『ロストケア』人間を描く深さに欠ける。

映画備忘

ロストケア』(2023年/日本/114分/原作:葉真中顕/脚本:龍居由佳里/監督:前田哲/公開2023年3月24日)

松山ケンイチ長澤まさみが初共演を果たし、連続殺人犯として逮捕された介護士と検事の対峙を描いた社会派サスペンス。

ある早朝、民家で老人と訪問介護センター所長の死体が発見された。死んだ所長が勤める介護センターの介護士・斯波宗典が犯人として浮上するが、彼は介護家族からも慕われる心優しい青年だった。検事の大友秀美は、斯波が働く介護センターで老人の死亡率が異様に高いことを突き止める。取調室で斯波は多くの老人の命を奪ったことを認めるが、自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であると主張。大友は事件の真相に迫る中で、心を激しく揺さぶられる。

斯波を松山、大友を長澤が演じ、鈴鹿央士、坂井真紀、柄本明が共演。作家・葉真中顕の小説「ロスト・ケア」をもとに、「そして、バトンは渡された」の前田哲が監督、「四月は君の嘘」の龍居由佳里が前田監督と共同で脚本を手がけた。

 

ネットの評判では4点台もあり、社会派映画として高評価のだろうけれど、個人的には退屈な映画だった。脚本も演出も過剰過ぎて、とりわけ長澤まさみの「検事」はひどい。検事のバックストーリーを重ねているのだが、あり得ない展開。かつての日活映画のようなカメラワークがわざとらしく、ストーリーのシリアスさを阻害している。

松山ケンイチは自然な演技。柄本明もさすが。最近、あちこちで使われる坂井真紀も大変にいい味を出している。

一番の欠点は、検事が大量殺人の犯人斯波と対話するうちに「心を揺さぶられ」てしまうところが軽すぎる。

認知症の患者を殺してあげることこそが、本人や周囲にとっても最も意味ある介護という歪な主張、ロストケアという考え方はけっして新しくはないが、長澤演じる「検事」は自ら母親を施設に入れている。離婚した父親とは断絶し、孤独死してのちに連絡をうける。つまり自分は親のしんどい部分に手を汚さないで、検事として「ロストケア」をおこなった斯波を裁くのかといういわば倫理的な「揺さぶられ」はあまりに軽薄。

人間は、立場立場を使い分け「それはそれこれはこれ」で合理化していく。その葛藤をうちに閉じ込めなければ生きていけないという身勝手さの中にあるもの。

倫理的、個人的な自分の責任を、容疑者である斯波の論理に責められ、狼狽えてしまう検事を長澤はなんの逡巡も躊躇いもなく真っ直ぐに?演じている、演じさせているところが大いに白けてしまう。殺した者の行為の合理化した理屈に対し、それを切り崩す論理を持たずに、拘置所に個人として会いに行ってしまう検事というのはどう考えてもあり得ない。人間を描く深さに欠ける。

裁判シーンもひどい。刑事裁判は証拠(書証、人証)を検討することによって有罪、無罪を決めるもの。情緒的な「おしゃべり」は基本的に排除されるもの、基本的に映画などのストーリーとは別物で、見ていてそれほど面白いものではない。それでも実際の裁判のように「撮る」ことで深みが出ることもある。

原作は津久井やまゆり園の事件のずっと前に書かれた作品。どんな作家かと思い、原作ではなく、2014年に刊行された『絶叫』を読んだが、かなり入り組んだ精密で重い作風

の作家。いくつか読んでみたいと思った。『ロストケア』も本編よりももっと書き込んである作品ではないかと推察する。