久しぶりの東京、文科省交渉。於:参議院議員会館

8月19日、久しぶりに東京へ。

全学労組の文科省交渉のため、永田町の参議院議員会館、一年ぶり。

この交渉、始まったのは24,5年前のこと。まだ文科省が文部省といっていた頃のことだ。

はじめは紹介議員を介してではなく、担当課の係長と顔を繋ぐところから始まった。

 

実際に交渉が設定されるまで2年ほどかかったのを憶えている。2年間、古色蒼然たる文科省の建物に通った。

3ヶ月に一度くらい足を運んだか。現場の与太話に加え、こちらの団体の雰囲気を伝え、そして長文の申し入れ書を何度も持参した。

教員の団体は日教組、全教、右翼の全日教連ほかたくさんあるが、政治党派をもたない純粋左派独立系組合というのは私たちだけ。はじめは警戒されたが、何度も顔を合わせるうちに、案外胸襟を簡単に開いていくもの。

 

ようやく「(交渉を)やりましょうか」ということになった。

具体的設定に入ると、すぐに名称問題に。その頃、全国学校労働者組合連絡会という正式名称はあったが、略称はなかった。略称があった方がいいと担当者は言う。

少し恥ずかしそうに「事務職の方の組合は全学労連というので、私たちは皆さんのことをうちうちで勝手に”全学労組”と呼び習わしてきたんですが」と担当者。

口には出さないが、あ、それいいなと思った。

すぐに持ち帰り、世話人会でそう伝えると「全学労組、いいんじゃない」ということに。つまらないプライドや無駄な形式を主張する人はいなかった。

文部省が付けてくれた略称で交渉が始まった。

 

制約はいくつかあった。まず時間。

交渉時間30分。回答を聞いているとほとんどやり取りができないほどだった。

最初はこんなもの。少しずつ伸ばしていけばいい。現在は2時間。

次に対応する担当者。まだ入省したての若い人が2、3人。さながら私たちは”かませ犬”のようだった。

そして服装。文部省側は背広、ネクタイ着用を求めてきた。

それぞれ各地で独立した孤高の組合ばかり。そんなドレスコードなど受け入れるはずもない。実際にはジャージだったり作務衣だったり。

担当者に、私が代表して背広にネクタイでいく、それでなんとかと折衝。

 

そんなふうにして始まった交渉。いつの間にか20数年に。

途中、1、2年途絶えたことがあった。政治的な問題だった。

再開するにあたって、今度は紹介議員を介することにした。

最初は、現在世田谷区長の衆議院議員保坂展人さんにお願いした。保坂さんは70年代の内申書裁判の頃からの付き合い、快く引き受けてくれた。

現在は社民党福島瑞穂さん。気さくな方で、今年は休養で来られなかったが、いつも同席される。少数政党だが政治家としての気概と誠実さは一級品だと思う。

 

今年の向こうの陣容は内容に合わせて2部制に。多くが係長、9名が出席。

世話人会の人たちが時間をかけて叩いてきた申し入れの内容は多岐にわたり、いつものように現場を知らない官僚と現場の問題を追及する組合員のイライラするようなやりとりが2時間続いた。

例年通り、世話人会に出ていないのについ発言してしまう一言居士の私。

発言の前に「今の公立学校には学校長はいませんよね」とジャブ。

某係長が何度も「学校長」を連発するので、つい意地悪をしたくなった。

某係長、気がついたのか小さな声で「はい」。

戦後教育方の中に「学校長」という言葉はない。全て「校長」になっている。

学校長は戦前の学校に中にしかいない。

 

教育調整額増額について財務省とどれほどのやりとりをしているのか訊いてみたが、「頑張ります」というだけ。

「35人学級だって難しかったのを通した」とも。それって随分昔の話。教職調整額を10%以上アップするには大変な財源が必要となる。それもこれからずっと続く支出する財源だ。

財務省が簡単に首を縦に振るとは思えない。

たとえ万が一通ったとしても、全教員一律10数%アップなんて案を財務省が呑むはずがないと私は思っている。

 

終了後、気の置けない友人たち5人で久しぶりの新橋へ。(8月21日)

 

第一部の官僚たち