5月のあれこれ① 津田憲一さん沖縄の語り部の伝え部

6月8日に生まれて1週間ばかりの8羽のカルガモについて書いた。

あれから2週間近く、8羽は元気に育っている。産毛も消えて体調も10cmをゆうに超え、動きも素早いが、時々母ガモのお腹の下に8羽そっくり入って(どんなふうに入っているのかわからないのだが、8羽がしかり隠れてしまう)寝ている時もある。

 

定点長期観測のカルガモおじさんは、私たちが「見当たらないんですよね」というと、「本日の動き」についてちゃんとレポートしてくださる。「いつもだと」とか「今年は」とか、定点観測者としての矜持が感じられる言葉がポンポンと。

 

ここ2週間ほどカワセミは人気をカルガモに奪われている。

 

5月から6月にかけていろいろあったのだが、書く余裕がなかった。備忘録の性格上、少しでも記述をしておく必要がある。お付き合い願いたい。

 

5月16日 本郷台のアースプラザで津田憲一さんの「座間味旅日記ー「集団自決」の現場を訪ねてー」の講話を聞く。

語り部の伝え部」として長く座間味を訪ね歩き、まとめてきたもの。

津田さんは古い友人で、今までまとめたものをいくつもいただいてきたが、今回初めて初めて講話としてうかがった。

 

文章では伝わらない伝承の迫力と津田さんの思いの強さが伝ってきて鳥肌がたった。

 

2023年7月23日 東京新聞        

語り部の伝え部
 前川喜平

 20日の自主夜間中学「あつぎえんぴつの会」で、神奈川県の公立中学校の元教師、津田憲一さんから座間味島で起きた「集団自決」についての話を聞いた。

 2007年に公表された高校日本史教科書での「集団自決」について日本軍による「強制」などの表現が認められなかった。これに対して大規模な抗議運動が起きた。津田さんが08年10月に座間味を訪れたのは、この問題がきっかけだった。

 出会いの積み重ねの中で、津田さんは「集団自決」の真相を知り人たちの話を聞いていった。当時の村役場の助役だった宮里盛秀さんが父の盛永さんに「軍からの命令で自決しなさいと言われている。一緒に死にましょう」と話したことを、妹の春子さん(当時18歳)とトキ子さん(当時13歳)ははっきり覚えていた。

 津田さんはその後も沖縄で生存者からの聞き取りを重ね、その成果を何冊かの冊子にまとめた。何の後ろ盾もない一人の教師がこれだけ詳細な調査活動を続けてきたことには感嘆するばかりだ。

 教師を退職した後は「語り部の伝え部」として活動を続け、日本の近代史や憲法について学ぶ「おとなの社会科教室」も開いているという。

 授業の最後に津田さんは三線を弾いてくれた。沖縄の心に一歩でも近づこうとする真摯な思いが伝わってきた。
(現代教育行政研究会代表)
 
元の原稿が見つからなかったので、桜川市議会議員菊池のぶひろさんのHP より拝借しました。

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