教員という職業がもつ宿啊に絶望し、大男のインディアンの“チーフ”が深夜に院内に設置してある重厚な水栓を根こそぎ抜き、窓にぶちあてて夜明けの草原を走り去るラストシーンをみて、自分もどこか遠くの地に自由を求めて立ち去りたいと妄想したものだ。

10月7日
 台風25号温帯低気圧に変わり、日本海から北海道へ。また雨を降らせているようだ。
 正午過ぎ、部屋の温度が30度を超す。真夏日?明日は二十四節季の寒露。日差しは真夏に比べ少しだけ部屋の奥まで入ってくるように。


 日課の散歩は今日は取りやめ。急に右ひざの裏に痛みが出る。もともと悪いのは左ひざなのだが。加齢のせいだろう。つれあい一人で散歩に出かける。


 9月の終わりから大学の後期の授業が始まった。今年も17人の学生と演習に取り組む。いつにもまして大学院に進む学生が多い。内定をもらっている学生もいるようだが、教員採用試験が受かれば蹴るという学生も。


 大学でろくに勉強をしなかった自分が、始業時間の前に教室に来ている熱心な学生に授業をするなどおこがましいことだと思う。4年生まで一般のドイツ語と教職の書道の単位が取れなかったことを伝えると、みなうっすらと笑ってくれる。寛容である。


 22歳から23歳。1976年、私は道に迷ってうろうろしていたのに、はずみで公立中学の教員になってしまった。あんのじょう、教員という仕事になじめず鬱屈した日々が続いた。


 唯一の逃げ場は映画館だった。今ではみな閉じてしまったが、鶴見駅の鶴見文化、京浜映画、黄金町の大勝館、横浜日劇天王町のライオン座、白楽の紅座、伊勢佐木町の関内アカデミーなどの3本立てを延々と見ていた。

f:id:keisuke42001:20181007173138j:plain


あの年、忘れられない映画が一本ある。『かっこうの巣の上で』(1975年・アメリカ・原題:One Flew Over the Cuckoo's Nest・監督ミロス・フォアマン・主演ジャックニコルソン)

 75年アカデミー賞の監督賞、主演男優賞、主演女優賞、作品賞、脚色賞を受賞している。
 ミロス・フォアマンチェコ生まれ、プラハの春に対するソ連の介入から逃れアメリカに。のちに傑作『アマデウス』(1984年)をつくる。ジャック・ニコルソンは『イージーライダー』に始まって『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『シャイニング』など枚挙にいとまがない名優だ。

f:id:keisuke42001:20181007173154j:plainジャック・ニコルソン


 ルイーズ・フレッチャーが演じる精神病院の婦長ミルドレット・ラチェット、彼女の患者に対する言動が、76年当時の中学校の管理的な教育と重なり、自分はこの婦長の側に仕事を得たのだと思った。映画そのもののもつ深みと味わいより、教員という職業がもつ宿啊に絶望し、大男のインディアンの“チーフ”が深夜に院内に設置してある重厚な水栓を根こそぎ抜き、窓にぶちあてて夜明けの草原を走り去るラストシーンをみて、自分もどこか遠くの地に自由を求めて立ち去りたいと妄想したものだ。

f:id:keisuke42001:20181007173211j:plain            左がミルドレット・ラチェット


 まだ70年学園闘争の空気がそこここに残っていた時代、“自己否定”という言葉は現実逃避と裏表でもあった。
 結局、私は走り去ることもできず、定年まで一教員として働いてきた。
今、同じ歳まわりの学生たちに相対して、それこそはずみで授業をもつことになった自分が言えることは何なのだろうと考える。たいそうなことが言えるはずもない。自分が歩いてきた道を点検するつもりで話をするのだが、なかなかうまくはいかない。しどろもどろぶりを見てくれればいいのかなとも思う。
 授業の最後には、【余談】と銘打って「今週の映画」と「今週の本」というコーナーがある。簡単な紹介を書いておくのだが、時間が余ったときは少しだけ話をする。教員の仕事にはすぐに役に立たないものを選ぼうと思っている。『かっこうの巣の上で』もいつか紹介するつもりだ。