『朝、目が覚めると戦争が始まっていました』(方丈社・2018年)を読んだ。方丈社は名前の通り小さな出版社のようだ。『特攻セズ 美濃部正の生涯』『復刻版大正っ子の太平洋戦記』を出版している(前者には惹きこまれた。後者は未読。ようやく横浜市の図書館で「待ち1名」まで来ている)ところ。面白そうな本が並んでいる。
1941年12月8日の対米開戦の報を、当時の文化人、物書きといわれた人たちはどう受け止めたのかを著書や日記から抜き出し、羅列した本。今までになかった企画だ。
ここに登場する人々は当然のことだが、1941年に至るまでの歴史と時間の連続性の中にいる。今とは違う独特の時代の空気も思い切り吸い込んで、自己形成を重ねて生きてきた人々だ。それを12月8日時点で断ち切ってその断面を見てみようというのが出版の意図のようだ。
12月8日という“断面”にどれほどのものが顕われるのだろうか。抜粋の仕方によっても受ける印象は変わってしまう。抜き出す部分が短いだけに、編者の恣意が入り込む可能性も否定できないが、一読してその懸念は払しょくされた。センスというか抜粋の視点がきわものになっていないと思った。
若い世代にとってはこれほどのドラスティックな出来事を何の感興もなく受け取ることはありえない。未熟であろうとなかろうと、それまで形成されてきた思想がそこに表出されるのは当然と言えば当然のことだ。
驚きながら読んだ。この人ならそうだろう、この人がこんなことを?それはそれで興味深かったが、問題は、書籍の中の人々の言説そのものではなく、私自身が感じる「違和感」に組み込まれている歴史意識とか戦争観なのではないかという気がする。読後感に顕われる自己意識の点検という意味で、私にとっていい本だと思った。
以下感じるところがあったものを、若い世代のものを抜き出してみる。
ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。
(吉本隆明 思想家17歳)
今日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいというか何というかとにかく胸の清々しい気持ちだ。
(黒田三郎 詩人22歳)
いよいよ始まったかと思った。何故か體ががくがく慄えた。ばんざあいと大聲で叫びながら駈け出したいやうな衝動を受けた。(新美南吉 児童文学者 28歳)
歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりにそれを見た。感動に打顫えながら、虹のやうに流れる一すぢの光芒の行衛を見守った。胸ちにこみ上げてくる。名状しがたいある種の激発するものを感じ取ったのである。
(竹内好 中国文学者 31歳)
勝利は、日本民族にとつて実に長いあひだの夢であつたと思ふ。すなわち嘗てペルリによつて武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり復讐だつたのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである。
(亀井勝一郎 作家 34歳)
私はラヂオの前で、或る幻想に囚われた。これは誇張でもなんでもない。神々が東亜の空へ進軍してゆく姿がまざまざと頭の中に浮かんで来た。その足音が聞える思ひであった。新しい神話の想像が始つた。昔高天原を降り給うた神々が、まつろわぬ者どもを平定して、祖国日本の基礎を築いてきたやうに、その神話が、今、より大きなる規模をもつて、ふたたび始められた。私はラヂオの前で涙ぐんで、しばらく動くことができなかった。(火野葦平 作家 34歳)
(略)僕はラヂオのある床屋を探した。やがて、ニュースがある筈である。客は僕ひとり、頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて、東条首相の講和があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。(坂口安吾 作家 35歳)
(略)妖雲を排して天日を仰ぐ、といふのは実にこの日この時のことであつた。一切の躊躇、逡巡、猜疑、曖昧といふものが一掃されただ一つの意志が決定された。瞬時にしてこの医師は全国民のものとなつたのである。(島木健作 作家 38歳)
待ちに待った、ようやく遺恨を晴らす時が来たといった感の強いものが多い。抜き出してはいないが保田與十郎のように神がかっているように感じるものも。一方には次のようなものもわずかだがある。
(略)まさか―私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。/もう入隊は決まっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった。(岡本太郎 芸術家 30歳)
いま、力足らず、敵の手にとらわれて破局的な戦争開始の報を、看守の好意によって聞かされる不甲斐なさ!われわれの力がつよく、せめて労働者階級と青年たちの眼だけでも開かせ、もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は痛んだ。明日の運命をも知らずに宮城にむかう大群衆の足音、天地をゆすぶるような万歳の声、人びとのこころをかりたてるような軍歌と軍楽隊のとどろきが地下室の留置場までひびいてくるのを、なすすべもなくじっと聞いているくやしさ。にじみ出る涙もおさえきれなかった。(神山茂夫 社会運動家 36歳)
十一時起される。起しに来た女房が「いよいよ始まりましたよ。」と言ふ。日米つひに開戦。風呂へ入る、ラヂオが盛んに軍歌を放送してゐる。・・・それから三時迄待たされ、三時から支度して、芝居小屋のセットへ入ったら、暫くして中止となる、ナンだい全く。(古川ロッパ コメディアン 38歳)