前で、或る幻想に囚われた。これは誇張でもなんでもない。神々が東亜の空へ進軍してゆく姿がまざまざと頭の中に浮かんで来た。その足音が聞える思ひであった。新しい神話の想像が始つた。昔高天原を降り給うた神々が、まつろわぬ者どもを平定して、祖国日本の基礎を築いてきたやうに、その神話が、今、より大きなる規模をもつて、ふたたび始められた。私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかった。(火野葦平 作家 34歳)

 

(略)僕はラヂオのある床屋を探した。やがて、ニュースがある筈である。客は僕ひとり、頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて、東条首相の講和があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。坂口安吾 作家 35歳)

 

(略)妖雲を排して天日を仰ぐ、といふのは実にこの日この時のことであつた。一切の躊躇、逡巡、猜疑、曖昧といふものが一掃されただ一つの意志が決定された。瞬時にしてこの医師は全国民のものとなつたのである。(島木健作 作家 38歳)
  
 待ちに待った、ようやく遺恨を晴らす時が来たといった感の強いものが多い。抜き出してはいないが保田與十郎のように神がかっているように感じるものも。一方には次のようなものもわずかだがある。

 

(略)まさか―私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。/もう入隊は決まっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった。(岡本太郎 芸術家 30歳)

いま、力足らず、敵の手にとらわれて破局的な戦争開始の報を、看守の好意によって聞かされる不甲斐なさ!われわれの力がつよく、せめて労働者階級と青年たちの眼だけでも開かせ、もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は痛んだ。明日の運命をも知らずに宮城にむかう大群衆の足音、天地をゆすぶるような万歳の声、人びとのこころをかりたてるような軍歌と軍楽隊のとどろきが地下室の留置場までひびいてくるのを、なすすべもなくじっと聞いているくやしさ。にじみ出る涙もおさえきれなかった。(神山茂夫 社会運動家 36歳)

十一時起される。起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米つひに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛んに軍歌を放送してゐる。・・・それから三時迄待たされ、三時から支度して、芝居小屋のセットへ入ったら、暫くして中止となる、ナンだい全く。(古川ロッパ コメディアン 38歳)

 

 

 

放棄し続ける独立国家としての自治を回復させようとするか、今までどおり民意を無視した対米従属の路線を守るのか、この選挙結果は政権の喉元に突きつけられた鋭いナイフである。

9月30日(日)
 早めに呑み始めた酒が過ぎたのか、7時半ころ早々と床に就いてしまった。目が覚めると0時過ぎ。外の風の音に反応したようだ。強風というよりもはや暴風。木が揺れてぶつかり合う音がすさまじい。ふだん雨や風の音はよほどのことがない限り聞こえない。こんなに風の音が聞こえるのは、ここに移ってきて初めてのことだ。

 

宇宙から見た台風24号

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 台風24号が沖縄を経て九州に上陸、そのままスピードを上げて本州を席巻。

 昨夜は22時には首都圏の電車全部が運休となる。計画運休というのだろうか。これも初めてのこと。
 

 

 早朝4時のテレビが各地の被害を伝えている。西日本で雨の被害が出ているが、関東は風の被害が中心。風速40mを超え大型トラックが横転したり、店舗が崩壊したところも。


 大きなニュースがもうひとつ。沖縄県知事選。深夜につれあいから玉城デニー氏が勝ったことを聞いたのだが、票数までは分からなかった。今朝の報道では玉城氏が40万票以上を獲得、佐喜眞氏に8万票の差をつけたとか。下馬評は“僅差”だっただけにうれしい。

 これで沖縄の民意は改めて辺野古反対ということがはっきりした。政権はこの結果を受けてどうするのか。放棄し続ける独立国家としての自治を回復させようとするか、今までどおり民意を無視した対米従属の路線を守るのか、この選挙結果は政権の喉元に突きつけられた鋭いナイフである。

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 何人かの友人から「勝ったね」のメールが届いた。

 

 


 北海道新聞東京新聞中日新聞など連載されてきた桐野夏生新聞小説『とめどなく囁く』が、昨日9月30日で終了した。414回。休載は一度もなかったのではないか。

 一回分が400字詰め原稿用紙で3枚弱ほどだから、1000枚にもなる。1回目から欠かさず読んできた。桐野夏生の小説、全部読んでいるわけではないけれど、どちらかと言えば静かな部類に入るもの。

 

(ほぼネタバレなしの簡単なあらすじ)
 「塩崎早樹は前夫・庸介が海難事故で死亡認定された後、年の離れた克典と再婚。庸介の姿を見たという義母の話から彼の釣り仲間を訪ねた。庸介が自殺したのではという憶測に苦しむ早樹は、克典に心情を吐露する。そして克典も同様に前妻の死が自殺だったのではと悩んでいたことを知った。」
                         
 中心は早樹と、死亡認定された庸介の話なのだが、そこに克典の家族、とりわけ真矢という娘との関係、早樹の家族、庸介の母親、そして庸介の友人や早樹の友人も絡んで400回。最後の5,6回ほどで大胆ななぞの開示。桐野はこれをダメージとの闘いを描くのが小説だという。

f:id:keisuke42001:20181001165816j:plain桐野夏生

書き出す前に彼女はこんなことを書いている。

人生はダメージとの闘いであり、小説はその闘いを描くものではなかったか。自分が滞りなく仕事を回していた時は、ダメージに対する実感が失われていたとつくづく思った。

 今回の「とめどなく囁く」の女性主人公は、前夫を海難事故で失った経験をしている。「失った」と簡単に書くけれども、その喪失はいったいどれほどのダメージを彼女に与えたのだろう。夫が突然いなくなった彼女の日常はどう変わり、その心はどれほど傷付いたのか。

 しかも、ようやく新しい日常を確立した時に、再びアクシデントが起きる。前夫の母親が、夫は生きている、と彼女に囁くのだ。 その小さな囁きによって、彼女は今度はどんなダメージを喰(く)らうのだろうか。ダメージとの闘いを描くのが小説だと思うと、私たち作家は、とても怖(おそ)ろしいことを考え、そして書いているのだ、と今から緊張してしまう。(木)


どこまで引っ張るのかとも思ったが、結局1年以上、毎朝楽しませてもらった。

 新聞小説は、途中で「もういいや」という場合も少なくない。最後まで読ませるのはやはり技量の高さだと思う。ただ、これほど長くなければならなかったのかとも思う。新聞小説でなかったならまた違ったものになっていたのではないか。
 

 夕刊では、桜木紫乃の『緋の河』が好調だ。カルーセル麻紀を題材とした小説。現在257回。直木賞受賞の『ローヤルホテル』(2013年)に唸ったおぼえがある。ほかに何編か読んだが、桜木の文章にはつやというか、惹きつける力があると思う。

f:id:keisuke42001:20181001165949j:plain桜木紫乃


 

 カルーセル麻紀の一代記としてこのまま続くとすれば、400回では終わらないのではないか。『とめどなく囁く』は、登場人物が思いを語る部分が多かったが、『緋の河』は主人公に動きがあり停滞感が感じられない。毎朝の愉しみは続く(夕刊はどういうわけか朝に読む習慣になっている)。

 ちなみに桐野夏生のあとは中村文則の『逃亡者』が今日から始まっている。『教団X』を読んだことがある。それほど良いとは思わなかったが。
 

『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(梯久美子)生きるために身を売り、文を売るというのではない、書くことそのものが生きることというところまで突き詰めた人生は、読んでいて息苦しくなるほどだ。

    梯久美子原民喜~死と愛と孤独の肖像』(岩波新書・2018)を読んだ。原爆の詩人原民喜の伝記である。

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    梯の著作は、少し前に『狂う人「死の棘」の妻・島尾ミホ』(2016年)を読んだ。島尾敏雄の妻島尾ミホという人物の、複雑で迷宮のような怪奇さに正面から勝負を挑んだ、鬼気迫る著作で、私は正直途中で「まいった」と思った。へろへろになりながらほうほうのていで最後まで読み継いだのを覚えている。梯という人は、大変な書き手であると思った。

 

  『原民喜』も、期待をして、そして半分身構えて読み始めた。
   わたしは原のことを『原爆小景』の詩人、『夏の花』の著者としてしか知らず、仕事の関係で広島市内の円光寺にある原家の墓を見学したことはあるが、ほとんどその人生について詳らかには知らなかった。ただ墓石をみたときに、妻貞惠が原爆投下の前年に亡くなっていることだけは憶えていた。

 

    梯は、46年間の原の生をその出生から丹念に追い、父との関係、兄弟との関係、文學仲間との関係をあたり、何より妻貞惠の在りし日の姿(1944年結核にて没)を、無口で痩身の原とともに豊かに浮かび上がらせている。

 

   原の文章が『夏の花』もそうだが、夾雑物をぎりぎりまで刈り込むような、まるで祈りのような端正さ、端麗さをもって書き継がれていったこと、それが原の生得的なものだけでなく、貞惠との間に形づくられた他者の介入を許さない独特の濃密な空間から生み出されたのだということが、よくわかった。

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   その濃密さの対極にあるような原の、通常の人たちとはかけ離れた対人関係への極端な萎縮、社会的世間的なつながりへの忌避、そうした生きづらさが書くことへの執着を支えていたということも。

   何も知らない幼児が、突然ぽんと世間の荒波にほおりだされたような、と思わざるを得ないほど、原には世過ぎ身過ぎの知恵はからきしない。そこまでの人ならば、通常の時代ならば、その才を見越して、実生活を補ってあまりある人々が現れるものだが、原の晩年は戦後間もなくの数年だ。妻はすでになく、実家は原爆禍の中、没落し、少ない友人も生きるか死ぬかの生活にある中、原は清貧のなかでただ純粋に「書く」ことへ執着し続けた。その意味で原は稀有の文学者と云っていい。生きるために身を売り、文を売るというのではない、書くことそのものが生きることというところまで突き詰めた人生は、読んでいて息苦しくなるほどだ。

 

   自ら命を絶つ前日、なけなしの遺品を整理し宛名を記す律義さには言葉がない。この本の惹句である「悲しみの詩人」という表現は、読み終えてみてこれ以上でも以下でもない掛値のないものだと思った。

 

   10代から読んできた『原爆小景』の詩人、『夏の花』の作家、原民喜に、もう一度しっかりと向き合わせてくれた良著だ。

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