『ぼくが生きてる、ふたつの世界』・・・大はほんとうにふたつの世界で生きていたのだろうか。

2024年9月の映画寸評⑨

<自分なりのめやす>

お勧めしたい   ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

みる価値あり   ⭐️⭐️⭐️⭐️

時間があれば    ⭐️⭐️⭐️

無理しなくても  ⭐️⭐️

後悔するかも   ⭐️

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(2024年製作/105分/G/日本/原作:五十嵐大/

脚本:港岳彦/監督:呉美保/出演:吉沢亮 忍足亜希子 今井彰人 でんでん 烏丸せつ

こ ユースケ・サンタマリア/劇場公開日:2024年9月20日

                9月26日 movixh橋本 ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

そこのみにて光輝く」「きみはいい子」などで国内外から高く評価されてきた呉美保監督が9年ぶりに長編映画のメガホンをとり、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化。「キングダム」シリーズの吉沢亮が主演を務め、きこえない母ときこえる息子が織りなす物語を繊細なタッチで描く。

宮城県の小さな港町。耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……。

母役の忍足亜希子や父役の今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用。「正欲」の港岳彦が脚本を手がけた。

 

呉美保さんが9年ぶりにメガホンを取ったというので、行ったことのないmovix橋本まで出かけた。前2作は大好きな映画だ。

 

事前に五十嵐大さんの原作を読んだ。文章も平易で2時間かからずに読めたけれど、少し物足りなかった。

 

映画は原作に忠実なつくり。五十嵐大さんの生育歴を追う形で物語は進む。

キャスティングというか、それぞれの年齢の三人?の子役たちが、赤ん坊は別としてみ

吉沢亮に驚くほどそっくり。80年代から現代まで時代考証も丁寧。全体に巧いなと思うし、丁寧に作り込んでいることはわかるが、その上でいくつか気になったことがあ

る。

 

原作では祖父が塩竈のヤクザであることは書かれているが、具体的にな記述はない。こ

の祖父をでんでんがリアルに演じるのだが、少しやり過ぎの感あり。祖母の新興宗教

の絡みもありがちでわざとらしい。

塩釜現地の人と役者が混じっていて、これも巧い。教室のシーン、授業参観のシーンなど前作同様、大変なリアリティ。教員の訛りもいい。しかし気になるのは大には訛りがほとんどないことだ。不自然。画像16

ろうの俳優忍足亜希子は熱演。実年齢よりかなり若い設定で始まるが、違和感はなかっ

た。ただ美しすぎるというか、優しすぎるというか。こういう設定、私などすぐにまいってしまう。

もっとつっ込んだ演技があってもいいのでは。

夫役の今井彰人も手話での演技、とりわけ大とのやりとりが生き生きとしていてとって

もいいのだが、残念なのは、親子三人の口話と手話のやりとりのシーンが少ないこと

だ。三人の中にあるそれぞれの不満や葛藤があまり見えてこず、いくつかの問題がどん

なふうに解決していったのかも見えてこない。

大の東京での生活のもあまりリアリティがない。

ろうの友達との付き合いやパチンコ店でのろうの女性とのやり取り、手話サークルのシーンなど皆そこそこに丁寧につくられているが、1番の問題は「ふたつの世界」があま

り感じられないこと。これこそがいちばんのテーマであるはずなのだが。映画は、大が

さまざまなハードルを乗り越え、母に対する感謝の気持ちを伝えるところで終わる、あ

る意味感動的な物語なのだが、母娘の情愛だけで「ふたつの世界」はそう簡単に行き来

できるものなのだろうか。

口話に対する批判的な視点は感じるが、日本語対応手話とろうの人同士が使う日本手

話、地方や国によっても違う文化としての手話の存在もあまり見えてこない。手話を覚

えれば、ろうの人たちと気持ちのやり取りができるようになるという安易さを感じた。

親子の情愛を感じれば感じるほど、生きている世界の文化の違いを痛感せざるを得ない

そんなつながろうにもつながれない部分に対する視点もあっていいのではないだろう

か。ふたつの『コーダ愛のうた』にはしっかりとそれがあったように思うのだが。

前作『君はいい子』には、人が繋がろうとして繋がれない、絶望を抱えながら生きてい

く人々への想いのようなものがもっと感じられたと思うのだが。

呉美保さんの映画づくりの感性が合うというか、私はすんなり最後まで見てしまったの

だが、感想を書こうとしてアタマの中で再現していくとき、ある種の映画づくりの巧

さ、設定や演出のうまさについ流されてしまったかなとも思った。

そうした中のほつれとして、近所の女性が下校途中の大に向かって、花の植わったプラ

ンターがいくつも倒されるのを見て突然「大君がやったのね。一緒に謝りに行こう」と

腕を引っ張るシーン。原作では、差別的な思い込みをする近所の女性が出てくるのだ

が、理不尽この上ないこのシーン、どうして大を疑うのかがあまりに唐突でわからな

い。さらにそこに突然亜希子が現れ、二人の間に割って入り、どうして自分の子を疑う

んだと口話で激しく抗議、大を連れて行こうとする。

なぜ亜希子がこの騒ぎを聞きつけたのか、二人の間のやり取りをどうして「疑ってい

る」と考えたのか。「聞こえない」ということの凄まじさを作り手がどこまで想像して

いるのか。このエピソードは出されただけで顛末はわからない。感動的な分、逆に雑さが気になった。

 

こうし的になるところ書いていくと、やはり少しきれいなお話になってしまったかな。画像20