朝の散歩の出がけの気温は7℃台。風も冷たいのだが、境川河畔に出る頃には、背中に朝日があたり、手袋もネックウオーマーも外してしまう。冬というにはまだ早いようだ。
昨日、帰り道、小さめのカワセミを見かける。しばし立ちどまって観察。今までにない光景が見られた。
留まっている葦の穂先から垂直に水の中に体ごと飛び込むこと、何と連続10回。それも1〜2分ほどの間に。これほど続けての狩りは今まで見たことがない。
サギは水面からクチバシを水中に突っ込んで小魚を啄む。カワウは数秒から数十秒潜って魚を食べる。
カワセミは一瞬だけ体ごと水中にドボンと没する。
百発百中というわけにはいかない。10回のうち4回だけ、小魚を咥えて出てきた。呑み込むとすぐにドボン。これが珍しい。
カメラマンの宮本さんの話では、カワセミは1日10匹ほど食べるのではとのことだったが、納得がいった。
秋の深まる真っ青な空の下、鳥たちの狩りの横で、鯉は悠々と泳ぎ、カルガモやマガモはのんびり藻を食べている。
冬の水辺の光景。
11月4日(土)東京・永田町の紀尾井ホールで、安積フィメールコールのコンサートを聴く。演目は、現代ノルウエーの作曲家オラ・イェイロのミサ曲。木下牧子や信長貴富の小品。指揮は菅野正美。メインは、中田喜直生誕100年ということで組曲。『美しい別れの朝』。いずれも練磨の人たちの歌はよく練れていて艶もあり、楽しめた。
11月11日(土)大学時代の友人夫妻と鎌倉・円覚寺・如意庵で愉音主催の『寺コン』の3回め。ヴァイオリンとチェロのコンサート。
演目は、ヘンデル(1685~1759)=ハルヴォルセン(1864~1935)のパッサカリア
J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第3番と無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番。
最後にコダーイのコダーイのヴァイオリンとチェロのためのデュオ
松本絋佳とドミトリー・フェイギンのコンビ。
会場は本堂。14世紀の創建。庵とはいえ立派な本堂。屏風で本尊は隠れている。
テラコンと響きは軽いが、プログラムは十分に意欲的で重厚。60名余の聴衆は二人の緊密なソロ、アンサンブルに引き込まれ、足元から忍び寄る冷えも忘れるほど。
コロナもあって、夫妻と会うのは5年ぶり。
帰りは大船に出て、新装なったかんのん食堂で一献。こちらも盃はいつものように意欲的で十分に重厚?帰途は這う這うの態に。
数日間、水だけでなくお湯でも、飲めば左奥歯に痛みが走る。
かかりつけのS歯科へ電話。空いているところに入れてくれる。
ドクター、いつものように全く動ぜず、淡々と「神経に触っています。治療します」。
20分。痛みは消える。根の掃除が残る。これが辛いのだが。
11月9日、映画『ヒンターラント』『サタデーフィクション』。太平洋戦争開戦を前にした上海の情報戦。すごい。こういう映画、見たことがない。参ったという感じ。
11月17日、映画『愛にイナズマ』。やや期待はずれ。監督に近しい著名な俳優が勢揃い。なのになぜかオダギリ・ジョーは出ていない。写真は『サタデー・フィクション』
11月19日、アートフォーラムあざみ野で三好春樹講演会。2回め。認知症。
「目の前の老人を見て感じて、方法論をつくっていく」
介護者の都合で認知症の老人を動かすのでなく、その人に合った介護の方策を探る。新鮮。具体的な老人の名前を出しながら(仮名)、ミシェル・フーコーからR・D・レイン、ピエール・クラストル、レビー・ストロース、デヴィッド・グレーバーまで引いて展開する認知症介護論。
医療従事者の視点と介護者の視点の違い。
今を我慢して良い方向を目指す医療、に対して
「今が一番良い、あとは右肩下がり。老人に未来はない」を原点に展開する介護論。
聴きながら、さまざま考えるのが愉しい。