7月の半ばから8月初めにかけての備忘録

備忘録として機能していない。猛暑のせいか、いろいろなことが次々と素早く目の前を通り過ぎていくようだ。

7月の半ばから8月初めにかけての備忘録、簡単に。

 

7月13日(土)

いつものように元同僚のTさんとY校の野球観戦に出かけようと思っていた。ところがこの日、3回戦で立花学園に完封負けしてしまった。ここまで順当に勝つはずだったのだが。

Tさんとの約束は、16日のベスト16、18日のベスト8の2試合。春に負けた武相と当たる18日がメインと考えていた。1試合も見ずに終わってしまった。

監督の元同僚Sさんにメール。やはり予想もしていなかったと。今年で一線を引くとのこと。長い間、ご苦労様でした。

 

7月22日(月)本厚木kikiで『フィリップ』と『朽ちないサクラ』を見たあと、蒲田へ移動。本厚木→(小田急)海老名→(相鉄)横浜→蒲田(JR京浜東北線)と約1時間。

二人の友人、Mさん南口で待ち合わせ。

半年ぶりにKさん宅へ。体調をくずしておられたということだったが、ようやく回復の兆し。「おしゃべりしましょう」ということでお見舞いかたがた伺う。

いつもならお酒も入って、長時間お邪魔するのだが、今回は1時間あまり。体調は万全ではないというが、いつも通り話題は多岐にわたり、刺激を受ける。

その一つが上の朝日新聞の記事。

1920年大正9年)の投稿記事。テーマは暑中休暇。

Kさんが生まれる5年前、学校の夏休みについての104年前の文章だ。

 

当時と今とどれだけ違うのか? 案外そうでもない。論旨は、

 

・夏休み教員を遊ばせておくのはもったいないとして講習や児童召集を奨励している。

・最近では「暑中休暇廃止論」まで生まれ、文部省も調査を始めた。

・教員は薄給で忙しい仕事。政治家が大臣になるころには教員はクビになっている。そ

 れは暇がなくて修養ができないことと貧乏によるもの。

・暑中休暇を廃止すれば、教員はますます意気消沈し、早老し、若朽し、教育的生命を

 短縮する。

・これを子どもの側から見ると、毎日38℃以上の温度の中、教室に百人近くを詰め込ん

 で何ができるか。越後では台湾以上だ。廃止どころかあと10日も延長してもらいた

 い。

・教員の命を削り児童を卒倒させてまで国のためだといういわゆる先駆者の見識も「フ

 フーン」だが、これに驚いて調査をする文部省も呆れものだ。

暑中休暇を2か月ぐらいに延長し、教員も児童も「悠々自適せしめて」もっと伸び伸

 びした国民を作ることにしてはどうか。

 

エアコンなど影も形もなかった大正時代、38℃を越す猛暑があったことに驚かされる。行政や役人が考えることは今も同じ。教員にじっくり修養を積ませようなどとは考えない。

今、教員は法律で保障された研究と修養の時間は剥奪され、休みなら年休でと言われる。

子どもたちは、塾や部活動に明け暮れる。

 

夏休みはやせ細っている。

 

この御仁の言うように2か月くらいに延長すれば状況は変わるような気もするが、そんなことをすれば大正時代同様「教員を遊ばせるな」という声が上がり、休んでいる子どもは誰が見るのだ、ということになろう。

 

薄給の教員が夏休みを自由に使えたのは、戦後から1970年代までだったのではないか。

自分の身にすれば、教員になってからの数年間は、夏休みは読書三昧、英気を養う時間

だったことを記憶している。アウトプットばかりの普段の労働に対し、じっくりとイン

プットできる時間は大切だ。

過労死ラインを超える教員が中学では40%を超えるという今、せめて夏休みくらいはと

思うが、現場の先生たちの話を聞くと、課業中にできないこと、はみ出したことを夏休

み中にやるということが増えているという。

 

「夏休みを2か月ほどに」という投稿が載った大正時代の方が、まだゆとりがあったのかもしれない。

 

Oさん、Mさんと3人で長津田Sで夕食交流会。

 

7月23日、一休で格安で取れたので、箱根・湯の花プリンスホテルに宿泊。この夏、唯一の二人の「夏休み」(毎日が夏休みのようなものなのだが)。紫陽花と赤とんぼ、そしてひぐらしの鳴き声と入れ子になった季節の中、静かな時間を愉しむ。

 

7月27日、組合の合同支部会議が桜木町の健康福祉センターで。横浜中2自殺事件、横浜市いじめ防止専門委員会報告についrてレポートする。

6月16日に港北区で話したものをこの1か月深掘りしたものを提案。現場の話も聞けてよかった。この間、構築主義の視点から提起された立教大学の北澤毅氏を中心とする研究者たちの論考に大きな刺激を受けた。

私の結論的としては

「いじめ防対法10年の考え方や横浜市じめ問題専門委員会が出した報告書や再発防止方針は、子ども同士のトラブルの多くを、いじめの加害被害として固定化してとらえ、問題行動として「処理」していくことを現場に求めていること、その結果子どもたち自身や学校現場の解決能力を失わせてしまうのではないか」ということだ。

 

この日満71歳に。次女と孫たちが来てくれ、誕生日会。

 

7月31日

最後の職場となったM中の「御達者倶楽部」。互いに生存を確認する会。現役の教員も集まって、談論風発。久しぶりの長時間の宴。会場はいつも通り長津田・みちのく。87歳になる女将、絵も書もやる才女、健在。今年は日本酒を振る舞ってくださる。

 

8月3日

湘南教組教研集会。去年に続いて2年目。本の販売をしてくださるというので、紙袋を

抱えて出かける。

会場の藤沢市立六会小学校まで湘南台駅から徒歩12分。炎天下、荷物を抱えて歩く気分

にはならない。西口のタクシー乗り場。待たずに乗れた。

 

「職場の諸課題」分科会で、愛知の岡崎勝さん、関西学院大桜井智恵子さんとともに

共同研究者。午前午後、16本のレポートを受けて、5時間を超える論議に参加。

桜井さんとは初めてお会いする。互いに名前だけ知っている関係。午前中は岡崎さん、都合でおられなかったので、二人で対応。学者と現場、立ち位置の違い、うまい具合に。

午後は、小学校の教科担任制と不登校について。積極的な論議に。

 

元神奈川新聞記者のIさん、30年ぶりにお会いする。

ジャパンフレネの木幡寛さんとは初めてご挨拶をする。

 

終了後の恒例の?宴にも出席。コロナ罹患からようやく復活した旧友Kさんと同席。

 

夜遅くに岐阜から長女一家到着。

4日は、昼から久しぶりにそろった3家族10人で宴会。