『あちらにいる鬼』残念ながら、終始退屈だった。139分はいかにも長すぎ。 みなそれぞれにやさしい人たちばかり。鬼はどこにいる?

映画備忘録。

『あちらにいる鬼』(2022年製作/139分/R15+/原作:井上荒野/脚本:荒井晴彦/監督:廣木隆一/出演:寺島しのぶ 豊川悦司 広末涼子/2022年11月11日公開)

 

期待外れ。

映画と原作は別物だが、タイトルを使う以上踏まえるところはあってもいい。

 

全身小説家』では描かれなかった井上光晴の人間的なでたらめさ、小説家なのに他人の心理に無頓着、ただただむやみにもてて好色。何から何まででたらめだけど、小説を書くことにだけはまっすぐの井上光晴

その独特のアンバランスさ不穏さが、スクリーンから感じられなかった。

瀬戸内寂聴のエピソードを上手に拾っているけれど、寂聴の家庭を壊しても男に走った過去と井上との関係、何より僧籍に入ることに決めた心中が見えてこない。描かれない。寺島しのぶ、そんなにベッドシーンを入れなければならないか?画像7

井上の妻、広末。年齢的に若すぎる。みはるとは一転、濡れ場なし。知り合いの建築家とホテルに行くというシーンは原作にはなかった。何もしないというところで平仄を合わせているのだろうけれど、通俗的すぎて原作の井上の妻像は台無しに。

映画としては、みはると笙子二人の女性の対比の妙を狙ったのだろうけれど、浮気な作家と2人の一風変わった女性、の話にとどまった。

井上荒野の目から見た3人の男女の姿の方がはるかに深みがあり、「鬼」も感じられた。一人の男、一人の作家としての井上光晴を、娘の目から描こうとした原作の強い意欲とは、別物のドラマ。

70年代の時代背景を無理やり入れ込もうとしているのもあざとすぎる。

映画として面白かったのは、篤郎の温泉場でのストリップのシーン。豊川悦司、さすが。

もう一つは、みはるの剃髪シーン。

二つのシーンとも、ペンでは描けない映画の力。

しかし残念ながら、終始退屈だった。139分はいかにも長すぎ。

みなそれぞれにやさしい人たちばかり。鬼はどこにいる?画像10