誰も「やめよう」と言い出せない状況。まさに現代のインパール作戦だ。 兵站を無視した精神論。

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東京新聞6月7日付

西のほうでは梅雨入りしたが、関東地方はまだ。去年は今日が梅雨入りだったとか。

 

曇天の下、境川遊歩道。

Mさん、川の中、アタマを出している岩の上に2羽のカワセミを見つける。

大きさが違う。親子か?

親のほうが二度ほど水の中に飛び込むも、えさは口にはさんでいない。

次の瞬間、チッという啼き声が聞こえたかと思うと、川上のほうから青い影が川下へ飛んでいく。3羽目のカワセミ。同時に3羽目撃は初めて。

 

帰途、カメラのおじさんとすれ違う。

「今日は、涼しくていいねえ」

今朝は少し蒸し暑い。

反応が一瞬遅れる。「そうですねえ」。議論はしない。

カワセミ3羽同時目的のことを話すと、

「2羽は親子だな。あの辺にいつもいるんだ。腹の色があんまりきれいじゃないけどね」

いつもキャップにジーンズ、チェックのシャツにベスト姿。長い望遠レンズのついたカメラを携えている。小柄だが日に焼けていて精悍。

 

出がけにyoutube全米女子オープンの最終日最初の40分ほどの録画をみた。独占放送しているwowowがおこぼれをサービスしているのかもしれない。

2位で出た笹生優花が4ホールまでで4つ落としたところ。なんだか元気がなさそう。

逆に畑岡は力がみなぎっているように見える。5分ほど見て散歩に。

 

今日は集団接種の予約開始日。

パソコンの前に坐って待機していたら、「笹生、全米女子オープン優勝!」の速報。

畑岡とのプレーオフ3ホール目で決まったとのこと。

先月の松山に続くメジャー優勝。女子では樋口久子、渋野日向子に続く3人目だとか。

19歳。単純だけど難しそうなプロスポーツなのに。

彼女は、同世代の女子とは明らかに違う独特の雰囲気をまとっている。

 

集団接種も個別接種も予約取れず。いったん、キャンセルしないと取れない仕組みになっているのか?できれば近場でという希望は通らないのか。

 

今朝の新聞、投稿欄。市内金沢区在住の74歳女性が、「ワクチン難民、横浜市は対応して」と題する投稿。5月10日の予約受け付け開始を79歳の夫とともに待ったが、つながらず10分で受け付けが終了。次の受け付けも43分で終了。個別接種の医院に連絡すると、「薬を処方している患者だけ」との答え。そんなことは横浜市の広報には載っていない。無差別で受け入れるクリニックがあるのか聞くためにコールセンターに30分呼び出しを鳴らしたが、つながらない。市長は何をしているのか。というのが投書のあらまし。

 

74歳と79歳のご夫婦。大規模接種会場まで行くのは大変だ。67歳と68歳のわたしたちでさえ二の足を踏んでしまうのだから。なるべく近所で接種を受けたいと考えるのは当然のこと。

たしかに大規模接種で高齢者の接種率は上がるだろう。しかし、この投書のような高齢者たちからすれば、パソコンでも電話でも空振りすれば取り残された感が強いはずだ。問われているのは行政の本気度だ。

 

10時のお茶にテレビをつけると、何とプレーオフの30分がアップされている。

9番と18番2ホールはともにパー。3ホール目再び9番、第2打が明暗を分けた。

笹生はピン手前2mほどに。畑岡はやはりピン手前8~9mほどか。

畑岡第3打を外し、笹生が入れて決着。

その瞬間、喜びの爆発ではなく、少し照れたような表情。

優勝インタビュー、流ちょうな英語だが、人柄の生真面目さ誠実さが感じられる受け答え。つい、見入ってしまう、聞き入ってしまう。

 

あと2週間ほどで二十歳になる。

 

 

ニュースで、京都の近くの自治体で、投票所を使ってワクチン接種をするというところがあるというのを見た。先日のブログで投票所を利用すべきと書いた。

同じような発想をする人がいる。

投票所は都市部ではたいてい歩いていけるところにある。選挙は日曜日だが、工夫の余地はいくらだったある。大事なのは受ける側の身になることだ。歳を取るということに対する想像力の問題。

 

アメリカではワクチンを打った人にビールを配ったり、抽選で銃まであたるという。

抗体をもつ人をなるべく早く増やしてコロナ禍から脱しようとする。そのために人の動きをつくる工夫をする。

 

それに比べこの国では、相変わらずブレーキとアクセルが同時に踏まれている。

新型コロナウイルス対策分科会の尾身会長、オリンピック開催について連日言及。

 

「この状況で何のために(大会を)やるのか、目的が明らかになってない」

 

これに対し、丸川大臣

「我々はスポーツの持つ力を信じてやってきた。全く別の地平から見てきた言葉を言っても、なかなか通じにくいのは実感するが」

 

この発言、どうともとれる。「別の地平から見てきた言葉」は初め尾身会長の言葉のことかと思ったが、よく読むと丸川自身の言葉の言葉ともとれる。百歩譲ってここでは珍しく少し謙虚な丸川ということで考えてみる。

 

政治家なら「通じにくいのを実感」している場合ではない。

尾身会長の云う「何のためにやるのか」を明らかにすべきだ。スポーツのもつ力を信じてきたというが、あまりに空疎。政治家が「信ずるものは救われる」では救われない。

政治家として有用な言葉を使えということだ。ありていに言えばスポーツの力を信じればコロナを退散させられるのか、ということだ。

 

 

誰も自分の口から「やめよう」と言い出せない状況。まさに現代のインパール作戦だ。

兵站を無視した精神論。

我々はスポーツの持つ力を信じてやってきた

我々は帝国陸軍のもつ力を信じてやってきた

 

だから?