『おじいちゃん死んじゃったって。』親の面倒にとどまらない兄弟の生得的な面を含めた心理的な葛藤を、あり得ない取っ組み合いにしてしまえばビジュアル的には確かに笑えるけれど、せっかく光石研、岩松了を起用したのだから攻撃的なセリフの言い合いではない「ため」が見たかった。

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 『おじいちゃん死んじゃったって。』(2017年・日本・104分・監督森ガキ侑大)。これは去年の11月公開の映画。


 『おじいちゃん死んじゃった』ではなくて『おじいちゃん死んじゃったって。』というタイトルは、印象的。家庭の中で伝聞で語られる肉親の死。近いようで遠い、遠いようでやっぱり遠い祖父。だからって両親や兄弟が近いかといえばそんなこともなく。


 葬式をめぐるドタバタの面白さ、慣習、しきたりと現実感覚のずれは伊丹十三の『お葬式』のセンスにはかなわない。この映画が葬式をめぐってというより、残された家族間の決定的な行き違いがテーマなのだろうから、それは仕方がないのだが、通夜や葬式を準備する段取りなどがもっと入ればリアリティが増したと思う。


 全体にファンタスティックな感じになってしまうのは、吉子(岸井ゆきの)の視点から語られるストーリーが、今一つピンとこないせいか。自宅でセックスをしている最中におじいちゃん死去の連絡を受けたことに吉子はずっとひっかかっているのだが、幼すぎるというか。インドの死のイメージも類型的。山崎佐保子の脚本にもっと深まりがあればと思った。思いは分からないわけではないのだが、随所に突っ込む不足と思われるところが。


 親の面倒にとどまらない兄弟の生得的な面を含めた心理的な葛藤を、あり得ない取っ組み合いにしてしまえばビジュアル的には確かに笑えるけれど、せっかく光石研岩松了を起用したのだから攻撃的なセリフの言い合いではない「ため」が見たかった。

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こういう映画、嫌いじゃないけれど、今一つかな。ふと思い浮かんだ映画が『チチを撮りに』(2017年・日本・74分・監督中野量太)。小中学生の姉妹の話だけれど、忘れられない佳作。姉妹のからだの動きにさえ微妙な心情が顕われる。子どもであっても幼すぎるとか類型的とは全く感じなかった。74分という時間もいい。

 

f:id:keisuke42001:20181013124329j:plainチチを撮りに』の1シーン