朝から雨。出る時には上がっていたが、傘を持って出かける。途中で降ってくるが、傘をさすほどでもない。
雨でもカワセミは活動する。水面から2メートル付近でのホバリングを続けて見かける。かと思うと、私たちに歩を合わせるようにように、葦の穂先に留まることを繰り返しながら川上へ移動する。留まっているのを見つけても、私たちが近づくとたいてい飛んでいってしまうのだが、個体によって動きはさまざまだ。
曇天の中に青空がわずかにのぞく。気温は10℃。1時間歩いていると上着を脱ぎたくなる。午後には雨が上がり、気温も17℃まで上昇するのだとか。
なかなか平年並みにならない。
ブログ、ずいぶん久しぶり。
最後の投稿は11月20日。その週から少し余裕がなくなった。
11月23日〜25日、恒例の次女一家+義両親と私たちによる8人の旅行。
1昨年は初島、昨年は山中湖。今年は和歌山へ。高野山へ。団体でなぜ高野山?長くなるので理由は書かない。空海に会ってみたい・・・・かな。
新幹線で新大阪。御堂筋線で難波。ちょうどお昼。予約しておいた南海通りのひょうたん本店で串揚げの昼食。
南海線特急こうやで極楽橋。ここから急勾配のケーブルカーで高野山。そしてバスに20分ほど揺られて高野町へ。うちを出て8時間近くかかったことになる。
赤松院という宿坊へ宿泊。宿泊客の8割以上が外国人客。
夕食、精進料理。想像はしていたが、想像以上の粗食。外国人は皆神妙に食べている。宿泊料金との激しい乖離?ほとんどがお布施か?
2日目、朝、勤行。真言密教の雰囲気あり。曹洞宗の簡素な雰囲気とは明らかに違う。
奥之院への道筋。鬱蒼とした杉の古木を中心とした中に、歴史上の人物の墓が並ぶ。1200年続く独特の森閑とした空気が感じられる。
ここ高野山では、承和元年(834年)の空海入定から奥之院・御廟ではいまも空海は生きていて、人々の幸福を願って瞑想を続けていると言われる。
10時過ぎ、生身供(しょうじんぐ)の儀式を見かける。御廟で待つ空海に1日に2回、食事を届ける儀式。
案内人の僧一人の後に二人の僧が食事の入った箱を天秤棒で担ぎ、空海のいる御廟の灯籠堂へ向かう。
カメラを持った大勢の観光客が、このあとに群がる。
1日2回、1200年の間、続く儀式。この時間は、空海は入寂はしていない、入定して生き続けているという伝説の儀式。これを平安の世も鎌倉時代も江戸も明治も昭和も欠かさず続けてきた。
お札やご朱印帳など夥しい数のお土産、拝観料は驚くほど高く、利益優先の宿坊経営など、どう見ても現世の欲望と切っても切れぬこの高野山を支えているのは生き続ける空海の伝説。
奥之院からの帰途は、観光バスの駐車場のある方へ。こちらは歴史上の人物の墓ではなく、企業が設えた大きなお墓がずらっと並んでいる。宗派にこだわらず、高野山に墓を持つことが企業経営者のステータスであることがよくわかる。こちらは皆新しいせいか、立派だがどれも味気ない。
観光バスもかなり来ている。
不便なところなのに訪れる人が多い。多くは観光客だが、勤行をみていると亡くなった親族の供養に訪れる人も少なからずいる。そういう人たちにとってはまさに聖地。
レストランのようなところで休憩。広いお店なのにお婆さんのワンオペ。さして自分と年は違わないのかもしれないが、頼んだものが寸分違わず素早く出ていくるを見ると・・・。
バスで一気に大門方面へ。
昼食は参道の近くの茶房みやざきというお店。2度続き、そしてこれからまだ2度続く精進料理。動物性のタンパク質をからだが欲しいている。皆、ハンバーグやマグロ丼、チキンなど。私もアジフライをいただく。丁寧な調理。美味。4歳のHくんは卓上に置いてあるコマに熱中。子どもはどこでも遊びを見つける。
宿坊は料理こそ精進料理だが、般若湯と称するお酒はOK。廊下に自動販売機があり、ビールも売っている。裏通りにはコンビニも一軒あって、若い坊さんがつまみを買いに来ていたりする。宿坊への持ち込みもできるのでそれほど飢える気分はない。
午後、大師協会で私たち老人4人とともに小二のAくんも母親と一緒に写経をする。写経と言っても、般若心経が薄く印刷してあって、上から筆ペンでなぞるだけなのだが、根気はいる。Aくん、飽きてしまうかと思っていたがやり切る。知らない漢字をなぞるのはつまらないと思うのだが、こどもは何を面白がるのかわからない。
最後が金剛峯寺。薄暗くなった中、広大な寺の中を見学する。坊さんの姿をあまりみない。永平寺のような若い修行僧の姿も。
高野山に僧は1200人いるとどこかに書いてあったが、1日歩いて10人見たか?
次の日、新聞で金剛峯寺本坊の12の建物が、重要文化財に指定されたことを知る。
同時に指定されたのが、広島の旧陸軍被服支厰4棟。こちらは署名を集めて送ったり、保存運動に少しだけ協力したので、ちょっとうれしい。
奥之院、御廟、大門、壇上伽藍の金堂、西塔、東棟、三鈷の松、霊宝館、大師教会、途中バスで移動もしたが、かなりの距離を歩いたので、足が痛む。
風呂でタイの若い僧と一緒になる。元気にお湯のかけっこをしている。
3日目。次女一家4人は大阪へ出てUSJによるため朝食を食べずに早く出る。
私たち老人4人は、早めの朝食のあと、来た道を辿って大阪へ。
新幹線で名古屋。岐阜に住む長女一家が名古屋駅まで4人で出てきてくれ、ランチを一緒に。孫たちに会うのは半年ぶり。4年生になるSちゃん、少し大人っぽく。下のRくん2年生、サッカーに熱中しているという。
15時過ぎの新幹線。新横浜、横浜線のホームに来て、Mさんがひとこと。「ありゃあ、日本人ばっかり」。
そういえばこの3日間、外国人ばかり見ていたような。
円安もあって、来日する外国人は、個人旅行の受け入れや査証免除措置の再開もあって11月は10月の倍近く、100万人に届くほどだったという。