5月あれこれ② 33年ぶりにOさんと会う

5月26日(日)

1月に33年ぶりに連絡のあった浦島丘中の卒業生Oさんが来訪。

メールのやり取りをしているうちに、住んでいるところが同じ八王子街道沿いだということがわかり、一度会いましょうということになった。

33年の時間はお互い相応の変化を及ぼしているのは間違いないが、会った瞬間、O さんだとすぐにわかった。中学の時の面影がしっかり残っている。

アルバムを見ながら当時のことに話が及ぶ。

私は彼の中2の時の学級担任だったのだが、彼とゆっくり話したという記憶はない。

弟さんやお母さんのことなど、今となってはそれなりに関わりがあったことはわかるが、覚えているのは、中学生の男子としてはまれな穏やかで静かな彼の視線。

当時、学年の男女のトップ二人がクラスにいて、グループが巻き起こす凄まじいほどの問題に追いまくられていた。いくつかの行事に「地獄の」という形容詞をつけて呼ぶほどだった。

せめてもの罪滅ぼしに、夏休みに「マラソンソフトボール」と称して、クラスで早朝5時ごろから夕方まで12時間、ひたすらソフトボールをやり続けるとか、トライアスロンとこれも称して、弁当持ちで学区のボーリング場に集合し、2、3ゲームをし、そのまま電車で鎌倉に移動、七里ヶ浜でひたすら泳ぎ、西陽が落ちるころ「これから私は横浜まで歩いて帰ります。一緒に来る人いますか?電車で帰る人はここで解散とします」。これで3つの競技、トライアスロンが完成。20数kmの距離を歩いて横浜まで帰った。

途中、夏の嵐が襲うも、コンビニでビニールのゴミ袋を買い、カッパ代わりに。

コンビニの前にゴミ袋をかぶった中学生が疲れた顔でしゃがみ込んでいる。今なら通報する人がいるかもしれない。

学校到着は、予定より5時間ほど遅れ、それでもその日のうちに帰り着くとこができた。

 

そんなことをしていた時代。O君の目に映ったそのころ、その時代。話していて私との「ずれ」が面白かった。生徒と教員、同じわけはないが、物の「認識」の違いに驚かされた。

近くに住む同じクラスだったMさんにも声をかけたのだが、都合が合わず果たせず。また今度3人で話そうということに。